13年というと干支もひと回り以上回っている。卯年に起きた東日本大地震は、とうとう一周して2回目の辰年を迎えているわけだ

そのことはもういいんじゃない、という自分と、やっぱりそうじゃないよね、という自分のせめぎ合いが強くなっている。

 

今年は前者に傾いていたけれど、今日は以前から行ってみたかった奈良の長谷寺の朝勤行に参加して、やっぱり何か書きたくなった。

勤行ではいろんなものに対する祈りをおこなっているが、今日のこの日は東日本大震災の被災者への祈りが追加されていた。これはきっと今日だから起きていること、だろう。当時、現地にいた自分にとってはありがたいことだった。

 

この日に朝勤行に参加できたことは、自分にとってはなんか意味があるんだ。それを他人に押し付けるつもりはない。ただ、やっぱり自分はこの日は忘れずに何かを祈りたい。そして、祈ってくれたり、忘れてない人がいるのもうれしいということを知ってほしい。

 

そんなことを今日の朝勤行で感じた次第。

朝勤行は想像以上に良かったです。ことさら寒い早朝ですが、徐々に上がってくる太陽が射してくるさまは、今日というかけがえのない1日がはじまった感覚を味あわせてくれる。

そして何より太鼓や読経がとてもロックでした。ダンスミュージックで体が動かない自分ですが、朝勤行は自然と体が動いていました。こうした体験はやっぱり自分に合うんだなあ(と宿命からも出ている笑)。

一度体験したらまた行きたくなる長谷寺の朝勤行、かなりオススメです。

 

あれから13年。1日も欠かさず、朝勤行が続けられていることの力強さも感じる。変わるものもあれば変わらないものもある。それでいいのだ。