「PIECES OF A DREAM/CHEMISTRY」

(2001年、1stシングル)

 

 

 

誰しも、自身の原風景となる「この曲」というものを抱えている。

抱えた理由はそれこそ人の数だけあるのだろうが、まさにそれが音楽による「記憶の想起」に繋がるものであるように思う。

とはいえ、ただ普通に聴いているだけでは想起されない。

その曲に出逢った頃と今とでは、曲の印象が随分違うように感じることも多い。

特に、「この曲」が青春時代に出逢った曲である場合は、当時の自分と今の自分とのギャップ、つまり大人になる過程で掛けられた様々なフィルターを取り払わなければ、思い出と同じようにぼんやりと霞んだ存在になってしまう。

2000年代初期といえば、インターネットなどろくに整備されていない時代であり、情報の拡散と共有はごく一部のコミュニティに限定され、楽曲の咀嚼はその人の内側のみで行われていた。

そこで何かしらの存在意義を獲得したからこそ、それは「この曲」の地位にいるはずなのだが、私にとっての原風景であるこの曲も、いま改めて振り返ってみると、どうしてこの曲が心に棲み着いたのかが曖昧になっていた。

 

そこで、音楽の記事を書くにあたっては、その曲をじっくりと聴き、歌詞を見つめ直す時間を取ることにした。

忘れてしまった記憶が、歌詞を読み解くことで蘇るかもしれない。

そのトリガーとなったフレーズこそ、当時の心を揺さぶる何かであった、ということになるだろう。

できるだけ心を空っぽにし、当時の自分、当時の感情を投影しながら聴いてみる。

そうして思い出すと同時に、思い出すんじゃなかったという後悔でいっぱいになった。

はたしてそれは、鮮明に浮かび上がってきた。

 

キミが最後に詰めた夢のカケラたちは今どうしてる?

ボクは…

二度とは戻れない時代なんだと気づいた

 

青春時代に夢を持っていた人はどのくらいいるのだろうか。

そもそも夢とはなんだろうか。

『勉強して、いい大学に行って、地元で就職して、出世して結婚して家を継ぐんだよ。』

幼い頃から言われ続けてきた言葉である。

良いことだと思っていたし、別にその人生を否定する気はない。

しかし、他人の敷いたレールの上にいる人間にとって、「二度とは戻れない場所」も「二度とは戻れない時代」も、自分のものではあり得ない。

結局私は、夢どころか「夢のカケラ」さえも掴むことはできない青春時代を長く過ごしてしまった。

私の歩みが誰かを傷つけることもなかったし、ポケットの中に「キミが置いてった言葉」が残ることもなかった。

異常なまでに非能動的な人間であった私には当然の帰結だろう。

そして、この曲に予感したように、私は敷かれたレールの上から降りることはとうとうできなかった。

だからいよいよもって行き詰まり、強引に脱線事故を起こし、そして平気な顔をして被害者面で生きている。

こんなものは夢だの現実だの語るまでもなく、ただのダメな大人である。

 

それでもこの曲は、当時の自分に「夢のカケラ」を手にしたいと思わせてくれた曲だった。

夢を持っていた者ではなく、夢を持たなかった者にこそ刺さる曲だ。

原風景となる「この曲」とは、多くの人にとっては「体験と共感の記憶」になっているのだと思う。

しかし、夢を持たなかった者には、この曲に出逢った時も、繰り返し聴いている時も、それは「ifの世界」となって心を揺さぶり続ける。

仮定の世界。

つまりは、私の知らない、絶対に手に入れることのできない物語がそこにある。

強烈な憧憬。

この曲こそが私を不意に傷つけ、私を臆病にし、しかし手のひらになじんで、懐かしい痛みを指先に感じさせるのだ。

「ハンパな夢のひとカケラ」さえも持てず、まさにハンパ者にしかなれなかったあの少年は、それでも今を生きている。

 

この曲には「キミ」と「ボク」が登場する。

「ボク」の方はイコール「現在の自分」なのだろうが、「キミ」の方は聞き手によって意味合いが変わってくる。

おそらくは「好きだった人」くらいに解釈すると、もっと別の、ストレートな物語があるのだろうが、私は「過去の自分」だとなんとなく思っていた。

そうした上で改めて歌詞を辿っていくと、現在と過去が綯い交ぜになりながらこの物語は進んでいく。

自分の現在と過去がそこにあるのであれば、今だったらこれは現実的な物語として捉えてもいいのではないかと、ふと思った。

夢のカケラがないことが、夢を持ちたいという夢だったとして、先ほどの「ifの世界」からは脱出したかのように思えた。

しかし、最後のフレーズ。

十数年経った今、今度はこのフレーズが、楽曲上での「現実の私」の存在を鮮やかに否定するのである。

 

キミは今何してる?

月がボクたちを見ている

 

「キミ」を過去の自分とした場合、この「ボクたち」だけは、現実的な自分ではあり得ない。

なぜなら、ここに来て初めて「月」が登場するからだ。

この曲の歌詞を通して、心情、比喩、人物像以外、つまりは初めての映像描写が「月」なのである。

MVでも手話で描かれるだけで、実際の月は出てこない。

であればこの月は、夜空に浮かぶ地球の衛星、という写実的な意味だけに受け取ることはできないだろう。

月の印象、月から受ける情動はなんだろうか。

孤独、静謐、神秘、あるいは畏怖。

人類が生まれる前から、そして人類が滅びた後も、何も変わらずそこにあるであろう悠久の光。

月とは、祈りを捧げる対象だ。

月だけが、過去も、現在も、未来も、すべてを知ることになる。

その非現実的なモチーフが「ボクたち」を見ている。

だから、この「ボクたち」とは、してこなたったことをしてきた自分、出来なかったことを成し遂げた自分、あるいはレールの上にお行儀よく乗り続けている善良で真っ当で正しい大人な自分、つまり「ifの世界」を最大限に内包している気がしてならない。

 

そんな物語を、実に美しい歌声で2人が紡ぎ出す。

私に歌うことへの憧れを教えてくれたものCHEMISTRYであるから、歌詞だけではなく、その声にも強く惹かれたのだろう。

上手く言葉にできる日が来たらまた書いてみようと思う。

MVも、改めて見返してみると気づいたことが多々あった。

知らない人には伝わらない手話で表す意味は何なのか。

自販機から手に入れた「DREAM」のプレートが、その後カケラになるシーンに込められているものとは何か。

興味は尽きない。

いずれにせよ、「この曲」が色褪せることは決して無く、私のポケットの中にいつまでも残り続けるのだろう。

 

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