「なに⁉何を言い出すかと思えば半世紀も前の昔話を持ち出してきおって、馬鹿はお前じゃないのか?あの事件はとつくの昔に時効になっておって、記憶に残している人は村にも殆んどおらんセピア色した事件だぞ❗」
 「半世紀近くも前の話であろうが、セピア色した事件で誰の記憶にも残っていなかろうが、家族を殺された人間の恨みに時効なんてものはねぇんだよ」
 「千代子叔母さんには気の毒な事件だった思う。だがなぁ健太郎、親父が当事小島本家の総領だったからと云うてあの事件を未然に防げる訳も、警察でも挙げられなかった犯人を親父が捕まえられる訳もなかろうが。そりゃ言い掛かりと云うもんだべさ。」
 「そりゃそうだろう。犯人がおめぇの親父小島正雄なら捕まえる筈ねぇわな。」
私も驚いたが、小島正晴県会議長も驚いたのだろう、声が跳ね上がったのだった。
 「な⁉ なに!いい加減にせい、なんで親父が千代子叔母さんを殺さなならん。証拠が有るんか?フザケタ事を抜かしていると許さんぞ。」
 「強姦殺人の動機か?ある。俺のお袋へのてめぇの親父の横恋慕だ!」
 「なんだと!」
 「当事、村の人達や小作人達は滅多に小島本家に出入りしていなかったから気付いた者はなかったようだが、出入りしていた分家の者は、おめぇの親父が俺のお袋を口説いているところや追い回しているところに出会して、正次さんが帰国したら大事になると心配して正造爺ちやんにチンコロ(密告)し、俺達家族三人は小島本家から出て生活するようになったんだ。もう何年も前になるが、両親の墓を移す為に沼田村に行った時、分家の人達が手伝いに来てくれて、当時のおめぇの親父と俺のお袋の関係を何人かの人達から聞いたよ」
 「勝手な事をしゃがって!」
 「なんだと、あの日俺が前日に用件を伝え、翌日小島本家に挨拶に出向いた時、夜叉か鬼婆かと思える面つきの菊さんが玄関口で応対に出て、(お好きなようになさって下さい)と言って俺を中にも入れずに追い出した。おめぇ達が政治家だ病院長だとふんぞり返っていられるのも、菊さんのお陰だものな。気苦労が耐えねぇんだろうな、可哀想に80の婆さんに見えたぜ。忘れたとは言わさねぇぞ!」
 「その事なら聞いて覚えている。そんな事はどうでもええ、お前の母親が俺の親父に色目を使ってたとしても、そんな事がなんの動機になるんだ?第一親父が千代子叔母さんを殺害したと云う証拠が有るんか?証拠が!」
 「勘違いするな、お前の親父が俺のお袋をストーカしてたんだよ。証人もいるし強姦殺人である事が事実を物語っている。お前の親父が犯人だと云う証拠か?証拠はある。証拠品は正晴おめぇが隠滅してしまったがな。しかしその場面に立ち合った人間が二人いた。」
 「私が証拠品を隠滅しただと?何を抜かす。フザケタ事を、、、、」
 「殺人犯が持ち去ったと云う買い出し袋には、お袋が満州から持ち帰った道祖神の瀬戸物の根付けがぶら下がっていて、その事は、当時の警察の調書と何人もの人の証言記録がある。それをお袋の物だと言う姉の千草を蹴倒して、風呂場のかまどの灰の中から見つけたと言い張って叩き割ったのは正晴おめぇだ。お袋が持っていた道祖神の根付けがどうして小島本家の風呂場の灰の中から出てくるんだ。小学生のおめぇの出来ることじゃねぇし、そうなれば、そんな事をする人間は一人しかいねぇ。」
 「それは、、、、、そんな昔の事なんぞ、、、なにをたわけた事を、、、」
 「いいから最後まで俺の話を聞け。一通り話をすれば、俺は全員引き揚げさせる。」
 「半世紀も昔の世迷い言を聞いているほど暇ではないが、聞いてやる、話てみろ‼」
