興奮冷めやらぬうちに書き留めておきたいなと。地元にいながらもちゃんと聴く機会がなかったのは伊藤野笛さんで、どうかと思ったら、私のフォーレという作曲家のイメージを全く変えてくれた。そうか、なぜフォーレがここまでという意味を初めて教えてくれたのだ。まるで左手と右手が別人が奏でているようなのだ。なんだこれはと。左手は基調となり雄大に地平を響かせ、右手は情景を描ききる。こんな作曲家だったのだとな。それなら確かにすごい作曲家なんだわなと。伊藤野笛さんに感謝したくなった。

 地元ではロシア風かなにか知らないが、椅子から飛び上がるように鍵盤をぶったたいたり、いわゆる演奏姿のみせつけがよくある。そうかなと思っていて、まったく違ったわ。やはり奏でる音で勝負なのである。乱れのない透き通るきれいな音。聴いていて安堵できるのさ。もう一人は畑中ゆきさんである。この方は二三年前、一回聴いたことがあった。懸命に只管にピアノに向かい、音を叩きだす、どちらかというと押しまくり的かなと思っていた。今回はどうかと、シューマンと黒鍵の桜、見事なまでに間合いをつかみ残響の取り方で曲を構成し、波のように繰り返す情感の昂揚を奏できっていた。あーこの人は明らかに一皮むけて自分の音楽を創りだしたなと。こんなにまで成長するものなのだと。一愛好家としてなんか嬉しかった。