「高校生にもなって何を考えてやがる!」

 怒声と同時に、拳骨がブッ飛んできた。

 50歳を過ぎているとはいえ、あいつのパンチは強烈で、僕は一発で玄関前の石畳の上に叩きつけられた。

 「おい博!盗んだ百万はどこだ?」

 容赦の無い蹴りが、僕の腰や脇腹に食い込んでくる。

 うっすらと雪の積もった石畳が、忽ち、僕の鼻血と血反吐でイチゴシロップを振りかけたかき氷のようになったが、その程度の事であいつの滾る激情にはなんの影響も齎しはしなかつた。

あいつは、自慢の蛇の皮を貼り付けた趣味の悪いブーツで、 容赦無く僕の顔や頭を踏み躙る。

 母が素足で玄関から飛び出して来て、

 「博、早く義父さんに謝りなさい。あんたも靴で子供の顔を踏みつける事はないでしょう。止めてください!」

 と叫んであいつに武者ぶりついたのだが、あいつは造作も無く母を払い除け、

 「お前が甘やかしてきたから、親の金を盗むような餓鬼に育っちまったんだろうが、博、金はどこに隠した?」

 と再び僕に、立て続けに強烈な蹴りを入れた。

 息が詰まった。

 母がまた武者ぶりついて行ったのだろう、肉を打つ激しい音がし、母が僕の上に被さるように倒れこんで来た。

 あいつの蹴りが僕と母に容赦なく襲いかかってきて、激痛と恐怖で僕の意識に混濁が起こった。

 「荒川の土手に隠してます。明日取ってきます。」

 母はあいつから暴力を受けても、決して悲鳴はあげなかったし涙も見せなかったが、僕は不甲斐なく犯行を認め

しまった。

 しかしあいつは、埼玉の蝮と異名をとる男、僕の苦し紛れの一言で手綱を緩める程甘くはなかった。

 「ふん、隙を見て婆さんの懐にでも逃げ込むつもりか?岩崎、荒川まで行く、車を出せ!」

 僕や母には強くても、祖父の遺産を継いで資産家で有る祖母にはあいつはカラッキリだらしがなかった。

 あいつは小学校にもろくに通っては来なかったような男だが、人の心理を読む事には長けていた。 

 あいつと母が経営するペットショップの役員兼お抱え運転手の岩崎が、ベンツを門前に横付けすると、あいつは僕の腰を蹴りつけ血達磨の僕をベンツの後部席に押し込んだ。



 母が31歳であいつが43歳の時、二人は再婚した。

 母の連れ子の僕は小学校の一年生で、母は二度目、あいつは四度目の結婚だった。

 僕が五歳の誕生日、父も兄弟も無い僕に母はブルドックを買ってくれた。

 そのペットショップの店主があいつだった。

 普段あいつは、デパートの駐車場などで車のワイパーに、自身の店のチラシを挟んで回ったりしていたが、僕達の姿を見掛けると、灰汁の強い表情をこれ以上は無いという程崩して、両手を揉み合わせ擦り寄ってきて、

「犬は、坊ちゃんの良いお友達になります。犬は、坊ちゃんを逞しく成長させますよ。」

 などと卑屈な程の低姿勢で、執拗に店に誘ったものだった。

 僕達を案内してあいつが店に戻ると、店内は急に静かになり、従業員は直立不動の姿勢であいつを迎え、僕達に対しても驚く程に丁重だった。

 しかしそれは、ペットも従業員もあいつに怯えていただけの事だったのだけれども、残念な事に僕達はその事に気付かなかった。

 悪魔は悪魔の顔をしてはいないし、悪党は常に満面に笑みを浮かべて近づいてくるが、その悪臭までは隠せはしないのだ。

 当時のあいつのペットショップは、商店街の外れの貸店舗の一階にあり、決して立地条件が良いとはいえなかったが、商店街では、あいつは金回りの良い男だという評判だった。

 それはそうだろう。

 商品の犬や猫は、従業員を車で都内や他県に派遣し盗んで来させたもので、元手はガソリン代位のもの。

 それを30万だ50万だと売っていたものだから、金回りは良くて当然なのだ。

 もっとも拉致してきた犬や猫の中には、突然の環境の変化に体調を崩して毛艶の悪くなるものも出る。

 するとあいつは、懇意にしているヤクザ者から仕入れていた覚醒剤を注射していたようだった。

 覚醒剤を注射された犬や猫は、買った時は薬のせいで飛び跳ねていても一週間もすれば死んでしまうのだが、売ってしまってからの事にまで責任を持つような男ではなかった。

 しかし中には、文句を言って来る客もある。

 そうした客には、それとなく袖を捲って自慢の刺青をちらつかせ、それでも食い下がってくる客がいた場合には、あいつが憧憬して止まないやくざの幹部を登場させていたようだ。