 「道祖神の根付けの事で、お前さんの親父に疑いを持った人間が二人いた。俺の姉の千草と三木の久子叔母さんだ。久子叔母さんは、自身の実の兄を警察に売る事が出来ず、苦しんだ末に小島本家と絶縁し俺達姉弟を引き取り面倒を見てくれた。成人した姉の千草は、一人で当時の警察の資料を取り寄せたり、証拠集めをしていたのだが、姉も結婚したり出産したり、念願のがり屋(理髪店)を夫婦で開店したりしているうちに時効になっちまった。」
 「千草は交通事故で死んだと聞いたが、、、」
 「いいから黙って聞け、姉が母親の事件を調べて回っている事を知ったおめぇの親父は、興信所かどこかに調べさせたのだろうな、事件は証拠も無く時効も成立しているし、自分を疑っているとは夢にも思わなかったのだろう。 高を括って姉の店に客として通っていたんだよ。」
 「まさか、、、」
 「そのまさかだ。姉はおめぇの親父の髭をそりながら、何度その剃刀で母親の敵討ちをしたいと思ったか知れねぇと、姉が遺した日記帳に書いてあったよ。思い止まらせたのは、真面目で優しい夫と可愛い盛りの一粒種の息子の存在だったようだ。その姉の息子は、姉夫婦が殺された後、中学を卒業するまで父親の実家で育てられ、今は俺のもとでヤクザの修業中だ。」
 「殺された?交通事故やなかったんか?」
 「黙って聞け、その子供の名前は久米正司と云ってな。ショウジというのは、シベリアに抑留中に亡くなった俺と千草の父親の名前をもらったものだ。おめぇの親父の弟の名前だ。姉の千草がどれだけ自身の親を大切に思い 一緒に暮らしたがっていたかが解るってもんだが、そんな姉の気持ちなどには頓着無く、おめぇの親父はただ姉を口説くだけの為に公用車を走らせて通って来て、義兄の目を盗んでは姉を口説き、ラブレター迄渡しているんだ。姉が母親千代子に似ているからと云って、自分が殺めた女の娘を口説けるか?まぁ自分の弟の嫁を毒牙にかけるぐれぇだから平気なんだろうな。俺も読んだが、(千草は千代子さんに生き写しだ。千代子さんは美しい女性だった。二人で静かなところで千代子さんの思いで話をしながら食事でもしょう。店の定休日に時間を作って下さい。待つてるよ)とメモ用紙に走り書きがあり、赤坂の料亭の名前と時間が書かれていたよ。姉は幸せ過ぎて、人を憎み続けられなくなっちまっていたんだろうな。その日指定された料亭に電話した姉は、電話口に出たおめぇの親父に、全てをぶちまけ証拠もあるが時効も成立しているのだから今更事を荒立てる気は無い。両親の墓に参り罪を詫び、二度と店に来るなと言ったのだそうだ。証拠があると言われて観念したのかおめぇの親父は、二人きりになった時に謝ろうと思って食事に誘ったのだと云い、土下座してでも謝りたいから来てくれと言ったそうだが、姉は親の仇と食事など出来ないと断ったそうだ。その後さすがに店には来なくなったが、それでも幾度か謝りたいからと誘いの電話があり、その度に姉は謝るのならお墓の二人に謝って下さいと断っていたと姉のノートには書かれていたよ」
 「それがどうしたと云うのだ?そんなもん、、、、」 
 「黙って聞け、それから2年ほどして、おめぇの親父から電話があり、千代子夫婦の法要をやるので、親子三人と健太郎の四人で来て欲しい。車で高速を走ればそうは遠くは無いと言ってきたそうだ。その頃俺は刑務所に入っていて何も知らされてはいなかった」
 「千草夫婦の交通事故死まで、親父のせいにするつもりか?」
 「そうだ!その日姉は、風邪気味の息子を夫の実家に預けて、義兄の運転で高速道路を走っている時に、後ろから来た酔っぱらい運転の大型ダンプカーに猛スピードで追突され、二人の乗る軽自動車は対抗車線まで跳ね飛ばされ、対抗車線を走っていた車に次々と跳ねられて車の原型も止めていなかったそうだ。勿論俺の姉も義兄も即死だったし、この事故に巻きこまれて何人もの重軽傷者が出ている。」
 「犯人は逮捕されたのだろう?。それも呼びだした親父が悪いというのか?そりや被害妄想ってやつだよ健太郎。」
