自分たちは、イスラエルからバビロンに連れてこられて捕虜となっているけど、

残ったイスラエルにも、壊滅の危機は迫っているっちゅう

預言

 

粘土で作ったエルサレムの包囲の様子

390日間と40日間の寝返りの禁止と包囲の期間

 ええ?寝返り禁止?

 たった数行で終わってるけど、つ、つらすぎる。

 いや、だれか見ててくれたのか?一人でぽっつりと感があるんだ 

 けど大丈夫か?

雑穀で作るパン作り。普通の小麦粉だけでは作れなくて、汚れたものとされた人の糞で焼く。
 困窮の極みを表現することらしい。
 エゼキエルは1年以上寝て過ごすことには従ってけど、

 汚れとされていた人の糞じゃやだっ
 て牛の糞で焼いていいよって言ってもらう。

 

ここらへんの預言者の偉さは

どんな心持で従っているのか?

私には理解できないんだよなぁ。偉すぎる。わたしにはできん。

というよりしたくないなぁ。それじゃあだめなんかねぇ。

 

4:17 こうしてパンと水が乏しくなり、だれもかれもは茫然として自分たちの咎のゆえに朽ち果てる。

 

体験して苦しんだエゼキエルは

体験でなく、本当にこうなるイスラエルの人々に思いをはせるだろうか。

 

1:4

うふふ新改訳の「ぐるぐる」という表現がなくなってて、

新改訳2017は「きらめき渡る」とか、なんか表現が美しくなりましたね。

幻・・・ほんとのところはエゼキエルしか見てないっと。

 

幻は、よーく読んで映像にしてみて・・・・・・

あきらめてやっぱ意味わかんねぇやってなるんだよねー。

とりあえず、

なんっかすっげー。きれー。おっかねー。きも。ああいや、神々しい~

って ことで、

エゼキエルがひれ伏したとこで

神さまのなんと

声が

 

2:あなたの口を大きく開けて わたしがあなたに与えるものを食べよ。

この前に、イスラエルの民は反逆ばっかしてて

しょうがねーからちょっと言ってやっから、

あんたちゃん伝える人ね。

言うから、

ここで口を開けたら、

すっご苦いもの食ってこれからつらくってがんばんなきゃ

(´;ω;`)ウッ…って

なりそうだけど、

思い出したの

 

詩篇 81:10~あなたの口を大きく開けよ。私がそれを満たそう

 

恵なんかー。

エゼキエル書でも、続けて、

3:3~それは蜜のように甘かった。

とある。

そかー。

 

反逆の家、イスラエルに対して

聞いても聞かなくても語れ

悪者に語り

正しい者に語り

エゼキエルにもその責任が命に課せられる

やっぱり結構ハードである。

 

そして、さあ行け、家に閉じこもっていろ

って、

どーしろっていうのさ。

旧約聖書のこの表現どうなのなんか、いっぱい端折ってあるんだろうなぁと思ふが、

また、

神様は、エゼキエルに

ちゃんといろいろと準備をさせてくださってから、

遣わそうとされているのかな、と思う。

昨日今日、ワーッと感動して

よっしいくぞ。

ではなくて、

幻や言葉や七日間茫然とせてくださったり、

感情を揺さぶったり

いろいろして準備もさせてくださってるんだと思った。

祭司のエゼキエルが書いた書物と。

地理ではケバル川と。

いきなりのイスラエル国外。バビロン捕囚されちゃった先での

神様が見せてくれた幻とな。

 

第一回のバビロン捕囚から5年

5年も囚われの外国暮らし

母国ではそのころ、

エレミヤvs自称預言者ハナンヤの大攻防中。

 

 

ヨシヤ王の宗教改革から立った日の30年

という数え方をしている。

宗教改革を1年目って数える仕方だったんだろうか?

