- 前ページ
- 次ページ
さて、前回、身体意識と云う
言葉に付いて書きました。
少しなじんで頂けましたか?
これから紹介していくエクササイズは、
主に身体方向から、
アプローチしていきたいと思ってます。
なんと言っても、
心的意識のアプローチの方は、
情報溢れてますから、
私が、書くまでも有りません。
私の方は、
身体意識の方からアプローチする方向で,
書いていきたいと思います。
まず皆さん、
自らの身体、感じていますか?
先日も、ある方と話していて、
「一日の中で、足を、意識する事有りますか?」
と、お尋ねした所、
「そんな暇有りません。」と云うお答えでした。
もしかしたら、自分の身体であっても、
身体を、
病気や怪我した時、
暑い寒いといった外部刺激、
空腹、
そんな時位しか思い出さない方、
結構、いらっしゃるのかも知れません。
まぁ、身体意識と言っても、
事務系のお仕事の方なんか、
頭の中の声以外の部分、
意識してたら、
サボタージュですものね。
お仕事の為に、
常態的に、頭部集中型の生活、
続けざるを、得ない方、
少なく無いのかも知れません。
そうするとどうしても、
身体意識、歪みがちです。
頭部が、体の中心に為る。
上半身に、身体意識が、偏ってしまう。
一日、二日ならまだしも、
そういう状態が、何年も続くと、
そういった状態のまま、
身体意識が、固定されてしまう。
その状態の方が、
通常体に成ってしまう。
場合に依っては、
病気と云う形にまで発展する事も有ります。
生活習慣病、と云う言葉が、有る通り、
身体意識が、
生活上歪んでいく事で、
病体形成の原因に成り得る可能性
低くは、無いです。
最近、日本でも、ハグ、
抱き締め合う光景、
目にする様になりました。
私も、二十年以上、前になりますが、
ニュージーランドを、離れる際
友のハグを受けました。
今でも時々、
思い出す事、有ります。
体全体に広がる温もり。
安心感。
やわらぎ。
ハグした時の安堵感。
なおざりにしていた、
自身の身体を取り戻す、
一瞬なのかも知れません。
言葉に付いて書きました。
少しなじんで頂けましたか?
これから紹介していくエクササイズは、
主に身体方向から、
アプローチしていきたいと思ってます。
なんと言っても、
心的意識のアプローチの方は、
情報溢れてますから、
私が、書くまでも有りません。
私の方は、
身体意識の方からアプローチする方向で,
書いていきたいと思います。
まず皆さん、
自らの身体、感じていますか?
先日も、ある方と話していて、
「一日の中で、足を、意識する事有りますか?」
と、お尋ねした所、
「そんな暇有りません。」と云うお答えでした。

もしかしたら、自分の身体であっても、
身体を、
病気や怪我した時、
暑い寒いといった外部刺激、
空腹、
そんな時位しか思い出さない方、
結構、いらっしゃるのかも知れません。
まぁ、身体意識と言っても、
事務系のお仕事の方なんか、
頭の中の声以外の部分、
意識してたら、
サボタージュですものね。

