僕らは関係性の中で生きている。

最近、自分が考えること。

相手の立場に立って考えることはどうしたらできるのだろう。自分はその状況にリアルに立つことでしかできないのではないか、と考えている。もしくはその立場の人に話を聞くか。その立場に慣れていくか、ということだ。

想像力をたくましくするためにも必要なこと。

 

最近、ペテン師先生の言葉が耳に残っている。

「参加している人たちは、ボクに何のプレゼントもくれないんですね」

そんな強い語調だったわけでもなく、文脈の流れの中でポソっといった言葉だが何度も自分の頭の中を駆け巡っている。

 

自分もキャリアのワークショップや対話の場を主催する側に回り、これを実感し始めたからだろうか。

あるいは、最近集中して学んだナラティヴ・セラピーの学びがそうさせているのだろうか。

 

参加している人は、お金を払ったから、時間を差し出しているから、何をしてもいいのだろうか。逆に、何もしなくてもいいのだろうか。きっと、ペテン師先生は、話を聞いたことに対しての何らかのリアクションや言葉がほしかったんだ。

 

自分も主催者側にたって、人の前に立つ機会を繰り返し、その言葉がやっと腑に落ち始めた。聞いているかいないかわからないノーリアクション。アンケートの内容が「よかった、わるかった」だけの人(あるいは協力してくれない人)。

 

これは主催者の立場だけではない部分でも感じる。

参加した講座のフィードバックをください、といって、お伝えしたことに対しての反応がまったくないこと。

ESをみてください、キャリアについての相談にのってください、ということに対して、対応したことに対しての返答がないこと。

 

これは愚痴ととらえてもいいし、自分はどうだろう、とその人の身になって考えてもらってもいい(あくまで誰かのことを責めているのではないことだけは伝えたい)

さまざまな意見はあるだろうが、「ボク自身」の身になってみると、ペテン師先生の言葉が日々繰り返され、存在が重くなっている。

 

自分はどうなんだ、と問いかけて、完璧にできているかなんてとてもいえない。

ただ、それを心がけて行動にしようと心がけている。講座に出たら、しっかりアンケートは書くようにしているし、講座中はリアクションや質問をなるべくしようとがんばっている。

いただいたメッセージに関しては、それ以上に返したいし(だから長文になる(笑))、ワークショップの感想をもらったら、それに対しての感謝と感想はちゃんと伝えたい。

 

僕らは関係性の中で生きている。求めるだけでいいのだろうか。

一緒に作り上げていくことをしていくことが、なんだか自分とその人、自分とその場をよくしていく、いい関係になっていくのではないだろうか。いや、いい関係を作るためだけではなく、そうした立場で何かをしたときに、何が生まれるのだろう、と考えたい。

 

先日のナラティヴ・セラピーの講座で学んだ言葉が自分の中に響いている。

「カウンセラーと目の前の人で、その話がどこに行くかわからない。お互いわからない中、一緒に考えていくことをしてきたのが財産となっている。そのプロセスが財産」

どうなるかわからないけれど、一緒に考えていく、一緒に作っていく。そんな姿勢を大事にしていきたい。

いいものをもらったから返す、だけではなく、自分にとって「実際どうなんだろう?」となったときこそ何かを返したい。

 

一人が好きな自分だが、一人で生きていきているわけではないことを知っているから。

この考えを相手に押し付けたいわけではない。これに関して、いい悪いの判断をしたいわけではない。

ただ、誰かと話してみたい。言葉にしてみたい。

 

そんなことを感じる、9月4日は櫛の日。髪を整えるように、いろいろな考えがまとまって整くように書く。

大事にしたいことの決意表明、かもしれませんね。

だから、めんどくさいんだ、ともいわれそうですが(笑)