【続き】



息子は、遅刻はありましたが、


休むことなく登校していました。


でもその状態は、かなり悪いものでした。



学校でストレスを溜め込んでいたのでしょう。

車の中や自室では、

癇癪で大暴れでした。




テストも、見るも無惨な結果でした。

平均点どころか、

得意科目以外は、クラス最低点でした。



息子は、返却された答案用紙を

ビリビリに破きました。




再テストで、なんとか在籍は認められましたが、

成績下層生は、転学する傾向がある学校です。




息子は、このまま在籍できるのか?!


私はいつもこの不安を抱えていました。





そして、我が家に不運が襲います。



息子の状態悪化に加え、

家庭環境も、さらに厳しい状況になりました。





その頃の夫は、出張が多く、


家を留守にすることが、よくありました。




夫が留守の時に、朝私が起きて来ると、


義父が腰が痛くて歩けない、


と言い出しました。


トイレで転んだ、と言っていました。




私は、救急車を呼ぶべきか迷ったのですが、


地域の旧知の整形外科医院に行きたい


と義父が言うので、


そこへ連れて行くことになりました。




まず、息子を学校へ送らなくてはなりません。



その帰りに医院に寄り、


予約をとり、車椅子を借りて、


義父をその車椅子に乗せて


医院へ向かうのですが、



義父を支えて、玄関まで行くのも大変でした。



玄関でやっと車椅子に乗せたかと思うと、


駐車場で義父をまた車椅子から車に乗せ換え、


医院の駐車場でも、乗り換えの繰り返し、



往復で私はヘトヘトになってしまいました。




それでも、息子を迎えに行かなければならず、


食事の用意もしなければならず、


私の方が、もう倒れるかと思いました(泣)




義父は腰の骨に小さいヒビが入っていましたが、


その医院では入院はさせてもらえず、


それからの自宅介護は、苦行でした。




あの時、救急車で救急病院に行っていれば、


入院させてもらえたのではないか、


と、つくづく後悔しました。




私の、負のスパイラル突入事案発生です。




義父は、トイレが上手くできなくなりました。


トイレもベッドも汚すようになり、


デイサービスにも行けなくなり、


24時間自宅介護を私が負うことになりました。




ケアマネに相談しましたが、


すぐには対応できないと言われ、


待つしかありませんでした。





義父はトイレの問題は無い、


ということだったので、


私は同居生活を、受け入れたのですが、


……甘かったです。




老人介護は、病気や怪我などで、


すぐに悪化することが、よくあるそうです。




そして、今より先が良くなることはない、


病気療養とは違う、ということを


痛感しました。





(過去の投稿を編集して再投稿しています。)



【続く】

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