みなさんこんばんわ
白鵬です。

本当にご無沙汰しております。
おかげさまで35回の優勝を飾る事が出来ました。

暑い名古屋場所は力士にとっては本当に過酷な闘いではありますが、その暑さに負けず初日・2日目は相撲が長引いてしまいましたけど、途中後半には問題なく自分の相撲が取れました。優勝出来た事は秋場所に繋がることになったんじゃないかなと思います。


今年、初場所33回目の優勝を果たし、うれしさいっぱいですがもうあと残すとこ2場所です。1年がホント早いです。


名古屋場所が終わり、故郷に帰り国民栄誉賞(モンゴル労働英雄賞)の祝賀会をしました。たくさんの方々からのメッセージ、ビデオレターやお祝いの言葉をいただきました。第68代横綱 朝青龍関、旭天鵬関も駆け付けて下さいました。




何よりも、その晴れ姿を奥さんと2人でお揃いの民族衣装を着て、私を産んでくれた両親にその姿を見せる事が出来て幸せです。
3年前から親父が体の調子をくずして、この晴れ姿を見せれるかどうかを思った事もありましたが、無事にその姿を見せる事が出来、ホッとしています。




そして、何といっても我々の礎を作ってくれた旭天鵬関です。

引退しました。

旭天鵬関は私が子供の頃からNHKの衛星放送の生中継で応援していました。
その方となんといっても同じ一門として入門した事と、たくさん稽古をつけてもらい可愛がってもらい、たくさんのアドバイスをいただきホントの兄貴であり、先生であり特別な存在であります。

ブログをご覧の皆さんに秘密の話しがあります。

名古屋場所、千秋楽最後の土俵入り。いつもは土俵入りの前にひと言ふた言話して、土俵入りをするのですが、その日は握手して目を合わすだけで終わってしまいました。
あ~(辛)私も急に寂しくなり、不思議な気持ちになりました。
本来の明るい旭天鵬関が黙ってすっと立っているのがそういう時が来たのかと思いました。
そして、モンゴルの祝賀会でモンゴルで結婚式を終えて忙しい中、駆け付けて下さいました。


物事というのは本当に不思議なものです。


35回の優勝を飾り、旭天鵬関をオープンカーに乗せ最後の花道を飾れた事が本当に私は幸せでしたし、旭天鵬関もきっとうれしく思ってくれたと感じます。

これは一門でしか出来ない事でありますから。また一生忘れられない35回目の優勝となりました。



もう一人の存在は若の里関です。
平成12年10月に初めて大阪の関空に来日し、それから2カ月ほどで11月場所が始まりました。

その当時、曙関が千秋楽に武蔵丸関をくだして優勝し、優勝直後に引退した事を覚えています。その場所で土をつけたのが若の里関じゃないかと思います。

昔からファンでありました。

豪快さ、気迫、力強さが大好きでした。

入門し、関取になり対戦する事がありましたが6回も対戦して1回も勝てませんでした。

ファンだったから目に見えないものがあったのかなと思いました(笑)

その若の里関が今場所で引退し、故郷青森で最後を飾りたいと。
故郷を思う気持ちがあり、またそこで応援して下さる人たちがいる。だからこそ若の里関、旭天鵬関もここまで頑張れたんだと思います。

先日、気づいたのですが南相馬市で皆さんに囲まれて話しをしてたのですが、実は幕内力士だけでも学生出身の関取衆が何人もいますが、相撲界では入門が先になれば兄弟子なんです。
古い方から数えたほうが早いなあと気づきました。

62キロの少年が今年で15年。
大兄弟子になりつつありますね(笑)



そして今。夏巡業‼︎
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久しぶりの3週間の夏巡業をがんばっております。


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本日、福島県郡山市でした。



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明日から栃木県。山形県、岩手県、仙台と札幌を目指し上がっていきます。




今回のモンゴルでの祝賀会前のナーダムで優勝した馬です。


なんとプレゼントしていただきました。この馬はこれから私の名前で走る様です。
がんばれ‼︎


オリンピック新聞




2020年東京オリンピックのアンビシャスになりました。


2020年までがんばっていきたいと思います。

東京オリンピックを楽しみにしております。



猛暑続きで大変ですが、皆さん身体には十分気をつけてくださいね。

おやすみなさい。

白鵬 翔