集落と秋葉三尺坊大権現


2019年6/18夜に発生した山形県沖地震


西光寺境内には、"秋葉三尺坊大権現"(火伏せ)の御堂がありました🙄


同年10/20に御堂が解体され、現在は本堂内に安置しております。



そもそもの話..


なぜ、集落へ秋葉三尺坊大権現を招いたのでしょうか。


①解体を待つ秋葉堂


集落では、古来より9回の大火がありました。



西光寺も焼失の憂き目に遭っています(3回)



時は文化9年(1812)


西光寺には、事実上の住職であった慧命卍提(※)という僧がいました。(※紹介は記事の最後にあります)



防火の必要性を感じていたのでしょうか..?



卍提は、肝煎(現在でいう自治会長)へ防火に関する提案をしたようです。



同年、寺の北側に火防土手(堤)が築かれました。(現在の駅から港へ一直線に走る道、この道が火防堤の跡)



地域を分けることになりますから、

どちらかは生き残れる..というわけです。



②現在の安置処


またまた同年。


これでは不十分だと考えたのでしょう。


卍提は、秋葉三尺坊大権現を集落へ招きます。




供する2名の男を連れ、

越後国古志郡栃尾谷村(現:新潟県長岡市)にある常安寺へ向かいました。




その後、西光寺境内に御堂を建立。



御分霊と奉納された厨子を祀り、現在へ至る信仰の対象となったわけです。



③山形県沖地震の翌朝



ザックリと..ですが、これが集落へ神を招いた経緯となります🙄


集落にとって秋葉三尺坊大権現とは、
人々が"家内安全・万難消滅・火盗消除"を祈念した対象です。


しかし、対象に至る経緯を追ってみますと、

我々の先祖が、集落における防災の歴史を遺して下さっているとも感じるのです。



秋葉三尺坊大権現
(あきはさんじゃくぼうだいごんげん)

火伏せの神。
神仏習合(神と仏を一体視する考え方)の神。
"実在した修験者を神格化"..など、その起源には諸説ある。


慧命卍提(けいめい まんてい)
鶴岡市内にある"伝燈山正法寺"の31代目住職(正法寺は曹洞宗大本山:總持寺の直末寺のひとつであり、古刹.善寶寺の住職に選ばれる資格をもつ寺)
西光寺の寺史に記されている内容から、几帳面な性格も窺える。

常安寺(じょうあんじ)
新潟県長岡市にある、上杉謙信(武将)ゆかりの曹洞宗寺院。山号は"清瀧山"