フェイク 第1279号 (発行=12.03.05)



「御前様は塔婆で叩いていた」
日顕の息子・信彰の凶暴な体質を糾弾 ③
鬼の形相で女房の髪を掴み引きずり回す





 阿部信彰の凶暴な性格、異常なまでの暴力体質は、父親・日顕と瓜二つである。信彰の虐待によって傷ついた所化は多く、還俗した者もいる。しかし、所化以上に地獄の苦しみを味わってきたのは、不幸にして信彰と結婚した信子だと言われている。信子に対する暴行の目撃談は数知れない。


 かつて埼玉県越谷市・能持寺の隣の仏壇屋に勤めていた人は、こう述懐する。


 「ほとんど毎日のように寺から住職の罵声が聞こえてきました。寺から飛び出した信子さんをステテコ姿の住職が血相を変えて追い掛け、ある時は真っ昼間に信子さんの髪の毛を鷲づかみにしたまま、寺の近くを歩いていたこともあります。近所の人からも『何だろうね、あの住職は』と言われていました」

 信彰は些細なことで直ぐに激高する。


 例えば来客の際、お茶を運んできたタイミングが悪かったと信子の手や膝をつねったり、叩いたり、時には「バカか! お前は!」と喚き散らすこともあった。その豹変ぶりに、居合わせた人も「これでも日蓮正宗の僧侶か?」と目を疑ったという。


 また、能持寺の近所の婦人は「何しろ、夫人のやること、なすことが気に入らなかったようです。住職が物凄い形相で夫人を追い掛けているのを必死で止めたこともあります。『どうしたんです? 可哀想じゃないですか』と助けたこともあります」と証言している。


 信子に対する仕打ちは能持寺の時だけではない。ブラジルの一乗寺や府中市・大修寺でも拳(こぶし)を振り上げながら「バカヤロー、お前はバカだ!」と怒鳴り散らす信彰に、信子が土下座して「申し訳ありません! 南無妙法蓮華経」「もうしません! 南無妙法蓮華経」と謝っている姿も目撃されていた。


 時には学会員宅に「助けてー」と逃げ込んできたこともある。


 一乗寺に勤めていた人々が「家族も奴隷扱いだった」と証言して憚らない。


結婚直後から暴行


 尋常ではない想像を絶する暴力行為は、結婚した直後から繰り返されていた。
二人の結婚は信彰より日顕の方が信子を気に入り縁談を進めたという。結婚して一週間後には手を上げられ、寝込むことも度々であった。「怒鳴られ、殴られ、もうやりきれない……」と理不尽な扱いに耐えかね、泣きながら家出を繰り返した心中を思うと不憫である。


 信子が松葉杖で歩く姿も目撃されている。これほどまでに信彰の暴虐行為は、家族や所化など多くの人達を苦しめているのである。


 その信彰が、かつて大修寺に在勤した所化に「御前様(日顕)の若かりし頃は、もっと酷かった。塔婆で叩くこともしばしばだった」と吹聴していた。


 「瞬間湯沸器」の異名を持つ父親の日顕に比べれば、自分の暴力はまだ軽いものだと言わんばかりだ。


 昭和六十三年から平成三年四月まで大修寺の従業員だった人は、信彰の凶暴な言動を常に目の当たりにしてか、今でも「阿部信彰」なる固有名詞に耳目が触れると、忽ち背筋が寒くなると語っている。悪しき条件反射である。
(つづく)




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