 「黙れ正晴!おめぇ、親父がその気になれば日本中のヤクザを一人残らず刑務所に放り込む事が出来ると大口を叩いていたな?」
 「ああ言ったよ。現職の法務大臣で、次期首相だからな。」
 「気の毒だが、そりゃまだ無理だ。戦後の治安の悪い頃、国策としてヤクザの力を利用したり、ヤクザを使って政敵を潰したり、スキャンダルをもみ消して来た国会議員が今まだかなり残っているからな。在日三世ぐれぇの時代がくればわからねぇが、今の親分衆の殆んどが在日一世二世の朝鮮人だし、随分と汚れ仕事をやらせて来ている。おめぇの親父がのしあがって来た時代は、GHQが日本の財閥を解体し、公職から日本人を追放して、日本人に成り済ました朝鮮人に特権を与えて優遇した時代だ。政治家と企業とヤクザがズブズブの関係の時代で、おめぇの親父だって息子のおめぇにも話せないような事をヤクザにやらせて来てるんだよ。でなけりゃ政治家として生き残れねぇ時代で、おめぇの親父は関東から東北や北海道に縄張りをもっ的屋(露天商)を使っていた。ヤクザが嫌いだなんて良くも言えたもんだ。」
 「なにか、それじやぁ千代子叔母さん殺しの発覚を恐れて、親父が千草夫婦殺害をヤクザにやらせたと云うのか?あり得ないな。時効になっている事件だし、当時親父は党の役職にも就いてマスコミ操作だって出来た筈だ。一家皆殺しなんてリスクのある事を考える筈がない。」
 「確かにな。だが、母を殺した証拠がある。その証拠を持っていると姉から聞いた時に、おめぇの親父は動転して思わず罪を認めてしまっているんだよ。それだけ姉の言葉に否定を許さねぇ重みがあったのだろう。時効になっている事件だ、姉と差し(1対1)で会えさえすればなんとでもなると思っていたのだろうが、姉はその機会を与えず月日だけが過ぎて行き、おめぇの親父は政治家としてキャリアを積みドンドン出世をしていった。そうなればなるほど、目の上のたん瘤のような存在が姉一家と俺だったのだろう。だから思いきった 切開手術をした。」
 「お、親父がヤクザに指示したと云う証拠があるんだろうな?」
 「ある。おめぇの父親が千草夫婦と俺の抹殺を命じたのは、東北の老舗のヤクザ組織で、実行犯はその組織の傘下で右翼団体の行動隊長をしていた潰れかかった土建会社の社長だ。今時のヤクザ組織はどこでも右翼団体の一社や二社は持っていてな。右翼には殆どがヤクザの息がかかっているからその手の情報は早ぇ、だから俺は俺の舎弟をその組織に養子として送り込み、組長を襲名させ身内にした。証拠は揃っているし、まだ時効まで一年あまりある。」
 「証拠があるなら訴えればいいだろう。だが良く考えろよ。警察もマスコミもそんなヨタ話で動きはしないぞ。親父が動かしはしない。」
 「ヤクザは敵討ちの為であってもオデコ(警察)の力を借りたりはしねぇ。自身の命を鴻毛のように軽く扱う事で威赦力を発揮するのがヤクザだ。姉の一人息子にとっては小島正雄は両親と祖母を殺した憎き仇で、正晴おめぇはその仇の長男。三人も身内が殺されりやぁ、最低でも相手の身内を三人以上殺すのがヤクザの掟、死には死だ。もしもだ、千草夫婦の息子が今チヤカ(拳銃)を懐に正晴おめぇの近くにいて、おめぇを睨みつけていたとしたらどうする。もしかしたらの話だ。蛙のような顔をしたヤクザがおめぇの前から席を外せば、それを合図に仇討ちをしてもいいと打合せしていたとしたら、蛙が小便にでも立つ振りをして席を立てば、有りったけの弾(ぎょく)がおめぇの体にめり込むだろうな。慌てるな。もしかしたらの話だ。心配ない。ヤクザはな。自分の親分の指示がねぇ限りは勝手な事は出来ねぇんだよ。俺とこうして話ているうちは生きていられる。大丈夫だよ。県会議長さん」
