5月17日に行われた『ロト7』第7回抽せん会で、キャリーオーバーが約20億円と膨れあがっていたため、8億円”が3口も出ました。しかも、その3口中2口が、観音寺市の売り場で出たというのだからビックリ! 街では“ひとりが2口買ったのでは?”と噂になっています。まだ当せん者は換金をしていないというが、今この売り場には、そんな幸運にあやかろうと多くの宝くじファンが足を運んでいるという。
忘れてたけど「運」をタイトルに入れてるブログとしては、少し書いておきたいニュースですね。
当たる気がしない確率でも、こうやって一夜にして億万長者になる人がいるのだから、買わなきゃ当たらないとは、よく言ったもの…
キャリーオーバー続きだったのに、同じ売り場から2口出てしまうとは、同じ人間が2口買ったのでは?と考えるのは自然なことでしょう。
そして気になるのは、それほどの強運の持ち主はどんな人間かということ。
地元で、誰々が当たったと噂が広まりまくるのも頷けます。
運が良い人というのは、好かれます。
運は伝染するから。
一緒にいれば、幸運の恩恵を受けれたり、自分にも幸運が巡ってくる影響を受けやすいです。
週刊FLASHで、ロト7当選が2口当たった町に行き、当たった人を探すべく、噂になっている人物を片っ端から調査した記事が載っていました。
噂になっているバスの運転手から、富豪や28歳の介護職など、なぜかいろんな噂で一致するのは、28歳だったり…
それで、この記事の終わり方がおかしすぎて、首を傾げたくなりました。
こういう雑誌って、真実とか事実を載せるイメージなんだけど、こんなブログ記事みたいな締めで良いわけ?
ラストの文章は、こんな感じの内容だったと思う。
『パワースポットで、ただすむ一人の女性を見た。16億円が当たりどうすれば良いか途方に暮れているのか?と想像し、後ろから声を掛けてみた。
「あのぉ、もしかして
16億円当たりました?」
その女性が振り向いた時の顔が今も忘れられない。』
つい次のページを確認しちゃいました。
ここが記事の最後?
こういう終わり方嫌いじゃないんですよ。
ブログ記事や小説とかなら…
モノ書き冥利に尽きるというか気持ちはわかる。
でも取材記事なんだから当然、その人が違うと答えたとか、その人だったけど、人物像は明かせないとか、その後のやりとりが書けるはずなんですよ。
それを、こんな想像を掻き立てる文章で終わって良いのかよ?というのが感想です。
まあ記事の書き方は、置いといて、それほどの大金が当たっていると確認した瞬間って、自分だったら、どんな感情になり、どんな行動を取るのだろう?
ありきたりに夢だと思うのか?叫ぶのか?震えるのか?
その答えを知りたいような、知りたくないような…
まあ宝くじ系は買わないので、一生知ることはないけどね。
海外の590億円当たったおばぁちゃんのニュースでロト7が霞むよ…
国内最高の当選金額って、チャリロト(競輪)12億円なのに、なんで買う人少ないのかな(笑)
チャリロトは知らんけど、ドカントとか、競輪は本命来るときは、すんなりなので、1つでも本命選ばれた券以外は、チェンジし買わないとやれば、純粋な確率よりはだいぶ下がるんですけどね
宣伝が下手くそな競輪衰退中…
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