お仕事の為に、
常態的に、頭部集中型の生活、
続けざるを、得ない方、
少なく無いのかも知れません。
そうするとどうしても、
身体意識、歪みがちです。
頭部が、体の中心に為る。
上半身に、身体意識が、偏ってしまう。
一日、二日ならまだしも、
そういう状態が、何年も続くと、
そういった状態のまま、
身体意識が、固定されてしまう。
その状態の方が、
通常体に成ってしまう。
場合に依っては、
病気と云う形にまで発展する事も有ります。
生活習慣病、と云う言葉が、有る通り、
身体意識が、
生活上歪んでいく事で、
病体形成の原因に成り得る可能性
低くは、無いです。
最近、日本でも、ハグ、
抱き締め合う光景、
目にする様になりました。
私も、二十年以上、前になりますが、
ニュージーランドを、離れる際
友のハグを受けました。
今でも時々、
思い出す事、有ります。
体全体に広がる温もり。
安心感。
やわらぎ。
ハグした時の安堵感。
なおざりにしていた、
自身の身体を取り戻す、
一瞬なのかも知れません。
「しんたい いしき」と読んで下さい。
余り聞き慣れない方もいらっしゃるかも知れません。
身体意識と云う言葉、表現について説明します。
(あくまで、私のブログ内での用法です。)
言葉の意味としては、身体イコール肉体ですね。
そうすると、肉体の意識。
肉体の意識って何?
ちょっと変ですか?
通常、身体は、物質的存在、
意識とは、分けて考える。
言葉の使い方としても、
普通には、心と体は、別の概念として使います。
身体の意識と云うと、
違和感を、覚える方、
いらっしゃるかも知れません。
心的領域と肉体的領域。
これを、区別して表現する事は、
医学の分野なんかでは、便利です。
特に、解剖学なんかでは、脳、肝臓、腎臓といった、
存在が、有りますから、
心的な領域と、
体のそうした臓器の領域を、
区別して表現する事、
意義を持ちます。
翻って、私の場合。
解剖学的知識も、
手術の必要性も有りません。
心的な領域と物質的領域と云う観点での区別、
表現方法、
余り必要性ないんです。
もう少し付け加えると、
心と体って言う表現だと、
どうしても、二つが、別物、
場合によっては、
心と体の関連、連続性さえ、
ぼやけてしまう可能性有るんです。
まぁ、このブログを、読んで下さる方は、
そうでも無いかも知れません。
でも、例えば、心の調子を、整えるのに、腸や、内臓の調子を、
整えましょうと言うと、キョトンとする方、
まだ結構いらっしゃるんです。
更に、体の調整で、
足の治療の為に、腰の調整を、します、
と言うと、
私は、足の治療して欲しいんです、と
言われる方、少なく無いですね。
この様に、心と体って云う表現は、
案外、二者の関連、連続性を、見落としがちなんです。
そこで、身体意識と云う表現は、
それよりは、むしろ、
人間存在を、一つの意識体と捉え、
人間存在は、意識の多層構造、
連続する意識の多層体(すみません、造語です。)
だと表現するのです。
感覚出来ると云う観点からは、
身体も意識の変化態様で有るから、
身体意識と表現した方が、
誤解も少ないんじゃないか、
と云う発想です。
すなわち、思考、言葉に代表される意識層、心的意識層が有り、
外界と自己を、区分し、自己存在を感覚し、
個体感覚を形成する、
身体意識層が有ると考えるのです。
そこから、心的意識、
次に、身体意識と云う言葉が出て来ます。
特に、これから、
人間存在のエクササイズを、紹介しようと思ってますので、
人間存在は、多層構造で有り、
身体意識は、その一層を、形成している。
と云う表現、
捉え方で説明すると分かり易いんです。
是非、なじんで頂けたらと思ってます。
余り聞き慣れない方もいらっしゃるかも知れません。
身体意識と云う言葉、表現について説明します。
(あくまで、私のブログ内での用法です。)
言葉の意味としては、身体イコール肉体ですね。
そうすると、肉体の意識。
肉体の意識って何?
ちょっと変ですか?
通常、身体は、物質的存在、
意識とは、分けて考える。
言葉の使い方としても、
普通には、心と体は、別の概念として使います。
身体の意識と云うと、
違和感を、覚える方、
いらっしゃるかも知れません。
心的領域と肉体的領域。
これを、区別して表現する事は、
医学の分野なんかでは、便利です。
特に、解剖学なんかでは、脳、肝臓、腎臓といった、
存在が、有りますから、
心的な領域と、
体のそうした臓器の領域を、
区別して表現する事、
意義を持ちます。
翻って、私の場合。
解剖学的知識も、
手術の必要性も有りません。
心的な領域と物質的領域と云う観点での区別、
表現方法、
余り必要性ないんです。
もう少し付け加えると、
心と体って言う表現だと、
どうしても、二つが、別物、
場合によっては、
心と体の関連、連続性さえ、
ぼやけてしまう可能性有るんです。
まぁ、このブログを、読んで下さる方は、
そうでも無いかも知れません。
でも、例えば、心の調子を、整えるのに、腸や、内臓の調子を、
整えましょうと言うと、キョトンとする方、
まだ結構いらっしゃるんです。
更に、体の調整で、
足の治療の為に、腰の調整を、します、
と言うと、
私は、足の治療して欲しいんです、と
言われる方、少なく無いですね。

この様に、心と体って云う表現は、
案外、二者の関連、連続性を、見落としがちなんです。
そこで、身体意識と云う表現は、
それよりは、むしろ、
人間存在を、一つの意識体と捉え、
人間存在は、意識の多層構造、
連続する意識の多層体(すみません、造語です。)
だと表現するのです。
感覚出来ると云う観点からは、
身体も意識の変化態様で有るから、
身体意識と表現した方が、
誤解も少ないんじゃないか、
と云う発想です。
すなわち、思考、言葉に代表される意識層、心的意識層が有り、
外界と自己を、区分し、自己存在を感覚し、
個体感覚を形成する、
身体意識層が有ると考えるのです。
そこから、心的意識、
次に、身体意識と云う言葉が出て来ます。
特に、これから、
人間存在のエクササイズを、紹介しようと思ってますので、
人間存在は、多層構造で有り、
身体意識は、その一層を、形成している。
と云う表現、
捉え方で説明すると分かり易いんです。
是非、なじんで頂けたらと思ってます。