 注意深く観察していれば、僕達が悪魔の家族にされる事はなかったのだが、不覚と云う他はない。

 しかし埼玉県と云う土地も、日本人に成り済ました朝鮮人達が多数住み、日本人とし地域の支配層に君臨しているところで、多くの日本人同様に、僕達もあいつの正体を見抜けなかったのだ。

 何しろあいつは息をするように嘘を付き、8割方の嘘の中に2つ位の真実を巧みに入れて置くから、あいつの嘘を見破るのは至難の技だった。

 祖母はあいつの調子の良さに胡散臭いものを感じてか、母との交際には反対していたのだが、僕と母がチンピラに付き纏われ、それをあいつがヤクザ映画の主人公のように見事に撃退して、母はあいつにすっかり逆上せ上がってしまったのだった。

 そのチンピラ達が、あいつの付き合いがある、あいつが憧憬するヤクザ組織の幹部の手下達で、僕達は極めて古典的な恋愛詐術に引っ掛ってしまったのだと判明した時には、母はお腹に僕の妹になる洋子を宿していた。

 それだけではなかった。

 母はあいつの勧めに従って、なんと両腕と背中に刺青まで入れてしまっていたのだ。

 自分の女に刺青を入れさせるのは、女を逃がさない為のあいつの常套手段だったようだから、これまであいつは女に逃げられたのではなく、搾り取るだけ搾り取って捨てたのだとは思うが、あいつの離婚した三人の元妻達にも刺青が入っていたという。




 母はお嬢さん育ちで、エレクトラ・コンプレックスが強かったようだ。

 女子大を卒業後、祖父が連れて来た銀行員を、祖父の指示に従い婿養子にとり、僕を産んだが、たった一度の父の浮気を激怒した祖父が、父を家から追いだすのを、母はポカンと見ていたという。

 その祖父が亡くなりそれから二年、祖父の呪縛から漸く解き放たれた時、母の前にタイミング良く出現したのがあいつだった。

 母は自身の意志で選んだ男と、今度こそ幸福になりたかったのだろう。

 二度と夫を離さない。その強い決意が、刺青を入れろなどと言う、あいつの荒唐無稽な指示に従わせたのだと僕は思っている。

 


 あいつが祖母の家に引っ越してきて、僕たちは家族となった。

 母が僕に愛情を持ってくれていた事は疑う余地はないが、あいつが僕に愛情の欠片も持っていなくて、寧ろ憎悪と敵意しか持っていない事は、二人が教会で身内だけの結婚式を挙げた頃から、母や祖母から愛情1杯に育てられてきた僕には気付く事が出来たのだったが、あいつの豹変にただただとまどっていたように思う。

 母が洋子を出産した頃から、躾を口実にしたあいつの僕への虐待が始まった。
 しかしあいつはとても狡猾で、人目につくようなところには決して傷をつけるようなへまはしなかったし、僕も報復が怖くて母や祖母にあいつからの虐待を訴える事は出来なかった。
 僕はいつもあいつから、痛い目に遭うのは、お前が悪いのだと言われていたからで、あいつは相手に罪障感を持たせる事には天才的な話術をもっていた。