 「わかった。健太郎、いや健太郎さん、あんたは何が言いたいんだ。目的はなんだ?」
 「まぁ、聞け。いくらなんでも劣情から三人もの人間を殺した疑いのある男をこの国の首相には出来ねぇだろうし、世の中、小島正雄の味方ばかりがいる訳じゃねえ。この国の政界は清和源氏や藤原氏達渡来人の子孫と先の敗戦のどさくさ紛れに日本人になりすました朝鮮半島からの帰化人が牛耳っていて、今の首相だっておめぇの親父だって、日本人と渡来人の子孫と帰化人との微妙な政治勢力のバランスの上で権力座に就いているんだ。おめぇの親父の足元が揺らげば、揺れを抑えようとしてくれる者ばかりじやねぇ。こんなスキャンダルが表にでれば、まず首相どころか現役の法務大臣が刑務所だ。それだけじゃねぇ。正晴おめぇの政治生命も断たれる事になる。」
 「だから何が目的なんだ?(陸前屋)から手を引けと云うなら、親父と話をしないとな」
 「全く状況が読めていないようだな。(陸前屋)への債権は放棄して一切から手を退く事など当然の事だ。良く聞けよ。法務大臣を辞職。総裁選出馬を辞退。代議士も辞職。政界からの引退を三日以内に公表する事。理由は病気でもなんでもいい」
 「なにを馬鹿な事を、そんな事が、、、、」
 「馬鹿な事をしでかしたのはおめぇの親父だ。三木の久子叔母さんは千草夫婦が殺されたのだと知って、全てを公表する決断をしたょうだ。おめぇの親父から殺人を依頼された連中も、真実を公表したいと云うので俺が匿っている。三日経って小島正雄が引退していなければ、爆弾は破裂する。それが止められるのは俺だけだ。俺が言った事は必ず菊さんに伝えるんだぞ。おめぇの親父が自ら引退すれば、事実を知らない世間の人は潔い男と評価して、息子のおめぇの時代が来るかも知れねえ。補欠選挙におめぇが出馬すれば間違いなく当選するだろう。おめぇだって県会議長を務めているほどの男だ、実力はある筈だ。ガキの頃の事だと云っても、この小島健太郎の顔を土足で踏みつけた男だ。只者じやねえ筈だ。大臣ぐれいにはなってくれねぇとな。爺さん悪あがきするだろうから、菊さんとおめぇで説得するんだな。そうだ若い者を引き揚げさせねばな。蛙のお兄さんと電話を代わってくれ。、、、おう風間かゴクロウサン、みんなを引き揚げさせてくれ!」
 「わかりました。引き揚げやす」
 小島健太郎は風間の返事を聞くと小島正晴県会議長に替わらせる事なく、
直ぐに受話器を久米に戻し、私に
 「事によっては会長に頼みたい事があったのだが、その必要はなくなった。お疲れさん」
 と言って立ち上がり、久米に
 「風間と連絡をとって、幹部クラスを2.3人県警本部に出頭させろ。20日の勾留で済むように手配しておく。人選は風間に任せればいい。」
 と指示し先に立って応接室を出て行き、私と久米が残されたのだった。


 小島正雄法務大臣は健康を理由に政界からの引退を表明、緊急入院した次男が院長を務める病院にマスコミが殺到し、小島健太郎が言っていたように引退を惜しむ声が巷に溢れた。
 補欠選挙に出馬を表明した正晴は一躍時の人となり、全国的に名前を知られるようになった頃、私はどういう訳か久米に気に入られ、あちらこちらと遊びに連れ出されるようになっていた。
 久米は小島組の理事長と云う要職に有り、常に小島と行動をともにしていて、小島からの宿題も多く小島以上に多忙な男だったのだが、小島を小島邸まで送ってきて小島が自室に入ると、巨体を揺さぶって私の宛がわれている部屋に顔を出し、一緒にテレビを見たり、喋り込んだり、赤坂や銀座のクラブやバーに私を連れ出したりしてくれたりしたものだった。
 久米はその巨体に目が行き勝ちだが、母親譲りなのだろう整った顔立ちをしていてホステス達には人気があった。
