哀歌

 

王国ユダのエルサレム滅亡を哀しむ歌。

ヘブル語アイウエオで詩ができているらしい。

イスラエル人は読めるのかな、

哀歌カルタとか作れるんでは。

  あ ああ、寂しい・・・やもめのように。

  い いないよ友は・・・裏切って。

  う うつされた。・・・異邦人の中で憩えない。

  え えんにちも祭りももうないさ・・・。

  お 幼子もとりことなった…罪のため。

楽しめるかいっってんだー。内容がしんどいわぁ。

エレミヤなのかな?違うって説もあるらしいね。

 

1章

とてもつらい。こんなにひどい。

仲良くしていたと思ってた周囲は

助けてくれないし、とってもひどいことをする。

この、ひどい事々は、

神さまが自分たちを怒っているからおきてるんだ。

:18主は正しい方である。しかし、私は主の命令に逆らった。

 

途中で急に「私」と一人称になる。

 

そして、主に

私を苦しめる周囲の奴らに復讐してと願う。

--思うこと

仕返ししてくれというのは正当なのかなぁと???

でも聖書ではよくある表現。だねー

そんなこと言っていいの?平和を乱すんじゃないの?悲劇は繰り返すんじゃないの?受け入れられんなー?????

これが、

「自分で復讐してやる」「復讐させてくれ」

ではないということか。

神さまがしてください、というのはとっても重要なのだろう。

自分で復習してはだめなのだ。

 

2章

主が怒られた

そりゃもう容赦なく。

 

3章

主は私を責められた。

・・・

そして

:21~22

 ~それ故私は言う「私は待ち望む。主の恵みを。」

   実に私たちは滅び失せなかった。

   主の哀れみが尽きないからだ。

   それは朝ごとに新しい。

 

 

あああ、この言葉、哀歌だったのあかぁあぁぁ

 

:26 主の救いを静まって待ち望むのは良い

 

 

こんな苦しい哀歌の真っただ中に、

この言葉かぁ。

そっかぁすごいねぇ。

 

3章うずっとすご。

 

:38 わざわいも幸いも、いと高き方の御口から出るのでは

   ないか。 

 

:39 生きている人間はなぜ不平を言い続けるのか

   自分自身の罪のゆえにか

 

あ、そうか。

不平は不公平じゃないかっという訴えのことではなく

実は自分の罪ゆえの

文句

きっと、私なんてそうなんだから、結局自分の不満からは救われなくて、

悔い改まったときにほんとに救われるんだろう。

まだきっと悔い改まりきってないから、

「か」って書いてあるんだろうか?くふふふ

 

4章

美しい、優しい、特別に聖別されたはずのものも

今は崩壊。

それは指導者が正しく導かず、正しい人を死に追いやるようなことをしていた。

つまり、一番正しくあるべき人も罪を犯したから。

頼りになると思っていたものも捕らえられた。

しかーし、次は私たちを苦しめたエドムだぞ

(つまり、私たちの主の怒りは過ぎ去ろうよ、ということらしい)

 

 

5章

まとめ

そして

 

なによりの救い

 

:21 主よ、あなたのみもとに帰らせてください。

 

 

:22あなたが本当に私たちを退け

  極みまで私たちを怒っておられるのでなければ

 

お願いそこまで怒んないでね。

ホント苦しくて、実は極みまで怒ってるのかと思っちゃうけど

ホント自分たち神様に逆らってばっかって、気が付いたし

神さまの憐れみを信じてるっすっ てこと だかね。