 僕が養父であるあいつに殴られ、右の耳の鼓膜が破れるという事が起こり、祖母と母はあいつの僕への虐待に気付いてくれたのだった。

 祖母と母は動転し、スピッツみたいにあいつを非難してくれたのだったが、上品と下品が争って、上品が下品に勝ったという例は無い。

 その日から祖母とあいつの立場が逆転したのだった。

 三対一で話し合っても、最後に頭を下げ謝罪させられるのはいつも僕達の方だった。

 やがて、母と僕はあいつの顔色を窺いながら生活するようになり、祖母は、口八丁手八丁のあいつ機嫌を取る為に、駅前に三階建てのペットショップを建設した。

 あいつは社長、先生と呼ばれるようになり、運転手付きで高級外車を乗り回し、ペットショップの女子従業員の殆どに手を付け愛人にしてしまった。

 そうした紊乱の中で母はますます寡黙になり、憑かれたようにペットの世話に没頭するようになっていたのだけれど、あいつの暴力は母にも及び、濃いサングラスと大きなマスクで顔を隠している日が増えていた。

 母があいつに暴力を振るわれているのを見るのは、僕には自分が殴られるよりも辛かった。




 雪がちらつく荒川の土手で、アイツは猛り狂って、凍結した土手を僕に掘り続けさせた。

 掘っても、掘っても、百万円どころか十円玉の一個さえも出て来ない。

 御伽噺の<花咲かじいさん>ではないのだから、埋めた覚えの無い金が出て来る道理はない。

 雪が本降りになり、寒さでスコップを持つ手が痺れていた。

 隙を見てスコップを振り上げて襲いかかれば、うまくいけば逃げられるかもしれないとは思つたのだが、木刀を片手に仁王立しているあいつを見れば、恐ろしくてとてもそんな勇気は出なかった。 

 通用するとは思えなかったが、窮余の一策で、

「誰かが持って行ったのかも知れん」

 と呟いた瞬間、強かに腰の辺りを蹴飛ばされ、土手の途中から河原まで僕は転げ落ちた。

 観念して、女の子達とディズニーランドに行き全部使ってしまったと告げると、あいつは僕を家に連れ戻し、木刀で散々に打擲した後ロープで縛り上げ、凍結した石畳の上に正座させてご丁寧にも膝の上にブロックまで積み重ね、

「この餓鬼が、この糞餓鬼が舐めた真似を・・・」

 と呻吟し、真冬だというのにホースで僕に水を浴びせ掛けた。

 あまりの衝撃に僕は途中で失神してしまった。

 あいつが溺愛している洋子が、母と一緒に泣いて命乞いをしていてくれていなければ、僕は躾を口実に殺されていただろう。

 鼻骨、腓骨、肋骨を複雑骨折した僕は、祖母の知人が経営する病院に入院したのだった。

 祖母と母は、僕をあいつの魔の手から逃れさせる為、退院した僕を単身アメリカに留学させてくれたのだった。



 僕があいつと再会したのは、秘密裏に帰国した後、京都の大学の法学部に籍を置き、司法試験に臨んで準備をしている時だった。 

 アパートを急襲されたのだ。

 何が目的だったのかは分からない。

 人を驚愕させる事の大好きなあいつの事だから、単純に僕の恐怖に引き攣る顔を見る為だけに、埼玉から京都まで、岩崎にポルシェを運転させたのかもしれない。

 八畳間のワンLDKでは、ドアを開ければ一目瞭然。

 僕がロスでハイスクール時代に空手道場に通い、今ではそこそこの腕前である事は、空手着を縛り吊るしている黒帯や、パネルにして壁に貼ってある試合中の僕の写真を見れば、詳細を語る必要はなかった筈だ。

 「帰って来てるってのは本当だったのだな・・・検事になる為に猛勉強中だとは聞いていたが、随分と難しそうな本を読んでいるんだな、疲れてるだろう?そうじゃないかと思って疲れの取れるドリンクを持って来てやった。一息いれたらどうだ?」

 あいつは昔から、その一瓶にスタミナの源が凝縮されてでもいるかの口調で、(赤まむし)ドリンクを他人に勧める癖があった。

「結構です。飲みません。用件は何ですか?」

「ほう強気だな。嘘つきは泥棒の始まり、盗人は人殺しへの導火線と言ってな。親の金を盗んでいた奴が検事になりたいとは笑わせてくれる。まぁそんな事はどうでもいいが、遠くからわざわざ訪ねて来た親を、部屋にも入れず入口に立たせたままとはどういう了見だ。教育をし直さなくてはいかんようだな、なぁ、岩崎!」

