どうも 博多佐之助です
今回は読書感想となります
読んだ本のタイトルは
『天才 勝新太郎』 著者は春日太一さんです
ボクは時代劇が大好きなのですが、
その中でも座頭市はこれまでも人生の中で一番好きな作品です!
そんな作品の主演であり座頭市の分身とも言える勝新太郎さんのことが書かれた
この本とは神保町のとある古書店で出会いました。
タイトルの通り勝新太郎さんの人生や役者、製作者としての美学が書かれています。
一役者として参考にしなければならないことがたくさんありました。
しかしそれよりも勝新太郎という人間は天才であることは間違いないのだけれど、
とんでもなく繊細でピュアな人間であり、世間がイメージする座頭市や『役者・勝新太郎』として生きなければならなかった。
また生きようとした孤独で悲しい存在なのだなという印象を受けました。
人間生きている以上、誰かと関わり助け助けられて生きていくので
時には自分を押し殺して周囲と折り合いをつけなければいけない時もある。
勝さんはそんなことは百も承知の上でどれだけ周囲に迷惑をかけてでも作品つくりに一切の妥協はしなかった。
最近はコンプライアンスで生きにくいから昔のテレビや映画の方が表現の自由があって良かったなんて思っていたけど、
当然ながらその時代その時代の縛りはあって何でもかんでも自由という訳ではなかったんですね。
それでも勝さんの周りには彼のことが大好きな人間がいた。
それは肩書きや名誉で繋がっていない本当の絆で結ばれたまるで家族のような存在。
ボクもこの本を読んで雲の上の『天才役者・勝新太郎』への畏敬と『人間・勝新太郎』のことが大好きになりました。
そしてこの本を読んでいて面白いなと思ったのが、座頭市がテレビで放送されることになった当時の話。
以下、書籍に書かれた内容の一部を読み上げます。
「日本は不況でテレビ界は広告収入の減少や維持費の高騰に伴って放送時間の短縮や番組予算削減を余儀なくされていた」
コレは昨今のテレビ事情とほぼ同じような気がしませんか?
また映画を主戦場にしていた勝新太郎さんにとって「テレビへ主戦場を移すことは都落ちに近い感覚があった」という件があるのですが、
これはテレビをYouTubeに置き換えるとまんま現代の話になります。
流石に今はYouTubeへの活動を都落ちと思う人も少ないとは思いますが…
こう見てみるとどんな時代でも「新しいモノに対するアレルギー」みたいなやつはあったんですね。
自分も年を重ねると新しいモノに対してのアレルギーは自然と出てくるのだろうか?
そうならないように柔軟な心をいつまでも持っていたいですね。
博多佐之助でした。