 久米は池袋とは云ても板橋よりの商店街の中程に、4階建てのビルを所有していて、一階で(経営経済生活指導センター)と云う名で金貸しをやり、二階を久米組の事務所として使い、三階に若い者を寝泊まりさせ、四階が久米の住居だった。
 一階の3/1が久米の白のベンツとグレーのリンカーンコンチネンタルの専用駐車場になっていた。
 久米は私以外の男が誰か一人でも居る時は、無駄口は利かずニコリともしない全く取っ付きにくい男だったが、私と二人になるとよく喋りよく笑った。
 飲みに行く先は彼が愛人にやらせている店か愛人が働いている店で、彼は運転手やボディーガードを決して店内には入れず、いっの場合にも車の中で待機させていた。それは、必ず運転手とボディーガードの席を自席の身近に作らせて、絶対に姿勢を崩さない用心深く神経質な小島健太郎と久米の違うところだった。
 小島健太郎はアルコールは一切口にせず、銀座の高級クラブでもジンジャーエルかウーロン茶をいっもちびりちびりとやっていたものだったが、久米はレミーマルタンを一人で一本や二本空けても顔色一つ変わらない酒豪だった。それも小島健太郎と久米の違うところだった。
 ある時、散々久米のギヤグやジョークに笑わせられ、ホステス達に見送られて上機嫌で店を出たところ、運転手とボディーガードが車の中で居眠りをしていて私達が出て来たのに気付かなかったと云う事があった。
 気配に気付いて咄嗟に久米の前に直立不動の姿勢で整列した二人を、久米はものも言わずに顔の造形が崩れるぐらいの勢いで殴りつけ、殴りつけられた若い者はよろめきながらも立ち上がり久米の前に立って、決して久米の拳から身を守ろうとはしなかった。
 ヤクザの社会では、親分が怒りに任せて投げつけた鉄製の灰皿が、自身の顔面に向かって飛んで来ても、それを顔面で受け、決して避けたりしてはならないのだそうだ。
 このままでは久米が二人を殴り殺してしまう、止めなければと私は思ったのだが、体が硬直していて足が前に出ず、声さえ出せなかった。
 異常に気付いた久米の愛人であるママに静止された久米は、自分の前に崩れ必死に立ち上がろうとしている血塗れの二人に、 
 「帰るぞ!」
 と言い、ママの差し出したお絞りで自身の拳を冷やしながら、ボディーガードがよろめきながらもベンツの後部席のドアを開けるのを待って乗り込み、私が続いた。
 ボディーガードがママに頭をさげ助手席に乗り込み発信するまでの間に、ホステスやウェイターが、白いベンツのボディーや窓ガラスについた血を手慣れた動作でお絞りで拭きとっているのを、私はただぼんやりと見ていた。彼、彼女達にとっては日常茶飯事なのかもしれないが、その時の血の匂いは今でも忘れる事は出来ない。
 二人は鼻の骨を複雑骨折し顎の骨も骨折、ともに鼓膜を損傷し入院していたそうだが、退院後は事務所で謹慎となり、一人はその後キヤバレーのホステスと遁走し、一人は久米組の幹部になっていた。
 幹部になっているのが、唇が切れて垂れ下がり顔中血だらけになりながらも、久米と私の為に後部席のドアを開け閉めし、ママに頭を下げていたボディーガードの若者の方ではなく、背も低く華奢で無口な運転手の方であったのが以外で、何年か後に盛岡に久米が来た時私は久米に訊ね、 
 「根性というより純真さの問題だろうな。あの時、必ず先に立ち上がり、奴は俺に三発以上余計に殴られている。ヤクザの世界で要領なんぞ使っても、メッキは直ぐに剥げるさ」
 と久米に言われて、私は唖然としたものだった。
 因みにあの店ではその後、久米が席を立っ前に、ホステスが密かに外に出て車に知らせるようになったそうだ。
 その事を久米は気付いていながら気付かない振りをしていたようで、どこで耳にしたのか小島健太郎からその事で