「だから何の用かと聞いているんです」

 僕は少し後退りし身構え、岩崎を睨みつけた。

 たとえ相手が二人でも、飛び道具でも持っていない限り負けない自信が僕にはあった。 

 こういう日が来るだろう事を予測して、体を鍛え空手の稽古に精進してきたのだ。

 母と僕とを殺害しなければ、祖母の財産は自分の物にならないと、あいつが岩崎に言っているのを耳した事があったからだ。

 岩崎は目を逸らし、あいつは唇を歪めて薄ら笑いを浮かべると、

「この儂にこういう無礼を働くと、お前の上品なお母様が又痛い目に遭う事になるんだがな・・・」と言い、

 岩崎を促すと、あいつは意外な程呆気無く引き揚げて行ったのだった。


 あいつと母と岩崎とが連続殺人事件の容疑者として逮捕されたのは、アイツと再会した三ヶ月後の事だった。

 アパートを強襲された日、僕はアイツの捨て台詞が気になって母に電話をしたところ、慳貧なあいつの性格に乗じて、税金対策を理由に法律上離婚し別居しており、アイツは家を出て岩崎のトレーラーハウスに寄宿していて会っていないから、心配しなくて良いという返事を貰っていた。

 だから母の逮捕には本当に仰天した。

 あいつと母には接見禁止がつき、母の置かれている状況が把握できなかった事もあって、当初、僕はあいつの逮捕を単純に喜んでいた。

 母の逮捕は、強かなアイツの容疑を固める為のいわば重要参考人のようなもので、直ぐに釈放されるだろうと楽観していたのだ。


 事件の発端は、あいつが行っていた<子返し>で、

「番で三百万じゃ安い。半年経って子犬が産まれたら、一匹、五十万で引き取りますよ。六匹も生まれてごらんなさい、半年でもう元がとれちまいますよ。」

 などと約束し、半年経って客が子犬を連れて再訪問すると、あれこれ難癖をつけて一匹五万円程で買い叩き、それを別の客に一匹百万前後で売りつけていたのだそうだ。

 しかし、そんな事がいつもいつも通用する訳がない。

 筋彫のライオンの刺青を見せても、関東の殺しの軍団と畏怖される暴力団幹部にご登場願っても、一向に怯まず約束の履行を強行に迫る客に閉口し、アイツは客に毒入りの<赤まむし>ドリンクを振舞い、岩崎の自宅であるトレーラーハウスに運び込んで解体し焼却したという。

 その殺害を嗅ぎ付けた[用心棒]の暴力団幹部とその運転手の二人にも、巧みに件のドリンクを勧めて殺し、母や岩崎に手伝わせて岩崎のトレーラーハウスに運び込み、解体して焼却し、[遺体を透明]にしていたというのだ。 

 他にも、それらの事件を嗅ぎ付けた愛人の女子従業員も殺害し遺体を焼却していたそうだ。

 遺体が発見されなければ、警察は捜査本部が置けず家出人として扱うしかない。

 

 四人もの人間が突然消息を絶った事から俄然マスコミが騒ぎ出し、マスコミ主導型で捜査が始り、あいつと母と岩崎の三人の逮捕と同時にペットショップは勿論の事、祖母や母の家にも警察マスコミ関係者が押し寄せた。

 カメラマンやレポーターといった人達が、アフリカのサバンナで足を挫いて逃げ遅れた小鹿に群がるハイエナの集団のように、怯え戦く祖母と洋子に襲い掛っているのをテレビで観て、僕は洋子を学校から直接京都の僕のアパートに避難させ、祖母には彼女の知人が経営する病院に入院するよう勧めた。

 メディアによると、あいつの周辺では、あいつが10代の頃から僕の母と結婚するまでに、不可解な行方不明者が40数名も出ていたそうで、殺人鬼を野放しにしているという非難を浴びた警察は、物的証拠の皆無なこの事件を解決するには、共犯者と目される岩崎を籠絡し協力させる事だと考え、岩崎の妻を別件で逮捕したのだった。

