私と骨髄バンク
がんノートの動画の中でも少しお話させていただいていますが、私は骨髄バンクの近畿地区コーディネーターをしていました。
普段は理解ある調剤薬局で医療事務として働きながら、コーディネー卜優先で兼業していました。
妊娠を機に医療事務を辞めて、コーディネーターの活動も休止し、数年間は育児に専念しました。
子どもを預けられる保育園が決まり、家から近い公共施設に就職し一般事務をしていました。
とても働きやすい職場で、地域貢献に直結する仕事内容に、私はやりがいを感じていました![]()
準公務員の正社員のため兼業禁止の職場でした。
子どもの手が離れたらいつか再開できるかもと、活動休止中にしていたコーディネーターの登録は解消しました。
その代わりに今までのコーディネーターとしての知識を役立てたいと思い、骨髄バンクのボランティアとして説明員で活動を続けることにしました。
骨髄バンクとの出会い
私が骨髄バンクを知ったのは、二十歳の誕生日近くの19歳の時、たまたま見たACジャパンのCMがきっかけでした。
現在は18歳からドナー登録が可能ですが、当時は二十歳から登録が可能でした。
はるか昔の話ですが、私は二十歳の誕生日を迎えてすぐに、名古屋の栄にある献血ルームに行きドナー登録をしました。
私は当時、悩みを抱えており絶望のどん底にいました。
生きているのが辛くなってしまって…
でも、人生を終わらせるにはこの健康な体がもったいないな。
もったいない精神の極みw
この体を生きたいと願う誰かにあげることはできないかな…
誰か私の代わりに生きてくれないかな…
と本気で考えていました。
発想がぶっ飛んでますね
w
若かったこともあり視野が狭く、一人で自分を追い詰めて、逃げ道がないと思い込んでいたのでしょう。
まだインターネットがあまり普及していない中だったので、臓器移植やアイバンクに問い合わせをしました。
当然ですがそれらを提供できるのはどれも亡くなった後のことでした。
現在よく見かける臓器移植提供意思カードができたのはその2年後、2010年のことで、当時はほとんど知られていませんでした。
私は死ぬことに意味を見出だそうとしていました。
そんな時に、たまたま骨髄バンクのCMが目に留まりました。
なんの迷いもなく今すぐ登録したいと思いました。
それから間もなく二十歳になり、すぐにドナー登録をしました。
生きながら誰かの命を救えるなんて、これはすごいことだな!と思いました。
登録をした後は、
こんな私でもいつか誰かの役に立てるかもしれない。
誰かの命を救えるかもしれない。
その日のために生きていなくちゃ。
そう思えるようになっていました。
死ぬことに意味を見出だそうとしていた私は、生きることに意味を見出だしはじめました✨
自分は生きている価値があるんだと思えるようになりました。
どん底だった自己肯定感が、骨髄バンクによって救われたような気がしていました。
ネガティブ思考からポジティブ人間に生まれ変われたような気がします。
生ききると決めたし、気持ち的に一回死んだ人間なので、小さいことでは深く悩まなくなりましたね。
気持ちの振れ幅がすごいですね![]()
若かったねー![]()

私ができることは限られてるけど、これからも骨髄バンクの必要性を伝えていきたいと思っています![]()
若い時の自分に言ってあげたい。
悩んで逃げ道がないと思っている若者たちにも。
生きているだけで素晴らしいんだよ

