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皆さま、
おは・こんにち・ばんは口笛

3月になりました。

本日は、、








    

 幻の太子堂を探せ😎






以前の記事でも触れましたキョロキョロ



『なんどでも蘇る』力強い姿をもういちど檀家さんの家々に飾られている写真(実物は全景がおさめられている)①西光寺②火防土手(堤)かぎりなく、江戸時代に近い集落を写した一枚と思われ…リンクameblo.jp







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本尊と土地護伽藍神に誓い..再び地の底から這い上がって来たぞ..チーン

(ゴゴゴゴ・・・)




↑なーんてね(笑)






かつての姿をPC上で再現したい。

こちらも、暇をみて進めておりました。








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..ということで、
Instagramの投稿を引用キョロキョロ
(一部編集)






2/19投稿

↑①太子碑

↑②石碑の裏側

↑③旧境内の考察


西光寺は、数回の大火と災害により、記録が曖昧な箇所があります。


太子堂(←聖徳太子を祀る)もその一つ🙄

現在の境内は、JR羽越本線で二つに分けられております。


しかし..境内の一部を旧国鉄へ無償譲渡した際の文書が😮(物件や樹木は売却)

破却した物件のなかに、"太子堂"の記載がありました。


力を失っていった寺院の一例がみれます。おもしろい..🙄

画像③は、旧国鉄の文書・口伝・遺された古写真をもとに作ってみました。










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"山門"は、お寺の門構えのことです



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"半鐘"は不確かですが、"井戸"の場所は間違いないな..と思います。

大正13年、国鉄.羽越線の開通。
昭和23年、国の機関へ請願。
昭和25年、駅が設置された。

鉄道開通以前は、井戸があったとされる場所で盆踊りを行っていたそうです。



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"土蔵"は、文政10年に建てられ明治14年に売却とのこと。西光寺の不動産(記録)や不鮮明な古写真を手がかりにしました。

寺を囲うような土塁(防火)もあったそうですが、コチラは省きました。








歴史はデータ







何度も焼失し、災害に見舞われても
復活してきた西光寺





お寺としてのピークもみえてきます。



①.伽藍(がらん)
→弘化3年〜大正10年
②.行事
→昭和53年(報恩受戒会の厳修)
③.檀家数
→昭和53年





西光寺のピークが把握できました。



ピークがわかれば、現在への流れも深く理解できます。




おのずと、やれることも確定します。




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あとは..代を継ぐまでにやれることをやるだけです。

それがクソほど難しいんですけどねってへぺろ(笑)






⭐️オマケ


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1974年の曲ですウインク

VELVETの♫Bet you if you ask around(1973年)をアレンジして作られました。

かぁ〜爆笑また旅さ出たい(笑)
より遠くへ..。飛行機に乗って。