先日誕生日を迎えた自分に、お祝いコメントやメッセージをいただけた方すべてに、お返事をさせていただいた。

昨年はすべてメッセージで送らせていただいたが、「なんだか重いだろうな…」と感じられることも多々あったので、コメントはコメントで、メッセージはメッセージで返信をさせてもらいました。

ちょうど一か月以内でのご返信となりましたが、遅くなって大変失礼しました。

 

メッセージをいただいた方、一人一人のFBのタイムラインを拝見させてもらったり、過去のメッセージのやり取りなども振り返らせてもらって、自分はこういう人たちとつながってきたんだなあと自分の人生を振り返る機会をもらったように思います。

120人以上の方へのメッセージのご返信をさせていただきながら、感じたことがあるのでここに記したい。徒然草、ではないですが、言葉にすることでなんだかおもしろそうなものも見えてきそうです。

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○お祝いコメントや返信が、非常に豊かなTreeのように見える。自分の木にそだったカラフルな葉っぱ。

みなさん一人一人には自分に対する返信しか見えてないけど、自分からはとても豊かなものが見えている。時間があったらその違いをFBのタイムラインでみていただきたいなあ。そして、つながりたいと思う人とつながっていただければ、なおうれしい。メタ認知で見てみるトレーニングをしてみたら、ちょっと面白いものが見えてきた点。Tree of Lifeが好きな自分のナラティヴ的な視点ともいえる。

 

○コメントにコメントは返信しづらい点。「いいね」などの反応はあるけれど、コメントの返信に対する返信は数が少ない。

*責めているわけでも催促(笑)しているわけでもないのであしからず!

メッセージに対するメッセージは返信率がほぼ100%。自分に送られてきている、という意識が強くなるからだろうか、タイムラインはみんなに見られてしまうものだからだろうか。この違いが興味深い。

返信をもらいたいのであれば、方法を考えなければいけない。読んでほしいだけならコメントで、返信が欲しいならメッセージで。状況と目的によって方法がかわっていくのだから。

 

○自分はこうしたやり取りをのぞんでいるんだなあと気づく。濃厚で密なものを。願わくば全員と。昔はこれを丸出しにしていたから、キラキラした目でぎらぎらと表現していたから、きっと周りはうっとうしかったんだろうなと思う(笑)

 

○人それぞれのかかわり方、というのが人にはある。FB的なかかわりでいい、という人もいるし、それ以上の関係性を望む人もいる。

 

○お祝いコメントをいただける人が変わること。あれ、あの人どうしたんだろう?という人からもらえていないという悲しさ。それは喜ばしいこと。変わる、は生きていること。いい変化もあればそうじゃない変化もあるかもしれない。それは生きているということだから。自分も相手も。

 

○改めて一人一人の自己紹介を味わわせてもらうととても面白い。昨年学んだ本質行動学(EMS)の方は自己紹介に「願い」を書いている人が多い。これって興味深い。自分を表現する方法はたくさんあるんだなあと感じた。

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お祝いコメントだけでもうれしいのに、こうした興味深い時間を過ごすことができて、改めてうれしい時間を何度も過ごさせていただきました。

「お誕生日おめでとう」という言葉は一緒でも、そこに追記される絵文字やビックリマークなど、一人一人の人柄が表れているようで、それを味わわせていただくのも多様な人生を生きている人たちがいるんだと、改めて感じます。完全リモートワークで世間とのずれを徐々に感じている自分ですが、これからもちゃんと生きていきたいなあとなんだか気合も入りました。自分の人生の樹を豊かなものにしたいなと。

ありがとうございます。

 

これまで出会った方、これから出会う方、またお会いできることを楽しみにしています。

人生に少しでもかかわっていただいてありがとうございます。