なかなか終息を見せないコロナ禍の中、オンライン授業がClose-upされています。学校、家庭双方にパソコン、ネットワークがなければなりませんが、コンテンツ(コースウェア)、画面を通して教える先生のスキルなど、オンライン授業をする総合的な有形無形環境が整っていなければなりません。そんな中、新聞の投書欄に『アナログすぎる日本の授業』というタイトルでオーストラリアに留学経験のある高校生の投書が載っていました。コロナ禍が今ほど騒がれていない1月上旬のことです。

高校生らしいというか限界というか、かなり一面的な見方です。単純に教師や生徒がパソコンやタブレットを操り、コンテンツを電子的に共有し、扱えるようにすれば良いというものではありません。コロナ禍で長期の学校閉鎖に追い込まれ、好むと好まざるとに拘わらずオンライン授業を関心を持たざるを得なくなっている今、これを今日のブログのネタにします。オンライン授業を支えるものはいくつかありますが、予算があれば何となるハードウェア環境、教える能力が問われる先生、肝心の教材(コースウェア)に分けて簡潔に説明します。

 

《ハードウェア環境&デジタルデバイド》

パソコン、タブレット、通信環境というハードウェア環境、予算さえあれば簡単です。しかし、操作ができるスキルが必要です。これらが欠けるといわゆるデジタルデバイドと呼ばれる層に分類されることになります。デジタルデバイドとは、高齢で操作がおぼつかなかったり、お金に余裕がなくパソコンを買ったり、ネットワークを契約し、月々の回線料などを負担できず、ITの機能(便利さ)を享受できないことを言います。以前は情報弱者とも言っていましたが、オンライン授業ができる前提として通信の品質を含め、生徒の家庭がこれをクリアしていなければなりません。もちろん、発信元の学校にもなければならないのは言わずもがなです。文部科学省がIT教育に力を入れようとパソコンの配布を計画していますが、文科省のホームページを見る限り間に合いそうもありません。取り敢えず、既存パソコンを使うしかないでしょう。物理的なデジタルでバイトはお金さえあれば、解決します。

《教師の質》

日本の授業の典型として、一方的にしゃべり、黒板いっぱいに書き連ねる教え方をする教師が少なからずいて、実際に経験しています。これはオンライン授業以前に、その教師を再教育しなければなりません。生徒の理解度を観察することなく、一方的にしゃべり黒板に書くスタイルをそのままオンライン授業に取り入れては、生徒は理解どころか教室にいない分、注意散漫になり学力向上などおぼつきません。ハードウェア環境があってもこれではアウトです。プレゼンテーションの極意は、audienceの表情を観察し、反応を見乍ら話し方を変えることができるか否かですが、教えるのも同じです。オンライン授業するに当たって教師は、同じ空間にいる教室で教える以上の理解してもらうための努力、生徒への気配り、スキルが求められます。紙の教科書、黒板というアナログ環境では得られないデジタルならではの特徴を活かした教え方ができる教師が必要な所以です。それを自覚し、自覚するだけではなく努力&実行する教師がいるか否か?

《教材、コースウェア》
CAI(Computer Aided Instruction)という言葉は1986年には既にあり、この時も文部省(当時)はパソコン導入に前向きでしたが、何時の間にか消えてしまいました。この話はなくなったものの、当時CAIに力を入れていた筑波大の中山和彦教授がパソコンでオーサリングツールを使ってコースウェアを作り、つくば市にある竹園東小学校で実証実験が行われていました。その後、CAIという言葉は聞かなくなりましたが、予備校が衛星放送を使ったり動画配信で行う授業などは定着しているようです。ただ、即時性のある双方向にはならないし、教える方は生徒の反応が分からないので、一定程度の理解力のある者(例えば偏差値で規定)が、注意力散漫にならずに授業に集中できる住環境など、条件が必要になるでしょう。1986年、中山先生と意見交換したことがありますが、遠隔授業(当時の言葉)のいいところは、例えば実験器材が十分でなく、先生も揃っていないいへき地の学校でも、画面を通して臨場感のある実験を見せることができ、理解を深めることができるとの説明には、なるほどと思ったものです。当時は4096色しか表せなかったものの、炎色反応は十分見ごたえがありました。

先生は、理科の実験だけではなく、歴史上の動静や人物をアニメーションで見せたりすることで多次元的理解を深められることを強調していましたが、メリットが強くでる科目とそうでもない科目が出てくることはやむを得ないとの見解。当然ですが、万能を求めることはできず、適材適所の教えの通りです。そもそも、コロナ禍で急なオンライン授業が叫ばれても、デジタル環境にふさわしい教材作りに手間暇をかけている時間がありません。オンライン授業を喧伝するメディアは、センセーショナルに取り上げるのではなく、その辺の事情をもう少し解説しなければ、お茶の間は誤解し、変な期待、過度な期待をしてしまうでしょう。

喫緊な教材作成ということで、簡単に思いつくのは教科書やドリルをそのままスキャンして画面に表示させる方法です。ここが重要などと先生が画面上にマークすると生徒の画面にも、その部分がハイライトされ、生徒はそこがポイントなんだと理解することができます。また先生の言ったことをオーバラップして記入することも可能です。教科書に線を引いて書き込むという教室でやっていたことと同じことができます。この教科書・ドリルコンテンツは生徒毎に保存されるので、後で復習することもできます。教室ではないという緊張感のなさから、中にはただボ~としているだけの者もいるでしょうが、そこは全生徒の状況を見られる機能あり、これでフォローします。

画面を通してではあるものの、先生の顔が画面に映し出されることで、安心するという効果もあるようです。特に小学校低学年の生徒にはそれが言えるでしょう。

しかし、生徒の理解度に応じた授業ができるなら別ですが、生徒の挙動が一瞥して分かる一堂に会して教える教室方式に勝るものはないでしょう。

 

読者の皆様、明日4/29から、5/6までゴールデンウィークのため、ブログを休みます。悪しからずご了承ください。

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