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皆さま、
おは・こんにち・ばんはニヤリ



先日の記事↓で告知していた..


(↑押すorクリックでみれます)





10月26日です。








和暦の天明4年9月13日

(1784.10.26)




西光寺に逗留していた..

菅江真澄(←当時31歳)




1784年の10/26

日中は荒天..。

季節はずれの雪も降ったようです。

しかし、夕方頃には晴れ。




月の光で

海面が輝いていたそうです。






その夜、

ふたりは歌を交わしました。





又たぐひなか

空高くてる月に

光をかはすにはのしらぎく

[菅江]

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訳↓

またとない機会に、月は空高く輝いている。その月の光を散らす、庭の白菊といったら..もうね..照れ





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あれはてし

庵のにはの菊ながら

さほのかはらと人やめづらん

[天真和尚]
※菅江への返し

訳↓

荒れ果てた寺の庭に咲く菊でも、佐保の川原と思って人々は感心するのだろうか..ショボーン





余所までも

盛ときくの名に匂ふ

さほのかはらの秋は有とも

[菅江]
※和尚への返し

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訳↓

よその地域までも、盛りの菊の美しさは聞こえていますよ。それが、秋の佐保川みたいじゃなくてもねニヤリ










菅江の話を調べたのは、

大学生の頃..。



東京に居た頃でした。





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天明4年9月..
あら..小岩川。あら..西光寺。

和尚の名は..?天真..?

はじめて見る名だね..。

"天"は曽祖父の名と、
"真"は俺の一字と重なるね..。


(↑10年前のある日)




西光寺の寺史は、正確ではない。




天真という名の僧..。

歴代住職にカウントされてない。




可能性の話として、

3名まで絞るも特定には至らず。






しかしながら..




菅江と同じく、

天真も実在したのでしょう。





..身分も生き方も異なるふたり。

互いに何を感じたのだろうか..。





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天真和尚が詠んだ歌..。

学者の訳は..正しい。
けど、足りないと思うんです。

和尚がどんな気持ちで詠んだのか、伝わるものがあるんです。

ふたりが見た月..。

私は今、同じ月を見ているのでしょうか..ショボーン









ちなみに..コチラ

和暦↔︎西暦の変換について



↑広く網羅されていて面白いです爆笑