 そして岩崎の妻の保釈を条件に司法取引をした結果、あいつの犯罪は次々と白日のもとに曝される事になったのだ。

 勿論日本では、この当時表向きには司法取引など許されてはいない。

 だがこの国の司法は真実追及という大義名分さえあれば、禁じ手を使う事に躊躇をしたりはしない。

 しかし、その司法取引は、あいつ一人の犯行では不自然な部分をも浮き彫りにし、岩崎が果たしていたその役割の部分に、母を填め込み辻褄を合せようと捜査官達はしていて、母は不利な状況下にあると言う事だったが、当時の僕は警察や検察を盲目的に信じていたから、祖母と母と洋子の4人家族仲良く暮らせる日が来る事を疑う事はなかつたのだった。



 日本では許可されていない司法取引時の密約を反故にし、岩崎を殺人罪で起訴などすれば岩崎に臍を曲げられ、公判が維持出来なくなりあいつを取り逃がしてしまう事になりかねないから、検察は裁判の進行を見守っているのだろうと僕は解釈していた。

 これは後日母の弁護士から聞いたのだが、逮捕当初、岩崎の裏切りを知り逃げられないと悟つたあいつは、四人の被害者は岩崎を手伝わせて殺害したと供述していたのだそうだが、その後の取り調べで警察や検察が、岩崎の役割を母の役割にすり替えようと誘導した事から、あいつは、自分を逮捕する為に岩崎と取り引きをした警察と検察が、今度はあいつを死刑にする為に、母を生け贄にしようとしている事を察知し、調べが進むにしたがい次々と供述を変更、今では母の主導によって四人を殺害したと供述しているという。

 女性を便器か踏み台としか考えていないあいつは、捜査当局の誘導に乗ったほうが、長生きできると計算しての事だろう。

 あいつと母と岩崎が逮捕されて以来、テレビはどのチャンネルを廻しても、この(愛犬家連続殺人事件)の報道をしていた。

 それは警察発表をそのまま電波に乗せているといった稚拙で危険な内容で、起訴もされていないうちから三人を犯人として扱い、世間を代表するといった立場で一勢にリンチにしているという感じがした。

 論理ではなく感情という単純明快な図式を重んじ、善意という価値のデジタル化を企てているテレビメディアを、僕は冷静さが無く恐ろしいと思った。

 テレビの次は雑誌だった。

 雑誌メディアには辛うじて冷静さは残っていたものの、逮捕から一貫して容疑を否認している母を強かな女として批判していた。

 調べ官に罵られようが涙ひとつ流さなかった母が、ペットショップの動物たちが保健所の職員達の手で始末されたと刑事から告げられた時には、顔を両手で覆い号泣したこと事から、自供も間近だと警察情報を垂れ流している週刊誌もあった。

 また、六年前にも容疑者の16歳の長男と、15歳の女子従業員とが前後して行方不明になっていると、恰(あたか)も僕達までもが殺害されてでもいるかのように報道している週刊誌があり、刑事が二人京都まで僕を訪ねて来たりもした。



 母に似て黒目勝ちの大きな瞳の洋子は、京都駅の新幹線ホームで僕の顔を見つけるなり抱きついて来て、人前も憚らず泣きじゃくった。

 よほど恐ろしい思いをしたのだろう。風が硝子窓にそっと触れて通っただけで、まるで瘧のように体を震わせた。

 洋子は僕など比較にならないほど、学校の成績が良かった。

 祖母にも母にも愛され、その上獣のようなあいつにさえ溺愛されていた。

 三つ四つの頃から岩崎の運転するベンツで、英語教室、ピアノ教室、バレエ教室に通っていて、小学校二年生からはゴルフまで習っていた。

 僕はあの頃どれ程洋子に嫉妬し、養父であるアイツを憎悪していた事か。 

 その洋子が失意の底にいた。

 刑事に逮捕状を突きつけられた時、失神したという母は無実でも、洋子の父親であるあいつが殺人を犯している事は明白なのだ。

 僕のアパートに転がり込んできて一カ月程経った頃、洋子は高校を退学すると言い出した。

「洋子、お前医者になるのが夢だったのじゃなかったのか?」

「パパの娘の私に命を救ってもらいたいなんて人はいないわ、介護士の資格をとって、お年寄りのお世話をするの。洋子はパパの娘なの、お兄ちゃんとは立つ位置が違うのよ。」

 洋子は、それでなくても長い睫毛のせいで、睫毛が影を落として寂し気に見える顔に、さらに寂しげな微笑みを浮かべた。

 洋子を祖母の知人の養女にし、姓を変えて転校させる準備を祖母が進めている時だった。

「親は親、洋子は洋子だ。責任を感じる事などない。それに、世の中の為・人の為に役立つ人間になりたいと思うなら、大学位卒業していなければ何も出来やしない。今時高校中退じゃ話にならない、早まっちゃ駄目だよ。」

