2000年台前半は、電子カルテがなかなか普及しなかった時代でした。それには様々な要因がありますが、最たるものは使い勝手とレスポンスでした。実態を踏まえない使い勝手の悪さに、学会ではホームページ上で拙速な電子カルテ導入に注意を喚起したことがあるほどです。

使い勝手の悪い操作性は、現場の作業実態を十分調査しないまま作った作り手の問題、あるいは出来合いのパッケージを適用した問題だと思います。レスポンスは作り手の技量の問題もありますが、当時には性能の良い製品がなかったことです。例えば高精細な画像を瞬時に表示する性能を持つCPUは汎用品ではありませんでした。2014年のノート用i7(4500u)でさえ、passmarkが2600程度しかありませんでした。今は30000を超えるものがあり、20000前後が一般的です。当時の非力なCPUで画素数の多い画像を瞬時に表示することは困難=見たい画像(情報)をストレスなく表示することはできませんでした。

 

最近では静止画像は元より動画でも問題なく扱えるハードウェア環境になり、電子カルテの導入も進んできたようですが、厚労省のホームページにある電子カルテの普及率をみると、まだまだの状況が分かります。

普及が進まないのは、費用なのか、使い勝手なのか、それとも何十年と使い慣れた紙のカルテへの信頼なのか?私は使おうという気にならない使い勝手が最たる要因ではないかと思っています。

 

そもそも、電子カルテの仕様を決める際に、どれだけ現場に入り込んで診察の状況を観察したのでしょうか?院長、医局長、一家言ある医師にヒアリングして決めるような決め方では、使い勝手の良い画面レイアウト、遷移にはならないことを理解しているのでしょうか?例えば大分前でしたが、あるSIerのホームページから抜粋してきた画面はこんな具合でした。

コックピットのように、そこから何でもできるようになっていますが、この何でもできるという点が、実は使い勝手の悪さにつながっているのです。しかし、使っているうちに慣れてしまい、別段問題がないように思えてきます。そこが、営業がいう『そのうち慣れます』というところです。使い勝手の悪さを慣れでカバー・・・いつの間にかそれで良いということになってしまうことが、本当にユーザインターフェイスに優れているということになるのでしょうか?

 

私の院内業務総合電子化プロジェクトで纏めたカルテの仕様は以下のとおりですが、これは医師の代表者ではなく、医局会に諮って全ての医師から電子カルテへの期待と要望を収集するだけではなく、医師につく外来の介助ナースにもヒアリングし、且つ患者さんの許可を得て診察風景を撮影し、何を見て/診て、何を確認し、何を書いているか、患者、医師、ナースの間でどんな会話が交わされているかなどをつぶさに調べ、それを反映しました。グランドデザインを考えていた際、いつも斬新なアイデアを提供してくれる医師がこう言いました。『いろいろなカルテがあるが、基本は、検査⇒所見⇒処方という流れは変わらない』というものでした。


その通り!と思った次第です。且つ、トップからは『通常、今回と前回とを見比べ、たまに前々回を見ることもある』とのことだったので、A3横のタブレット画面なので、文字を小さくしなくても十分見られるサイズの文字で表示できました。もちろん、それ以上前を見たい場合には、簡単にスクロールすることで見ることができます。このスクロールの際にペンがスクロールする速さに遅れることなく追随して表示してくれるだけのCPUのパワーが必要になります。既述のように、そのパワーを持ったCPUが市場に出ている時代でした(当時)。もちろん、今は問題なくストレスなく表示可能です。更なる表示速度が必要ならGPUを付加できる時代になっています。

 

俗に“電カル”などと言われている電子カルテですが、あまりにも軽々しい省略語で、“電軽”と言い替えた方が良いかもしれません。この軽々しさが安易な導入に踏み切らせ、失敗する一因になっているのではないかとさえ思うほどです。安易な導入とは、予算さえ確保できればという意味ですが、システムが提供する機能を有効に活かし、費用対効果を実感するには、その機能を活かせる環境が必要です。掃除機や冷蔵庫のようにコンセントにつないでスイッチを入れれば動き出す(機能を発揮する)ものとは違います。

 

この環境とは、予算があれば手に入れられるものではなく、“お金では買えない”ものであることを“電カル”などと呼んでいる方々はご存じないかもしれません。環境の最たるものは、医師、看護師をはじめとする病院スタッフの電子カルテ(システム)への、“強制されない自主的な参画意識”と、“電子化した際の限界への理解”です。約束事なく何でもできた紙と鉛筆感覚の延長線上で電子カルテに期待すると失敗します。できるはずがありません。

 

最も避けるべきは、トップの理解不足、過度な期待による“鶴の一声導入”です。これは砂漠にタネを蒔いて豊作を期待することと同じです。有形無形な環境を整えた後は、俗に“電カル”にあっているかの検討です。あれもできる、これもできるというものは避けるべきですが、往々にして、できる“○”の数が多い方を選択しがちです。舌切り雀の欲張り婆さんのようにならないために、必要にして十分な機能に○がついているかどうかを選択基準にすべきです。何が必要十分条件なのかは、立場によって、また仕事のスタイルによって異なりますが、簡単に言えば、“なければ困る”基本的な機能があるかないかです。“あれば便利”という評価指標もありますがこれが、機能を増やし、操作性を悪くする元凶だと考えています。誰がどのような場面で、どのくらいの頻度で使うのかを想定できないような思いつきなものは排除しなければなりませんが、往々にして閃いたものを要求(実装)しがちです。“電軽”にならないよう注意しなければなりません。

 

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