母が旅立った翌日はきょうだいと葬儀社との打ち合わせをするために実家での待ち合わせ。

前日に病院から受け取った入院中の私物を携えて約束より前に着いた。駅から15分歩くには、日よけが全くない道で無理な暑さだし、不便なところなのでいい時間にバスがない。

50分前に着き、窓を開けてエアコンをぶん回し(この表現が一番合う)2階の仏壇に報告をした。

きょうだいが来ては片付けをしていたのだろう。1階が整然としていて、ああ、父がここを出てから半年が経ったのだ・母に至っては1年経ったと感慨深く見ていた。

前日に訃報を伝えられなかった父方の親戚(従兄たち)に連絡を入れて待っていると、きょうだいが来た。

先週の土曜日に施設から母の衣類を回収しているのだが、その中身を見て「やはり数が足りていない。ずさんな管理だな」と怒りの顔を見せて、片づけてあった母の洋服を2階から数枚、おろしてきた。

 

葬儀屋が到着。まず日程を決めなくてはならないのだが、実家市は4市共同の斎場で最近2か所になった。それでも最短で空いているのは31日。

家族葬ではあるが一番小さい部屋はないので、45人収容の部屋を借りる。時間を云々希望することはできない状況で、10時に火葬することになった。

通夜・告別式ではないので、前日の16時に家族が行って、棺の中の確認やらをすることになっている。

 

その後は祭壇をどうするか、棺は…と細かなことになる。葬儀屋から「遺影の写真はどうされますか?お持ちですか?」

私が持っているのは斜に構えた母の写真しかない。きょうだいが折に触れ撮っていた写真の中で1枚、正面を向いて笑顔の写真が出てきた。

「これでいいんじゃない?」と満場一致(3人だが)で決まり、マスクの跡がついている部分を修正して貰うこととした。

ここで祭壇の花の話になる。実は母、花と動物が好きではなかった。実家に花が多かったのはあくまでも父の趣味であった。

供花は棺に入れることもできるのだが、「燃えるものであればお菓子でもいいですよ」と言われて、きょうだいが「そうか…どら焼きを入れよう!」

花は勿論あるが、甘いものに包まれて旅立つ母を想像してクスリと笑う。

施設ではお小遣いを渡していても何故か、買ったお菓子は回収されていたから。

 

きょうだいは死亡届を自分で出すつもりだったようだが、「そちらは当方でいたします。週明けになると思いますので、ご家族で手続きをして頂きたいのは保険証の返納ですね。少しですが弔慰金がでるようです」とのこと。

きょうだいが「何しろ初めての経験でして」と本音を言う。家族葬とて何だかんだと費用がかかるものだとか、お寺さんとの絡みを考えると何とも大変なことだなと感じていた。

 

打ち合わせは1時間くらいで終わり、帰宅してともかく休む。イレギュラーに私は本当に弱い。

そして夕方になればまた、親戚に連絡をしなくてはならないので「はい、充電!」

買い物に行って1日遅れの土用の丑に睦月さん(仮)が喜んでいた。

 

仕事は日曜日は休みを貰い、月曜日は行く予定でいる。家族葬の日は仕事を休ませて頂いて、その翌日こそ休みを貰うかもしれない。そんな状況。

2度目の不穏で母は我が家の近くの病院へ入院したのだが、その時はバリバリ社員だった私。そうそう休めない中で、あの時は帰宅してから病院まで自転車をこいで母のところに行ったことを思い出した。

「あなたは仕事のことばかり。お父さんと一緒よね」と皮肉を言われたことは何度もある。

それでもこのスタイルを続けようとしているのは何故?と聞かれるだろう。

生死に直接関係する職種ではないけれど、誰かの手助けになればいい。

職場は何かあったら無理しなくていいと何度も言ってくださる。それが令和の時代なんだなと。

 

 

日曜日に旧ジム友さんと食べた揚げ焼きそば。かた焼きそばとタンメンが母のお気に入りだった。