妙堪寺というこじんまりとしたお寺があるのですが、そこには
豊久丸の墓と妙堪寺⁇
なんのことやらさっぱりです。
おまけに説明板の文字が消えかかっています(苦笑)
教育委員会の方々、頼んまっせ~(。-_-。)
さて、その説明板の内容に入っていきましょう。
そもそも盛見というのは兄のよっしーこと義弘が応永の乱で死に、その後の壮絶な家督争いに勝利して当主となった人物です。
ひろよんこと大内弘世の六男だそうです。
そんなある日、盛見は我が子の豊久丸と山口の鰐石で遊んでいました。
そして盛見は苦渋の決断をします。
我が子の豊久丸を堪野川に突き落としたのです。
そしてその亡骸は妙堪寺の場所まで流され、盛見自らが開基となり、豊久丸を弔うため妙堪寺を建立したのだそうです。
まとめるとこんな感じ。
以上、HTC漫画コーナーでした~。
以上、HTC漫画コーナーでした~。
ってこんな終わり方できません(笑)
なぜ盛見は我が子豊久丸を殺害したのでしょうか。
説明板によると、義弘の子との次の代のときに家督争いを起こさせないように豊久丸を自ら殺害したのです。
今では考えられないことですが、これが武士の世に生まれたものたちの運命なのでしょう。
盛見自身、過去に壮絶な家督争いを経験していますから、その分家督争いを起こさせたくなかったのでしょう。
結局、森見の死後、義弘の子供である持世が大内家を継ぎました。
果たしてこれが事実なのか単なる伝説なのかは分かりませんが、豊久丸の墓は妙堪寺にあるそうです。
探してみてはいかがでしょうか?