どうして世界には、いろんな人がいるんだろう。自分と似通った価値観の人もいれば、180度真逆だと感じる人もいる。

自分ができないことを鼻歌交じりにすっとできる人もいれば、自分が好きなことを無関心な人もいる。

 

昔は「いい悪い」「違いってめんどくさいな」って捉えていたけれど、今は「違いがある」、ととらえているだけ。

ただ、やっぱりそれじゃあそっけないから、違いがある意味を考える。

 

最近、一つ面白いと思えるのは、脈々と続いてきている人間の営み。人生何十年も生きているおじいちゃんおばあちゃんもいれば、生まれて数年の子どももいる。

子どもからすれば、なんでこんなことできるの!という、折り紙の技なんかもっていたり、苦いコーヒーが好きだったり、夜更かししてもOKだったり、めちゃくちゃ早起きだったり。

「早く大人になりたい!」と思うかもしれないけれど、そこには生まれてからの年月の違いがある。経験の違いがある(もちろん、一人一人の特徴の違いもあるけれど)。

 

成熟している者から自分も含む未熟な者は引っ張り上げられる。

逆に、初心を思い出されることもある。子どもをみて、こんな純粋な視点で世の中を見る大切さを知ったり。

 

違いがあるから、引っ張り上げられ、気づかされる。

みんな同じだったら、そんなことも起こらない。だから違いがあるし、違いが面白いなって、最近思う。

雨の日だから、考えられること、かもしれませんね。

 

こんなところも言葉にしていくと面白い。

一人でもいいけれど、やっぱり誰かと言葉を紡いでいくのもやりたいなあ。

え、こんなことを考える自分は狂っている、って?

確かにそうもみえますねえ(笑)

 

PS

ここまでの文章を読んで「面白そうだ」と思った方は毎月一回の対話の場へぜひ。

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7/4(木)19:30~@渋谷

プロロン・ダイアログカフェ#113

テーマ「狂う」とは