松江に行ったら訪れてみたいところがあった。それは小泉八雲記念館。

出生名はラフカディオ・ハーン、ギリシャ生まれの随筆家である。

昔からなぜかこの人に惹かれている自分がいて、今回この記念館を訪れるのを楽しみにしていた。

 

もうこの記念館が素晴らしく、改めて小泉八雲の魅力を深く味わうことができた。

日本の怪談話を小説に書いて世界に広めたが、パートナーのセツが語り部として小泉八雲に聴かせたからできたものなのだ。もちろんそこには小泉八雲のいろいろな土地で見聞きした経験から来るオープンマインドなところや、左目失明から感受性豊かになった経験などがある。決して順風満帆ではなかった人生が逆にその感受性を研ぎ澄まさせた。

そうした背景を知ることで、小泉八雲の描いたものをもっともっと読みたくなる。記念館内では、怪談話が朗読で聴くことも出来たが、思わず背中がぞっとする体験をすることも出来た。

 

気が付いたら2時間近くも記念館で過ごしていた。

いろいろなものを目にしながら考える。自分はどうして小泉八雲に惹かれるのだろうと。

それは「語り部の系譜、周辺部に惹かれる」小泉八雲の在り方にあるのだろうと思う。同じく岩手県の遠野地方の民話(怖い話)を集めた柳田國男に惹かれている自分は、丁寧に丁寧にその土地の人々の生活を見聞きし、一人一人の語りを大切に、前のめりに耳を傾けている姿に憧れる。

それを自分だけのものとせず、文章として伝えて残していく姿に惹かれるのだ。

 

小泉八雲の妖怪への眼差しは好奇心にあふれ、どこか優しい。そこには感動があふれている。

その感動を繋ぐものとして、語り部とそれ以外の人のつなぎ目として、文章表現がある。

自分もこうなりたい、という思いが小泉八雲に惹かれている理由かもしれない。

そう考えてみると、一人一人のローカルナレッジ(local knowledge)を大切にしているナラティヴ・セラピーを学び続けている自分につながるし、大学時に専攻した文化人類学、卒論で地元のお祭り「じゃんがら」をフィールドワークしたことにもつながっていくのである。

 

もっと見聞きしたい。今やっていることを深めていきたい。

それが役に立つから、というよりも、それ自体が喜びであるから。

みんなに語り部となってもらい、自分はそれに耳を傾ける「聴き部」となりたい。さもなくば知ることができなかったであろう物語を知りたいし、知ってほしいし、共有したい。

そんなことを小泉八雲から感じるし、自分が歩んでいきたい方向性なのだ、と感じた、珍しく旅先で真面目に考えた時間。

旅先は感性豊かになっているから、よりよかったのかもしれない。

家に帰ったら、小泉八雲の本を読み漁ろう。