エゼキエルにとって大切だったんだろうか。

イスラエルの年月の数え方ってなんかあるんかな。

エレミヤのことはきっと有名な予言者として

エゼキエルも知ってたんではないかなって解説に書いてある。

 

哀歌

 

王国ユダのエルサレム滅亡を哀しむ歌。

ヘブル語アイウエオで詩ができているらしい。

イスラエル人は読めるのかな、

哀歌カルタとか作れるんでは。

  あ ああ、寂しい・・・やもめのように。

  い いないよ友は・・・裏切って。

  う うつされた。・・・異邦人の中で憩えない。

  え えんにちも祭りももうないさ・・・。

  お 幼子もとりことなった…罪のため。

楽しめるかいっってんだー。内容がしんどいわぁ。

エレミヤなのかな?違うって説もあるらしいね。

 

1章

とてもつらい。こんなにひどい。

仲良くしていたと思ってた周囲は

助けてくれないし、とってもひどいことをする。

この、ひどい事々は、

神さまが自分たちを怒っているからおきてるんだ。

:18主は正しい方である。しかし、私は主の命令に逆らった。

 

途中で急に「私」と一人称になる。

 

そして、主に

私を苦しめる周囲の奴らに復讐してと願う。

--思うこと

仕返ししてくれというのは正当なのかなぁと???

でも聖書ではよくある表現。だねー

そんなこと言っていいの?平和を乱すんじゃないの?悲劇は繰り返すんじゃないの?受け入れられんなー?????

これが、

「自分で復讐してやる」「復讐させてくれ」

ではないということか。

神さまがしてください、というのはとっても重要なのだろう。

自分で復習してはだめなのだ。

 

2章

主が怒られた

そりゃもう容赦なく。

 

3章

主は私を責められた。

・・・

そして

:21~22

 ~それ故私は言う「私は待ち望む。主の恵みを。」

   実に私たちは滅び失せなかった。

   主の哀れみが尽きないからだ。

   それは朝ごとに新しい。

 

 

あああ、この言葉、哀歌だったのあかぁあぁぁ

 

:26 主の救いを静まって待ち望むのは良い

 

 

こんな苦しい哀歌の真っただ中に、

この言葉かぁ。

そっかぁすごいねぇ。

 

3章うずっとすご。

 

:38 わざわいも幸いも、いと高き方の御口から出るのでは

   ないか。 

 

:39 生きている人間はなぜ不平を言い続けるのか

   自分自身の罪のゆえにか

 

あ、そうか。

不平は不公平じゃないかっという訴えのことではなく

実は自分の罪ゆえの

文句

きっと、私なんてそうなんだから、結局自分の不満からは救われなくて、

悔い改まったときにほんとに救われるんだろう。

まだきっと悔い改まりきってないから、

「か」って書いてあるんだろうか?くふふふ

 

4章

美しい、優しい、特別に聖別されたはずのものも

今は崩壊。

それは指導者が正しく導かず、正しい人を死に追いやるようなことをしていた。

つまり、一番正しくあるべき人も罪を犯したから。

頼りになると思っていたものも捕らえられた。

しかーし、次は私たちを苦しめたエドムだぞ

(つまり、私たちの主の怒りは過ぎ去ろうよ、ということらしい)

 

 

5章

まとめ

そして

 

なによりの救い

 

:21 主よ、あなたのみもとに帰らせてください。

 

 

:22あなたが本当に私たちを退け

  極みまで私たちを怒っておられるのでなければ

 

お願いそこまで怒んないでね。

ホント苦しくて、実は極みまで怒ってるのかと思っちゃうけど

ホント自分たち神様に逆らってばっかって、気が付いたし

神さまの憐れみを信じてるっすっ てこと だかね。

ここで、ゼデキヤ王の記事

 

在位4年目にエレミヤから託宣を聞いたけど

7年くらい

無視して

結局反逆。

 

第2列王記とほぼ同じだけど、

エレミヤ書のほうがもうちょっと丁寧とのこと。

バビロンが奪ったものは、

神さまがイスラエルに命じた

礼拝のための用具だった。

レビ記とか民数記に丁寧に書かれたものだったんだな。

 

エレミヤ書おわり

 

最後の二人の王は

徹底的に滅ぼされる者

回復される者

その理由も書いてあるような、ないような

 

もうぅ聖書ってむつかしいよぅ

バビロンへの続き

 

お?