 「それがおめぇの甘さなんだよ。苦労知らずでペテン(頭)も所作も甘ぇんだよ。おめぇが店ん中で遊んでいる時に、オデコ(刑事)やヒットマンらしいのが店ん中に入って行っても気付かねぇようなボディーガードなら連れて歩くな。事が起こった時にこの小島が笑い者になる。うちはプロの集団だ。ガセ(偽者)は必要ねぇ」
 と叱責されたそうだ。
 理由は定かではないが、私は久米に気に入られていて、小島や風間に聞けない事でも久米になら質問する事が出来、久米も大概の事には真摯に応えてくれていた。
 だがその中で、小島正晴県会議長との電話でのやり取りの場になぜ私が呼ばれたのか、小島が私に頼みたい事とは何んであったのかを訊ねた時には、
 「さあなあ、俺にはわからねぇな。結局頼まれなかったのだからいいじゃねえか。」
 と誤魔化されてしまったが、小島正晴県会議長からの電話を待っていた間のあの異様な緊迫感の理由を訊ねると、
 「あの時は正晴が電話をかけて来るか来ないかに全てがかかっていたからな。正晴が親分に電話して来ず、小島正雄法務大臣の方に伺いをたてれば、問答無用で機動隊を出動させて一網打尽。捕まっちまつたら小島組もなにもかも其れで御仕舞い。ジーエンドだって親分には言ってた。」
 「時効になっていない事件の証人が何人もいるのに?」
 「証人?ヤクザが仇を討つのに裁判所やサツ(警察)に頼る訳ねぇだろうが?ヒットマンの親方も実行犯のダンプの運転手も、とっくの昔に、深海の底の乙姫さんの開く宴会場で鯛や平目の御馳走になっているのさ。海の底から証人に立ってはくれねぇだろう」
 とさらりと応えてくれたのだった。
 ヤクザというのは軍隊と同じで、自分の兵隊であってもそれを動かすのには上の了解が必要で、小島健太郎も二百人の小島組の組員を動員して地方に乗り込ませるには、小島健太郎の親分である明石一家総長明石雄一郎に事情を説明し了解を得ていたのだそうだ。ヤクザは縄張り意識が強く、宮城県には宮城県を縄張りにするヤクザ組織が存在し、敵対する積りは無くても、他組織の縄張り無いに踏み込むには、その組織に話し了解を貰って置く必要があった。
 小島正雄法務大臣と明石総長とは面識があり、その時から明石総長は小島代議士にいい感情は持っていなかったようで、
 「地元には俺の名前でローズは通してやる。しかし相手が相手だ。失敗したら指では済まねぇ、その場で腹を切るか法務大臣と刺し違える覚悟でやれ!」
 と小島健太郎を激励し、県の 主だったヤクザ組織に使いを出して、小島一族の内紛問題で有り、話がつき次第直ぐに撤退する旨を伝えておいてくれたのだそうである。
 「小島本家じゃ正雄と菊の関係が最悪だそうだ。首相か殺人犯か。フアストレデイーか殺人犯の妻か。これは究極の選択だわな。正雄本人に直接交渉すれば、形振り構わずあらゆる策を講じて全力でこっちを潰しにかかって来る。そうなればこつちのハッタリなど通用しねぇ。現役の法務大臣とヤクザの組長との差は歴然としている。俺の両親の交通事故の件など持ち出せば、藪を突っいて蛇を出すようなものだからな。別件逮捕されてしまえばそれでアウト。そうなりや、正雄と正晴を誘き出して死刑覚悟で積年の恨みを晴らすしかねぇ。」
 「それで、その囮に私を」
 「さあな、親分からなにも頼まれちゃいねぇんだからそれでいいじゃねぇか」
 「まぁ、そうだけどね。でも正晴さんの説得に従ってあのオヤジさんが引退するなど信じられなかったけどね」