 母に似て寡黙な頑張り屋さんだが、頑固なところも母にそっくりな洋子は、僕や祖母の反対を押し切り、高校を中退し、近くの老人ホームに勤め始めたのだった。

 


 学歴コンプレックスの塊のようなあいつが、法廷では小心な中年男を演じ、

 「儂は、無学文盲な気の弱い養子で、大学を出て頭の良い奥さんには頭が上がらず、いつも尻に敷かれていました。」 

 などとふざけた証言をしていたが、行方不明の一人とされていたペットショップの元女子従業員が検察側の証人として証言台に立ち、親に見放され行き場のなかった15歳の少女がどのような脅し文句を並べられてあいつの愛人にされたのかを証言した後、弁護士の反対尋問に応えて、地獄のような愛人生活からの脱却を勧め百万円の逃亡資金を提供した人物がいた事を告白し、その人物の名を明かした時、被告人席から傍聴席の僕を振り返り見たあいつの顔は、まさに般若面そのものだった。

 僕はこの時のあいつの恐ろしい形相を、二段も三段も高い判事席から俯瞰している三人の裁判官が、美しく成長した証人の涙に気を取られて見逃したりしていない事を願わずにはいられなかった。



「先生、どうして検察はあいつや母の殺人の証拠にもならない証言をさせる為に、あの人を出廷させたのですか?」

「あの人って、あの行方不明の一人とされていた娘さんの事かね?」

「そうです。彼女は結婚して子供さんもいるんですよ。いまさら可哀想じゃないですか。」

「しかし、居所を警察に教えたのは君なんだろう?」

「そうです。僕達が同時期に行方不明になっているからと、刑事が京都まで訪ねてきましたから・・・」

「この事件はまったく物的証拠が無くて起訴しているから、無理も無茶もするさ。被告人がいかに凶暴な男だったかという状況証拠を積み重ねていくしか検察には手がないんだよ。それともう一つ、彼女にどうしても出廷して貰わなければならない理由が、警察にもあったんだ。」

「なんですかそれは?」

「被告人の周囲では、四十数名にものぼる行方不明者が出ていると煩いマスコミに対して、彼女を登場させる事で、失踪者の全てが被告人に殺害され透明にされている訳ではないとアピールし、警察や検察が凶悪犯を野放しにして来たという追求や批判を封じ込める意図があったのだと思うね。」

「そんな事の為に、彼女は触れらたくない過去を大勢の前で喋らされたんですか?」

「拒否は出来るさ。君に助けられた事を恩義に思っていて君のお母さんを助けたかったのだろう。脅されての事とはいえ、少女の頃に連続殺人事件の犯人の愛人だったなんて事は家族には知られたくないから、勇氣がいった事だろうね。ここだけの話だが、私の知人の刑事が、被告人の関元が19歳の時に奴の勤めるラーメン屋から出火して、ラーメン屋の店主夫妻が焼死した以外にも、被告人の周囲では四十数名にものぼる人達が行方不明になっているが、ラーメン屋夫婦以外は死体が一体も出ていないのだそうだ。しかも、四、五人の不可思議な失踪が続き、警察が関元をマークすると、それから十年程は何も起こらず、十年程経って忘れた頃に又、不可思議な失踪者が関元の周囲でバタバタ続くのだそうだ。しかし、遺体が出ない為、警察は関元から事情聴取をするのが精一杯だったようだ。」

関元と云うのがあいつの名前だ。

「時効の壁に阻まれたと書いていた新聞もありましたね。」

「だから関元は警察を舐めきっていたんだね。」

「あいつの供述の変更は、警察や検察に挑戦しようとしているのじゃないのでしょうか?あいつは、逮捕時に捜査官に、俺は日本一の殺し屋だと言っていたというぐらいですから、死刑は覚悟していたと思うのです。だから供述の変更は、検事や判事を相手に嘘をつき通して、無実の母に死刑判決を出させる事で、最後にもう一人殺して、衆人環視のもとでの完全犯罪でも企んでいるのじゃないですか?」

