1980年代なので40年以上前ですが、通産省(当時)がソフトウェアクライシスと言いだし、Σ計画がぶち上げられたことがありました。当時、2000年にはソフトウェア開発需要が34兆6千億円に達し、この開発需要を満たすだけの技術者を確保することができず、危機的状況(クライシス)になると書かれていました。産業構造審議会という現場を知らず机上で数字をいじる机上の空論学者達が答申した数字によれば、不足数は1990年に25万人(60万人説あり)、2000年には97万人(215万人説あり)に達するという予測でした。答申を受けた通産省は、これに対応するために諸施策を考えましたが、仕様を形にするにはプログラミングという属人的な作業が必要なので、どうしても人手が必要になります。で、人手が足りない・・・


 

昔在籍していた会社の研修で、ソフトウェア生産に於ける属人性の問題が分かる数字を示されたことがありました。それをグラフ化すると以下のとおりです。

これは、AT&Tが1960年代に調査した結果なのでいささか古いものですが、人によってプログラミングで約8倍、テストで約10倍の開きがあることがわかります。この話をある大学の大学院で講演した際に紹介したところ、参加者の一人で理科大の先生が同様の検証を行い同じような結果を得たと言っていました。昔も今も変わっていないことが分かり、ソフトウェア業界は属人性の高い業界であることが改めて理解できます。IEEEの調査でも属人性が最上位に来ています。

だからこそ通産省は工業化をしたいということで、有識者にΣ計画を作ってもらったのでしょう。この計画に基づき、コンピュータメーカ各社から技術者がかき集められた大きなプロジェクトでしたが、結局失敗に終わり、日経コンピュータの1990年2月12日号に❝Σ計画の総決算/250億円と5年をかけた国家プロジェクトの失敗❞という記事で総括されました。

 

ソフトウェアクライシス対策として❝不足する技術者をソフトウェア開発を効率化(生産性の向上)することでカバーしよう❞という狙いは間違ってはいません。ソフトウェア部品を共通化し、それを企業間で共有しようという構想も悪くなかったし、そのベースにオープンなUNIXを採用したことも、間違っていなかったと思います。それがどうして失敗したのでしょう?

①生産性を向上させる開発支援ツール群(Σツール)は、開発支援に必要な機能が乏しかった

②ソフトの部品化や再利用を可能にするはずのΣOSやΣワークステーションも仕様が緩かった

ということで、部品の共通化を図り、これを各企業で共有するという目標が達成できないというΣ計画の根幹が揺るがす事態になったしまったようです。メーカー間で互換性が無いのでは業界(国)全体としての生産性向上ができません。開発現場の経験がなく、泥をかぶり恥をかきながら仕事をした経験のない有識者と称する答申した皆さんは、開発支援に必要な機能が具体的にイメージできなかったのかもしれません。また、OSの様な基本ソフトウェアやワークステーションのハードウェア仕様を緩くしたことで、如何様にも解釈できてしまうことがどれほど問題なのかを理解できていなかったと思われます。しかし、依って立つところがグラグラしていては、その上に立つソフトウェア(システム)は安定せず、共通化はできないということに気が付かない専門家とは・・・まさか砂上の楼閣という言葉を知らなかった?

 

そもそも、プロプライエタリproprietary)である各社各様のメインフレームを作っていた富士通、日立が共通仕様環境に熱心であるはずがなく、仕様を決めるための議論を仕切れるプロジェクトリーダもいない中で、通産官僚も何をして良いのか分からない状態だったということが原因ではなかったと思います。泥をかぶったことなく、集めた情報を机上で整理することに長けた有識者と称する皆さんが作った実行不可能な玉虫色の計画だったということで、当時の予算で250億を投じたΣ計画は終わりました。

 

ソフトウェアクライシスと大騒ぎしたあの騒動はいつの間にか話題にならなくなり、その後、たびたび××クライシスなどと言われ、Society5.0とか2025年の崖(壁)、そして今はDXDXと連呼されています。詰まるところ、開発需要を満たすだけの人材がいないという話が、言葉を変えて何十年も繰り返されているということです。底の浅いブームに煽られ、その都度付和雷同に大騒ぎするのではなく、地に足を付けて地道な人材育成、環境整備を行っていく姿勢が求められます。もちろん、有識者は机上の空論学者ではなく、泥をかぶり恥をかき、地に這いつくばって頑張ってきた本物をお願いしたいところです。

 

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