1.       はじめに

 

世界平和は人類が永遠に希求するものです。しかし、貧困格差、技術格差、核戦争の危機、地域戦争の長期化、、、と、その道のりは途方もなく長い。一体、我々はこの状況に対し何を考え、何をしなければならないのだろう。世界の安定と秩序はどうもたらされるべきなのだろう。それには人類のこれまでの歴史を最新の複雑系の研究から何らかの糸口を提示されるのではないかと期待しているのだが、未だにその答えは出ていない。ここではカオス、エントロピーといったキーワードを用いて筆者の考えを述べたいと思います。

 

2.       カオスの縁

 

人類の歴史はゆらぎの中にある。歴史のゆらぎは秩序と無秩序(カオス)の間をいったりきたりするものである。あるときは徹底したトップダウンの独裁政治や帝国主義などにみられる行き過ぎた秩序から、ほんのきっかけに過ぎないボトムアップである小さな事件が大きな戦争を生み出し、無秩序な世界を作り出す。そこからまた新たな秩序が自律的に生まれ、新たな人類の歴史を創っていく。歴史はその繰り返しに過ぎない。

ここで問題になるのは、ほんのきっかけに過ぎない小さな事件が予想も付かない大きな世界大戦にまでなってしまうという事実である。歴史はまさに非線形であり、未来を予測できないことを意味している。

1970年代に登場したカオスの研究においては、未来は予測できないというのはすでに明らかになっていることである。カオスの研究でバタフライ効果と呼ばれていているものがある。例え話であるが、「一匹の蝶が北京で今日はばたいて空気を乱した影響で、次の月にニューヨークに嵐がやってくるということがおこるかもしれない」(イアン・マルカム)というものである。ちょっとした出来事(初期値がちょっと乱れること)があったがために、その結果が大きく鋭敏に変わってしまうことをさすのである。

私達はいつもそんなゆらぎの中にいつも存在している。安定していながら極端な秩序にもならず、かといって極端な無秩序(カオス)にもならない、そのような特別な領域に存在しているのである。研究の対象を自由度の大きな系としてとらえようとした1990年代に発した複雑系という学問ではこの状態を「カオスの縁」と定義されているが、人間という生命体が自律的な自己組織化を繰り返すことの謎は未だに解明されていない。

 

3.       エントロピー振り子

 

前章では人間が残してきた歴史を複雑系という大きな視点で捉えようとした。これに時間の軸を加えながら歴史を考えてみたい。人間の歴史は時間を軸とし、安定と無秩序の間をゆらいできたことの結果の記録である。今、その原因と結果(因果律)についてはともかくとして、ゆらぎの幅を考えてみたい。

地球の歴史は約百数十億年前とされている。つまりビッグバンである。地球の誕生は約46億年前、生命の誕生は約40億年前、人類(アウストラロピテクス)が登場したのは300万年前、農耕を始めたのは1万年前とされている。わかりやすく地球の誕生から今までの約46億年を1週間にたとえると、農耕を始めた人類の時間はたった1、2秒のことである。人類の歴史がいかに長く感じようと、地球の歴史に比べるとこんなものである。(「宇宙は謎がいっぱい」)

しかし、こんなことに感心している場合ではない。人類は今、核戦争で一瞬に全世界が滅びる危機を迎えている。この状況をどう捉えればよいのか。

まず人口の増加を歴史的にみると、農耕が始まった1万年前くらいから徐々に増加し、近代文明の起点とされる産業革命以後は指数関数的に急速に増加し、特に20世紀から現在に至っては爆発的な伸びである。これを人口爆発という。

ここでさらにエントロピーなる概念を導入してみる。エントロピーとはでたらめさの程度をはかる尺度である。秩序だった状態はエントロピーが小さい、無秩序(カオス)の状態はエントロピーが大きいと表現すると分かりやすい。戦争前の秩序ある状態はエントロピーが小さく、戦争後の無秩序の状態はエントロピーが大きいとなる。例えば米ソの冷戦構造はイデオロギーの対立により、良くも悪くも、ある意味、秩序だった世界を構築していた。これはエントロピーが比較的小さい状態である。しかし、ソ連が崩壊した後の世界を見ると、「文明の衝突」にあるようにあちこちでの民族紛争の増加を招いた。これはエントロピーが比較的大きい状態であり、今でも続いている。

