飯島愛さんのブログ、
[飯島愛のポルノ・ホスピタル]
に関する記事を読みたい方は、
2019年(11/4)・(11/21)、(11/22)~(12/8) の
拙ブログ記事で
紹介・引用しておりますので、
そちらを参照してください。
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倉地明美さんによると
こんな心温まるエピソードも
残されている。
「いちばん助かったのは、病気で寝込んだ
時ですね。愛は料理が上手なんですけど、
あたしが風邪を引いた時なんかは、
よく手料理を持ってきてくれました。
重箱に竹の子の炊き込みご飯や煮物、
お吸い物まで持ってきてくれたことも
ありました。逆にあたしが愛の部屋に、
介抱に通うことも多かったです。」
([独りぼっち] P54)
互いに支え合って生きていたことが
伝わってくるコメントだ。。。
加えて、
こんなシリアスなエピソードもあった。
愛さんが生前、慢性的に腎盂炎を患っていた
事はよく知られているが、
実は彼女は、すでにこのころから明美さんに
「お腹や腰に激痛が走る」
「腎臓に石が溜まる」などと、
重い体の不調を訴えていた。
彼女は
たびたび高熱を出すこともあったが
家出中で保険証も無かったため、
市販薬で痛みを我慢して
乗り切っていたという。
しかし、
あまりにも長く高熱が続いた際には、
明美さんの機転により
ただ一度、数日間だけ、
愛さんは亀戸の実家に帰されている。
([独りぼっち] P55)
愛さんが豊胸手術をした直後のエピソードも
2人の絆の強さを物語っている。
「痛いよー、痛いよー」と、脇の痛みに
のたうちまわる愛さんは、手も上げられず、
冷蔵庫も開けられない状態だった。
明美さんは、
彼女がジュースを飲める状態にしてから
出勤したという。([女の戦い] P178)
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このブログの最初の記事で、
(昨年10月31日付)
なぜ私が
池尻大橋駅の近辺や目黒川沿いの道を
(そして推理の末、東山児童遊園の近辺を)
「聖地」として取り上げたのか、
少しは分かってもらえただろうか。。。
明美さんは、
愛さんと共にすごした大切な数年間を
こんな言葉で書き綴っている。
「私の青春時代は、
飯島愛なくしては
語れないし、
彼女がいたからこそ
本当に楽しかった。」
([インターネットの闇に棲む悪魔]
第6章 2/5 より)
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