新改訳第3版と 2017

全く逆のことば???もっと前のを読んでみる

あ、

2017で訳を変えたんだぁ。

ふーん。

 

この章、主語が激しく入れ替わってむつかしー

誰が弓をつがえるのか?つがえられないのか?

つかえさせないのか。

誰がバビロンを助けようとしたのか?

バビロンとイスラエルとバビロンを滅ぼす者たちに…

 

ま、いっか

主題には影響がないから

 

とにかくバビロンへの主の裁きは徹底的だってことだ。

 

そして急に

15節から、神さまの創造主たるすごさの表現。

19節はすごい。

その相続の権利を異邦人にまで

及ばせてくださったのだ。

 

そして、

えと?

バビロンが滅びる予言をゼデキヤ王に伝えるの?

じゃあ、やっぱりバビロンに反逆しちゃオーって

ゆうことじゃなくて、

神さまに立ち返れって伝えたいって事でしょうね

ゼデキヤ王ってバビロンを諸国連合でやっつけちゃおうぜって

策略したけど失敗して

王様最後になっちゃった人だったもんね。

 

ふむ。

こりゃ注解とかかみ砕きメッセージとかないと

やっぱり聖書って

何が書いてあるのか意味をつかむのがむつかしい。

 

そしてここから

もっと

ときあかし

を願うす。

 

とうとうバビロンに向けた言葉

 

その時のイスラエル人のようになったらいいんだなぁ。

神様に向かっていることろ

4:泣きながら~主を尋ね求める

バビロンにあかんべするんでなく自分たちが神様に悔い改める。

 

バビロンは、神様無視で、

7節のことばは、だから私に罪はないと聞こえたけど、

イスラエルが罪をみを犯したからかしたからだよ、 

神様との関係で罪としりつつ

自分のことを棚に置いちゃって

ひどいことしまくったから

 

この託宣なんだねぇ。

こんなこと、しがちですけど。

人のこと見て、笑ってる場合ではないんですねぇ。

自分のしたことにおいて、神様の前に裁かれるんだ。

 

20:私が残す者を、私が許すからだ。

 

ここでは、神様を畏れる従順な人

と注解にあり、そうかやっぱりちゃんとした人が許されるのか

と思うけど、

私の気持ちとしたら、

神様に「合格」と言ってもらえるほどの敬虔さは持ち合わせられないので、

ただただ、

「じゃ、あんたいいよ」って言ってもらえたらいいなぁとか

思っちゃう。

そんなンずるいでしょうけど、

そうでもしてもらわないと、私は救われないですよ。

イエスさまは いいよって

言うために大変なことをしてくださったのだ。

 

ああ、全然足りてないけど。感謝します。

神様から、

諸外国へのエレミヤへの言葉

アンモン人へエドム人へ・・・・

 

あ、創世記に出てきた人たちとか、

ヨシュア記だったかなとか

こんなところに、あのエサウの子孫が絡んでくる。

 

いくつかの民は「私は○○を回復させる」とあり

ちょっとほっとする。

神様の理由の中で、回復される民もいるのだ。

 

注解付き聖書(新改訳聖書第3版)を読んでいると、

ダマスコも神様の計画ではイスラエルのはずだったんだぁ

 

ここ 現在の居場所 今の時  とかの

 

ここ

 

 

どこへでも いつにも なにものにも 続いている 限りのない

ここ

であることが 救い 

 

 

ただ一点の

ここ

であることが 救い 

 

はずだが

見失っている感じがする