 「だが現実に引退したじゃねぇか。正晴一人じゃ無理だったろうな。正晴が父親に注進すれば、(ふざけるな!儂がひねり潰してやるからお前は引っ込んでろ!)の一言で片付けられ、俺達にとっては最悪の展開になっていただろう。だが殺人犯当事者とその家族では立場が微妙に違う。正晴を揺さぶれば必ず母親の菊に先ずは相談すると推測した親分の読みは正しかった。女房なんて者は旦那の尻の穴まで知っちまっているから、自分の旦那を世間のようには等身大の評価はしちゃいねぇ。(出鱈目だ。捻り潰してやるから黙って見てろ)と見栄を切ったところで(はいそうですか)と引き下がるもんじやねぇ。事は殺人事件だ。なんとしても闇に葬り無かった事にしなくちゃならねぇ当事者とは違い、旦那への不信感や疑心暗鬼に苛まれた果てに女房が選択するのは一番自分にリスクの少ねぇ着地点と云う訳だ。ましてや菊の場合には、千代子とは因縁がある。思い当たる事もあるだろうし、感情の方が先走り法務大臣の言い訳など信じる訳がない。義弟の嫁に横恋慕した果ての強姦殺人。それだけでもプライドの高いゴツトマザーの許容範囲を越えているのに、その上娘にまで手を出そうとして母親の殺害を疑われ夫婦共々殺して仕舞ったなどと云う事が世間に出るのを許せる訳がない。(正晴に後を託して引退して下さい。)と迫るに違いなく、父親から抑え付けられて来ていた正晴も父親の急所を掴み、自身の将来に明るいものを覗き見て1も2もなく母親に同意するだろうと云うのが親分の読みだった。」
 「結果が出てるのだからとやかくいっても仕方がないが、危ない賭けでしたね。私が小島正雄大臣なら(千代子の事は時効が成立している。千草夫婦の事にしても犯人は逮捕され刑務所に入ってとっくに出所して来ている。終わった事件だ。二人の証人と云っても所詮はチンピラヤクザ、そんな者の言う事など誰も信じやしない。健太郎だって自信が無いからスッパ抜かずに揺すって来てるんだ。叩き潰すに限る。第一健太郎はヤクザだ。儂が引退しても必ず又揺すってくるのは間違い無い。禍根は断つしかない)と二人を説得しますがね。」  
 「風間の叔父貴があんたと同じ事を言ってたよ。すると親分が{これまでの愛人問題や献金問題のスキャンダルじゃない。殺人事件だ。証拠があろうがなかろうが、そんな噂がたてば政治家として致命的だ。噂まで封じ込める力は誰にもない。なによりも菊にとって千代子を殺した犯人が自分の夫だったなんて報道は絶対に許せる筈がない。健太郎が憎んでいるのは千代子や千草を殺した小島正雄であって菊や正晴ではない。正雄が家督を含め全てを正晴に譲って引退すれば、小島本家と夫正雄との縁は切れる。小島本家こそ禍根を断たねば為らない。そう計算した菊は、正雄に、久子さんは自分が説得します。久子さんさえ取材に応じなければマスコミも取り上げはしない。そうなれば健太郎は打っ手はなくなる。引退をお願いします。と菊は正雄に迫る筈だ。}と言い。小島本家の内情に詳しい親分の意見に俺逹は従う事にしたんだよ。正直本当か嘘かはしらねぇが、大事な後援会の会長の娘に手をつけた正雄は散々弄んだ果てに正晴と結婚させたと云う話だ。菊がその事実を聞かされたのは正晴との間に二人も子供が出来てからの話で後の祭り、正晴の耳に入ったのは最近らしい。その事であんたの元奥さんの華子さんは父親を揺すっていたようだ。華子さんから聞いた事無かったのかい?」
 「イヤ初耳だ。」
 「まぁなあ、あんたはギヤンブル以外に関心のねぇ人だからな。そう云う訳で菊も正晴も散々 煮え湯を飲まされているから、今度は肚を括るだろうと踏んだのだが、ドンピシヤだったって訳だ。正雄は今度は本当に体調を崩して病院に入院しちまったそうだ。人間あと一歩のところで長年の夢が打ち砕かれた時のショックてのは大変なものだと云うからな。菊との仲は最悪だそうで、今のところは正雄の悪行は暴露されずに正雄も正晴も世間の評判は良く、菊は正晴の将来に賭けて我慢しているようだが、これで正晴の芽までが摘まれちまったらどうなるか?楽しい見世物になると思うぜ」
 と久米は気味の悪い作り笑いを浮かべてそう言ったのだった。

         続く