人口の増加と重ね合わせると、人類の歴史は、戦争を繰り返し、つまりエントロピー大小を振り子のように繰り返しながら、その幅が次第に大きく(例えば、株価が上下しながら右肩上がりに推移している世界市場の歴史と相似)なっている。これが世に熱力学第2法則として知られるエントロピー増大の法則である。

人口が爆発的に増加した今、すれすれのところでカオスの縁に留まっている世界は、ひとたび何らかのきっかけ(例えば9.11テロのような)でそれがバタフライ効果になり、一気に核ミサイルが行き交う第3次世界大戦に突入したら、エントロピーがとんでもなく大きい無秩序状態になりかねない。最悪のシナリオ、カタストロフィーの時である。果たして人類の英知はこの危機から逃れられるのだろうか。

 

4.エントロピー

 

エントロピーとはそもそも熱力学で定義された量である。ひとつの例で言うと、コップにインクを一滴垂らすとインクは次第に全体に広がり、薄い色の均一の状態に推移していく。元のインクと水の状態には戻らない不可逆的な現象である。これは一般的にエントロピーの法則といわれている。これは統計力学だけでなく、あらゆる事象の多様性とともに語られるようになった。つまり日常生活の中でも考えられうる量なのである。現代の情報化社会では複雑性もますます進むばかりで、私たち人間が抱える情報エントロピーは確実に増大している。そしてさらに産業革命以後のテクノロジーや医療技術の進歩が人口の爆発を生み、エントロピーの増大は指数関数的に止まることを知らない。

エントロピーを分かり易く言うとでたらめの尺度と考えてよい。エントロピー増大の法則に反して、そもそも人間というものは反エントロピー的存在であるといえる。身近な例で言うと自分の部屋は放って置くとどんどん乱雑になる一方である。どうするかというせっせと部屋の片づけをするのである。これをエントロピーで考えると、人間の私生活で行われる行為は少なからず乱雑である状態から、整理された状態にするのであるから、人間は反エントロピー的存在である。会社での仕事という行為も同様である。乱雑な状態を整理するのが仕事の主であることから、人間の社会的な行為というのも結局はエントロピーを小さくするのがその目的であるといえる。

人間が社会において安定を求めるとき、エントロピーを小さくすることである。社会的に無秩序な状態は自らの生命を危機にさらすことであるから、人間は秩序を求める。それが今、複雑系で研究されている自律的な自己組織化である。家族も会社も地方自治体も国も、そのあり方としては自己組織化という意味では相似形である。そこには多少その秩序が乱れてもなお修正しながら安定を求める人間の志向性がある。思想であろうが宗教であろうが政治であろうが手段は問わない。

しかし、人間の歴史の繰り返しに見るように、安定への志向性が行き過ぎると、独裁性という極度のトップダウンを生み出し、組織は腐敗し、人間を抑圧していく。抑圧された度合いが人間の価値観やモラルの閾値を超え、そうした人間の割合が多くなると何らかのきっかけでその組織の崩壊が始まる。エントロピーが小さな状態から混乱というエントロピーの大きな状態に移る、ひとつの社会的な相転移である。それは革命であったり、戦争であったり、最近ではソビエト連邦の崩壊のように大した流血騒ぎもなく一気に崩壊する場合もある。そうしてまた人間は自律的に新たな組織化を始めるのである。

人間は地球の歴史に登場して以来、反エントロピー的な存在である。世界がエントロピー増大の法則に従ってランダムになろうとするが、唯一それに抗することができるのが人間なのである。しかし、近年のユビキタスコンピューティングといわれるインターネットの進歩やマスメディアの発達で、私たち人間を取り巻く情報エントロピーは取捨選択できないほど過大になりつつある。このような時代を迎え、人間はまともな理性を保ち、抗しきれるのであろうか。