ユビキタス構想は、パロアルト研究所のMark Weiser氏が1991年に発表したThe Computer for the 21st Centuryに書かれているものですが、日本では坂村健が提唱したことで広く知られていました。この構想を実現するためのインフラとして同氏が考えたOSがTRON。独特のユーモアの持ち主である彼は、用途別にICBM-TRONと名付けました。ICBM-TRONとは、ITRON、CTRON、BTRON、MTRONで、用途別に、Industrial、Commercial、Business、Manufactureringの頭文字をとったものです。当時東大の助手時代の坂村さんに、教育用にETRON(Educational-TRON)は作らないのかと聞いたことがありましたが、用途別にどの様な機能の差別化をしていたかは分かりません。しかし、ICBM-TRONとは!

 

このTRON、バブル期の真っ最中であったこともあり、通産省(当時)も大いに乗り気で、政府肝入りでTRONプロジェクトが立ち上がり、国内メーカはこぞって参加しました(させられました)。私の出身会社のCPU/OS/本体/周辺機器を開発していた事業所から、OS開発の友人たちもTRONプロジェクトに組み込まれました。当時のNewsweekにTRONが紹介され、日本の国旗とTRONが日の丸OSとして大きく映った表紙が印象深く残っていますが、TRONの本を買い(1987年)、今でも持っています。

Japan as Number One(ジャパン アズ ナンバーワン)の本が出たのは1979年頃でしたが、GDPでドイツを抜いたのはそれより前の1968年。それ以降も、半導体、自動車、家電で世界を席巻するまでになり、米国は下に見ていた日本が戦後の荒廃から立ち直っただけではなく、米国の象徴であるエンパイヤステートビルやロックフェラーセンタまで日本に飲み込まれ、日本脅威論が渦巻いてきた時期でした。そんな中で、米国がデジタル化社会の入り口にあった世界を席巻する可能性のあるOSを日本に握られては困ると考えたのは当然でしょう。

 

最初にコンセプトがあり、それを具現化する設計をするTRONは、確固たるコンセプトなくとりあえずニーズを実装して市場の様子を見てリビジョンアップ、バージョンアップするという謂わば屋上屋を重ねる形のWindowsとは作りが違い、オーバヘッドが少なく(高性能)、故障が少ない(信頼性が高い)ことは自明です。マーケットオリエンティッドな米国流と、技術者としての定石を踏まえる日本との違いかもしれません。1990年代前半に日経バイト誌でみた、当時のサーバ用OSであったWindowsNTの総ステップ数が1500万ステップには驚きました。都銀などの大規模システム用のOSにVOS3(日立)がありましたが、これが約300万ステップ。その5倍とは!屋上屋を重ねる開発姿勢を容易に想像させるステップ数でした。

 

既述のようにTRONは、オーバヘッドが少なく、故障も少なく、信頼性が高いものでしたが、ユーザインターフェイス、ファイルシステムというアプリケーションを作るために必要な機能はありませんでした。開発計画にはあったと思いますが、そのままではビジネス分野では広がることは難しかったと思われました。坂村さんは、Windowsと協調してその部分を補完することを考えていたのかもしれません。しかし何はともあれ、TRONが世界を席巻し続けたい米国には目障りな存在であることに変わりはなく、ビジネス分野に乗り出すことは阻止されました。米国に阻止されたのはTRON以前にもありました。

 

通産省(当時)指導の下にIBM互換機路線を採っていたのは大型汎用機で国内シェアでしのぎを削っていた日立と富士通でしたが、IBMのシェアと拮抗していました。日本以外の他の国でのIBMのシェアは80%前後もあり、まさに一人勝ちの状態でしたが、日本では国内メーカが頑張っていました。そもそも、どうしてIBMが互換戦略を容認していたのでしょう。それはIBM互換路線を採ってもらい、同じアークテクチャで市場を拡げてもらった方が自社にとっても販路が拡がると考えたからだと推測できます。黎明期は確かにその作戦は奏功しました。しかし市場は確かに拡大したものの、その市場は力をつけた日立、富士通が獲得し、どんどんシェアを上げてしまい、日立、富士通、IBMの3社がほぼ同じシェアで拮抗する状況になりました。これは他の国では考えられなかったことで、互換機路線のビジネスモデルでその国を自社マシンで席巻するというIBMの戦略は見事に外れてしまいました。

 

世界に君臨してきた自信が、日本も他の国と同様、IBMに伍して製品開発できるメーカはないという唯我独尊な発想に陥らせてしまったのかもしれません。IBMは互換路線を採りにくくするためにOSの一部をファームウェア化してソースコードを解析できないようにするなど、さまざまな対策を取り始めました。しかし、それでもシェア増にはつながらず、著作権で攻めようと考えたようです。そこでFBIの登場です。ワナをしかけたオトリ捜査が始まりました。これが俗にいうFBIとIBMとの合作=FBIBM事件です!この方面にウブな日本の技術者達はFBIのシナリオに沿って次第に深くワナにはまり、逮捕に至りました。

何かにつけ、米国には服従してしまう日本(政府)の情けなさですが、未だに敗戦のトラウマがあるのかもしれません。残念なことです。

 

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