萩生田文部科学大臣が身の丈の真の意味を取り違えて(善意に解釈したとして)発言し、謝罪に追い込まれましたが、Webニュースをチェックしていたら、憮然の意味を取り違えて理解している人がたくさんいる(国語世論調査)というものがありました。文化庁のホームページにもその指摘が載っていました。

普段何気なく使っている言葉、慣用句に誤解があることはしばしばあります。私が以前書いていたコラムに、使い方がおかしいとの指摘があったことを思い出しました。今日は目先を変え、読者の方から指摘のあった慣用句の誤用につき書くことにします。がんの免疫療法につき、友人の治療経緯を踏まえたコラムを書いたことがありましたが、その中に、
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EBM(Evidence-based Medicine)になっていない一つの事象を普遍化して紹介し、藁をもすがる患者さん、家族に期待を持たせ、誤った判断をさせないよう願いたいものです。元慶應病院放射線科医師である近藤氏の『ガンでは死なない、ガン治療で死ぬ』という言葉は至言だと思うことがしばしばあります。
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というヶ所がありました。これを見た読者から、“藁をもすがる”のではなく、“藁にもすがる”ではないかとの指摘が寄せられました。エッ!と思いつつ調べたところ私の誤用であることが分りました。言いたかったことは、“成す術がなくなった時など、困窮したときには役に立たないものにまですがろうとする”という意味で、そのつもりで“藁をもすがる”と表現しました。何十年もこのまま使っていましたが、これは、“溺れる者、藁をも掴む”からきた誤用で、“すがる”とする場合には、指摘のように、藁“にも”とすべきでした。

日本語には人一倍気を遣っていましたが、指摘をきっかけに調べたところ、誤解したまま慣用的に使われている言葉が他にもあることが分りました。例えば、“姑息(こそく)”です。ある日のコラムに、後出しジャンケンするコンサルタントを姑息なと形容して書いたことがあります。この姑息とは通常使っている、ずる賢い/悪知恵の働く/卑怯な/裏で動くetcなど、芳しくない言動をする、という意味で使いました。今回の指摘を踏まえて、姑息を調べたところ、誤用していたことがわかりました。正しくは、“一時しのぎ”という意味で、ずる賢い/悪知恵の働く/卑怯な/裏で動くなどという意味はありませんでした。慌ててそれを削除し、別な表現に変更しましたが、この様に、本来の用法(意味)ではなく、誤って使ってしまっている場合が少なからずあるようです。しかし、ほとんどの読者は気づかずに筆者と同じ理解で読んでいて、それほど目くじらを立てることではありませんが、できるだけ避けたいものです。

恣意的とは、“わざと/作為的/意図的”という意味で使ってしまっていますが、これも慣用句の誤用でした。恣意的の正しい意味は、“自分勝手に”という意味でした!

この部分の恣意的を、正しい意味を踏まえて別な言葉で言い直しました。

 

君子、豹変す”も、よく使う慣用句です。普段使っているのは、君子(徳の高い人)でも、時として態度を急変させる、という意味に使いますが、本当の意味は・・・プライドが高い君子でも、間違えていることに気がつけば、メンツに拘らずに認め、改める、という意味だそうです。良い意味で使われていました!間違えを改むるに憚ることなかれ(クリック)と同じです。同様に、“噴飯もの”も我々が日頃使っている“腹立たしい行為・発言・施策”ではなく“食べているご飯を思わず噴き出してしまうほどおかしな行為・発言・施策”だそうです。今回の読者の指摘がきっかけでいろいろふり返ることができました。ありがたいことです。

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