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皆さま、
おは・こんにち・ばんは。

東日本大震災から、13年が経ちました。





2011年(H23)3月11日14時46分 発生

マグニチュード:9.0
震度:7(最大)
津波:21.1m(最大)

死者+行方不明者+関連死:22,212名




広域にわたり被害をもたらした、未曾有の大災害でありました。






(↑友人のS君撮影)

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大切な写真の使用にあたり、友人のS君に許可を取りました。

当時、S君は航空関係の専門学校に在学中(仙台空港近く)

写真に映るガラケーが、時の流れを感じさせますね。

「ヤバいぞ..😨ヤバいって..😨逃げろー!!😨」

写真は、津波が押し寄せる場面を捉えています。





(↑サンデー毎日)

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2011年4月2日号です。

私は当時..19歳。
大学生でした。




4月になり、前期の講義。

教場に入ると..



Xクンが津波にやられた..⁉︎

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午前に電話してたオバさんが、午後の津波で..。




など、生々しい言葉が飛び交っていたのを記憶しています。




東京であっても、店の商品棚はすぐに物がなくなりました。



計画停電もありました。



明るい時間帯の講義であれば、教場は消灯。

夏は冷房をつけず、窓を開けて対応。




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「今こそ助け合い」

貼り紙も、学内のあちらこちらに。

..当時の記憶が蘇ってきます。





同年の夏..

私は、岩手の親戚宅(お寺)へお邪魔していました。




(↑津波の高さを物語る)






親戚宅(お寺)での、出会いが忘れられません。



同い年(91世代)の子でした。

聞けば、従兄弟の友人だ..と。



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お寺に近づくなり、境内で洗車してる人が見えたんですよね。

しかも..お寺の車ではなく、自分の車っていう笑い泣き

従兄弟の幼馴染で、潜水士をしているとのこと。



夜..

3人で、ささやかな91会を開きました。




話題は、あの日から今(当時の)までの話に。



(↑津波の破壊力を物語る)





彼は、潜水士として

遺体捜索にも当たっていたそうです。




ご遺体の目がカッと見開いててさ..。

みんな..ひとりひとり人生もあっただろ..。

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豪快な彼の言葉ひとつひとつに、

惨い現場を経験した凄みを感じました。






続けて、


オレ馬鹿だしさ..
坊さんの世界とかわかんねけどさ、

◯◯(従兄弟)も◇ちゃん(私)も、良い和尚さんさなってくれや。

和尚さんさなったら、みんなが行きたくなる寺..作ってくれや。

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言葉が出ませんでした。







(↑追悼)





あの日を忘れてはならない。






生きている我々は、教訓を活かすことができる。










あの日亡くなった方々の命を、無駄にしてはならない。