伊藤亜希子氏の後援会が主催するファイナルリサイタルに行ってきた。函館のクラシック音楽において同氏は飛びぬけたプロフェッショナルである。音楽協会の定期演奏会のように、素人の趣味での合唱か学校の吹奏楽演奏という発表会か学校行事の如く、縁者やじいさんばあさんを動員して開催するのがコンサートとなってしまっている中で、これが人々に音楽の素晴らしさを伝えることができる演奏であることをしっかり示し続けてくれた、そうだよねと、聴衆の一人として救われる気持ちになっていつも帰途に就いたものでる。音楽という芸術が人の心に沁み渡るものがあるのだよと。芸術なんだよと伝えてくれることができる大切な人なのである。

 今年の音楽協会の春期定期演奏会は送り迎えの親御さん達や出演者だけを聴く出這入り自由の控席が観客席となっていた。携帯を見て楽しく話している人さえいるのが演奏中のあり様であった。確かに非行防止や高齢者の社会性維持の集団トレーニングとして、合唱や吹奏楽は自助努力、集中力や規律を識る重要な教育や啓発の手段の位置づけなのであろう、持続力の維持と達成感充足のために発表会が大切だと。そんな教育的配慮や社会関係性重視の音楽の環境の中で、同氏はまさに徹底した音楽トレーニングを受けた演奏家として、趣味人の御披露や学校の音楽教師の発表会とはまるで違う、これが芸術ですというものを聴かせ続けてくれたことをありがたく思う。

 同氏はこれからどのようにして私たちに音楽を届くてくれるのだろうか、キャリアを積み上げ変わっていく同氏の演奏の聴かせてもらいたい。情熱の響き渡るものより、むしろ抒情性の高い「故郷にて」のような静かに時の流れる情景を奏でてもらいたい。函館では伊藤亜希子氏の演奏は貴重な芸術であることを忘れないでもらいたい。