「ハハハ、それはないだろうが・・・だが三人が死刑執行された後に、どこからか関元の遺書が出現して、その遺書に四人を殺したのはあいつと岩崎の二人で、君のお母さんには遺体の運搬を手伝わせただけだなんて事が書かれてでもすれば、これはとんでもない事になる。関元ならやりかねんな。そんな事になれば司法は信頼を完全に失う事になる。」

 と母の弁護士は縁起でもない事を言ったものだった。


 介護士の資格を取得した洋子は、老人介護の仕事で近々僻地に赴任する。

 僕よりはるかに学校の成績の良かった洋子だけに残念な気もするが、洋子の決意を尊重し応援していくつもりだ。



 洋子へのあいつからの手紙を盗み見た事がある。

 警察の留置場から発進したものだろう。

 そこには、便箋一枚に大きなクマのぬいぐるみが描かれていた。

 あいつの接見禁止が解除されれば、返信するつもりだったのだろう発送されないままの洋子のカードも重ねられていて、

 『お誕生日プレゼント、パパありがとう。』と書かれていた。

すっかり忘れていたが、洋子の誕生日は、あいつと母が逮捕された日の翌日だったのだ。


 捜査官と岩崎の司法取引に争点を絞った母の弁護団の法廷戦略は、憲法解釈なら最高裁でと先送りされ、物的証拠を残さず殺人を繰り返してきた殺人鬼を吊るし首にする為、母が生け贄にされ兼ねない危惧があった。

 しかし、もともと物的証拠は何も無く起訴されているのであれば、無実を証明する証拠も無い訳で、母が殺人罪で裁かれる事になったのは、二転三転して信用出来ないあいつと、岩崎の自身に都合の良い供述調書のみというのだから、止むを得ないのかもしれない。



 四人の死体の運搬に関与し、そのすべての解体に自宅を提供し、解体に使用した包丁の始末まであいつから任されていた岩崎が、分離裁判で殺人には関与していないと判断され、懲役三年という驚くべき一審判決が一足先に出た。 

 すると、殺人はあいつの単独犯行だと裁判所が判断したのだろうと言う弁護士と、殺人は被告人夫婦による犯行と判断したと考えるべきだという弁護士に分かれ、母の弁護団の中にも危機感を募らせる人と楽観視する人が出ていた。

 僕には岩崎の三年の懲役という軽い刑が不可解で不気味だったが、今は僕も母もこの国の裁判所を信じて審理が終わるのを待つしかないと思っている。



 あいつも生まれた時は、無垢な赤ん坊だった筈だ。

 自身の内の欲望や怠け心をつけ込まれ、悪魔に心を占領されてしまったのだろう。

 僕は自分自身に負けない人間にならねばならない。

 それは天敵であるあいつから学んだ事だ。

 そのうえで、何十年かかろうが司法試験に合格するのだ。

 あいつは祖母から受け継がれるであろう母の財産が目的で、僕たちに接近して来た。

 母は祖母や僕を人質いに取られて苛め抜かれ、最後には死体運搬まで手伝わされている。

 母は弱みにつけ込まれ、知らないうちに共犯者にされていたのだ。

 (なぜ、不審を感じた時に警察に駆け込まなかったのか?)

 などと母と非難する人は、幸運にもこれまで悪魔と接触のなかった人で、あいつの恐ろしさを知らないのだ。

 悪魔もあそこまで育ってしまえば、普通の人ではどうにもならない。

 現実に何10人もの大の男が、あいつによっていとも簡単に殺されているのだ。

 世間知らずの母を洗脳し操る事など、あいつにとっては造作もない事だったに違いない。

 もっとも警察は、自分達の怠慢の発覚を恐れて、過去の行方不明者数10人の捜査は打ち切り口を噤んでいるが、本当はそうした警察の姿勢が悪魔を育てたのだと僕は思っている。

 可哀想な母。可哀想な洋子にお婆ちゃん。4人で支えあってくらして行きたい。


 司法試験に合格したなら、母のような犠牲者を出さない為に、僕はあいつのような悪魔が育つ前に、悪の芽を摘み、この世から悪党を駆逐するのだ。

                       完