映画100本チャレンジ 20本目

「アメリカン・マーダー」

 

 

さ、100本チャレンジに戻ってまいりました。

 

「アメリカン・マーダー」

 

いわゆるドキュメンタリー映画。

 

アメリカで実際に起きた事件で、当時収められた

事情聴取の映像や裁判の様子など本物の

映像で構成されている。

 

事件の始まりは妻と娘二人が失踪したこと。

 

妻の友人が彼女と連絡が取れないと家を訪れ

夫と探し回る。

 

妻が失踪した時、夫は家を外していた様子。

 

駐車場に設置された防犯カメラに怪しい人物や、

妻が出ていく様子は映されていなかった。

 

夫が夜何かを車に入れているところだけ

映し出されていた。

 

落ち着かない夫の様子に周りは疑いを持ち始める。

 

そしていよいよ警察が動き出し、

本格的な捜査に入る。

 

結果犯人は夫であることが分かるが、

彼は泣きながらこう供述した。

 

自分が帰ってくると、妻が娘二人を殺していた。

だから気が動転して妻を殺してしまったのだと。

 

だが妻から日頃相談を受けていた友人女性の証言からすると

妻はとても娘たちを大切に思っていた様子。

 

とても彼女がそんなことをするようには思えない。

 

しかし夫は夫婦仲がうまくいっておらず

離婚を検討していたことや、それによって

彼女を傷つけてしまった、傷つけるようなことを言ってしまった、

だから彼女も気が動転していたんだと思うと話す。

 

しかし警察の意見は変わらず、夫が三人を殺害したのではないかと

問い詰める。

 

すると彼は自分の父親と二人で話をさせて欲しいと訴える。

 

要求を呑む警察。

 

そして二人きりにすると、彼は事実を述べた。

 

彼が三人を殺し、遺体を職場の石油工場の近くに遺棄したと。

 

その証言の元すぐ調べに入ると

妻は埋められ、娘は石油缶の中に入れられていたという。

 

最初妻を殺し、遺体を車に積み込むと

娘を連れて石油工場に向かった。

 

その後長女を車の中で殺し、

次女も「私もこうなるの?」「やめて、パパ」と言われる中で

殺したそうだ。

 

さらに調べていくと、夫には浮気相手がいたことと

妻のお腹にはもう一人いたことが判明。

 

浮気相手と人生をやり直しを図るため、

邪魔であった元妻と子供を殺したのが動機ではないかとされている。

 

アメリカでは元パートナーに殺される女性が

あとを絶たないんだとか。

 

とても怖い。

 

この犯人は事情聴取内で最初の方はいい夫を演じ、

如何にも悲劇の旦那っていう印象を与えている。

 

でも実際はおそらく衝動的ではなく

計画的に行われた犯行とされている。

 

さらに娘の罪を妻にかぶせることで刑を軽くしようという

がめつささえある。

 

一見ありがちな事件に見えるけれど

非情に残忍。

 

あとこれは映画内ではなく、そのあと調べて分かったことなんだけれど

娘の遺棄された場所、石油缶について。

 

映像だと分かりづらいけれど、どうやら実際は直径30センチしかなかったらしい。

 

そこに3歳の娘を折りたたむように入れていたとか。

 

石油缶の上の方と言うか、淵のところには

髪の毛が絡まっていたり、血がついたりしていた様子。

 

死因自体は首を絞めたことによる窒息死らしいけれど、

入れる時に無理やり押し込んだことで擦り傷ができたり

髪の毛が抜けたりしたとのこと。

 

恐ろしい。

 

人はいくつもの顔を持っている。

 

それはたぶん日常生活の中でもそう。

 

家の中の顔、会社での顔、友人の前での顔……

 

誰もが何個かの顔を持ち合わせている。

 

それは当然のことだと思う。

 

だけれどそれが殺人犯だなんて誰も予想していないだろうし、

ましてや家族であれば疑いもしないはず。

 

でも実際こういう事件が発生しているということは

自分にも起こりえることなのかもしれない。

 

それは家族と言う関係でなくても

恋人、友人、どこにどんな顔が隠されているか分からない。

 

けどきっとこれは100%防ぐというのは難しいんだと思う。

 

それぞれに感情を持っているのだから仕方がない。

 

でもそうならないよう努力することはできるのかもしれない。

 

例えばちゃんと言葉にするとか。

 

こういう事件は互いの鬱憤が溜まった末路というケースが多い。

 

だから常日頃コミュニケーションや適切な距離というのが必要なんだと思う。

 

もちろん言葉にしていたって起きる時は起きるのかもしれないけれど。

 

でもできるだけそうならないために「何に不満を持っているのか」

「今自分はどうしたいのか」「相手は自分にどうして欲しいのか」

そう言った思いをちゃんと交わしていく努力はしていきたい。

 

特に日本人は「察して」文化が強いのでより意識していきたいし、

周りにも意識して欲しい。

 

時に言葉にしてもすれ違うのに言葉にせず

互いを理解して欲しいというのは無理な話なわけで。

 

そもそも自分を振り返った時、自分のことを100%

理解できているかと言うのも怪しい。

 

自分のことだって時々分からなくなるのに

他人を理解しようなど無理だし、烏滸がましいと思う。

 

だからこそ、ちゃんと言葉にして伝えなきゃ伝わらないし、

伝わらなければ思いが一方的に溢れて

取り返しのつかないことになる。

 

それは殺人と言う形でなくても喧嘩とかだってそう。

 

友人と喧嘩して距離を置いている、とかだって

話せばわかるものを話さないことで連絡とれなくなったりして

気が付けば大切だった「友人」を無くしているのかもしれない。

 

そういう色んな大切なものを取りこぼさないように、

自分は言葉を大切にして行けたらいいなと思う。