津波と小岩川



皆さま、おは・こんにち・ばんは🙄


令和5年も、早いもので6月です。


6月といえば..記憶に新しい
4年前(2019)の山形県沖地震


小岩川では、『6・18地震の日』
となっているわけですが、、



遡ること190年前..
同じように
庄内沖を震源とした地震があり、


家屋が流失するほどの津波が襲来した
という歴史をご存知でしょうか..?





天保4年10月26日 (1833.12.7)



14時頃、庄内沖の日本海を震源とする

マグニチュード7.5 (推定)地震が発生



小岩川の震度は、6強〜6弱(推定)

であったとのこと。


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今の本堂が再建されたのは、
1832年だから..
うえ〜い.. 建てた次の年に
さっそく大地震かよ(笑)


われら岩川大工の技術力..
西光寺の小倅よ
あまりナメるでない..

(↑あの世の声) 

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はい..🙄話を戻します。


過去の調査・研究報告によると、

(↑参考文献の紹介は、記事の最後に)



小岩川へ襲来した津波の高さは、

5〜8m程度と推定されています。



学生時代に

集落を歩いて調べた限りでは、



津波襲来を記録した

モニュメント(石碑など)は、

遺されていません。



しかしながら..

天保4年の津波襲来を今に伝える

墓碑が、"他の地域"にございます🙄



集落から国道7号を鶴岡方面へ。

車を走らせること約20分..。



天保4年津波犠牲者の墓碑 (鶴岡市堅苔沢)



はじめて訪れたのは、
大学1年生の夏休みで帰省したとき。


写真のような
立派に整備されたものではなく、


"風化著しい墓碑へ手を合わせて帰った"


..そんな記憶がございます🙄


後方の由来碑は、
3.11震災を契機として
置かれたようですね。




昔の方々は、文書のみならず



こういった墓碑や石碑

お寺や神社が建っている場所で、



襲来する可能性がある津波と"高さ"

を教えて下さってるわけです。



よろしければ..

時間があるときにでも、

市のハザードマップを

いま一度ご覧下さい。



市沿岸各地域のお寺や神社は、

その多くが、

津波をかわしている

立地なのだとわかりますから。



あくまでも、

市の"想定"での話ですけどね..。



墓碑後方の由来碑

 

さて..。


気になるのは、小岩川が受けた被害は
どの程度のものだったのか。


コレ↑につきましては、
わりと詳細な記録が遺されております。


市立図書館にて、

  • 原本
  • 原本を現代字に変換したもの

どちらも、
手に取って閲覧することは可能です。


写真転載しないことを条件に、

コピーも頂けました。





読める..読めるぞ..😎

(↑まるで某.大佐)

サムネイル



読んでみた内容を大雑把に書きますと..



各村の肝煎→大庄屋→代官所と渡って、

荘内藩へ提出された

沿岸各村の被害報告』..でしょうか。



歴史はデータ😌



災害に限った話ではありませんが、

過去を学ぶということは、

未来を知ることとも言えます。



では..続きは次回に (笑)



小岩川の津波被害の内訳のみならず、

私たちの先祖は、

どのような避難行動をとったのか



残念ながら、避難行動の

記録は遺されておりません。



私なりの..ですが、、

避難行動の考察も加えたものを、

次回の記事にしたいと思います🤭



日にちは..『6・18地震の日』が

ちょうど良いんでしょうね。









参考文献:

1990 『天保4年(1833)山形県沖地震とその津波の規模』 羽鳥徳太郎