フェイク 第1278号 (発行=12.03.03)



悪逆非道を繰り返す鬼畜坊主
日顕の息子・信彰の凶暴な体質を糾弾 ②
暴行に耐えかね所化が失踪、父は服毒自殺






 暴力坊主の阿部信彰は能持寺(埼玉県越谷市)、ブラジルの一乗寺、大修寺(東京・府中市)、妙国寺(板橋区)、常在寺(豊島区)と、行く先々で事件や問題を引き起こす。見境のない凶悪な暴力と横暴な言動は周囲の顰蹙を買ってきた。


 能持寺時代の信彰をよく知る人が、勤行中にリン棒で所化の頭を叩くのを見たと語っているが、太鼓のバチで頭を殴られて頭を切り、顔を叩かれて唇などを切った所化は大勢いる。


 この程度の暴行は日常茶飯事で、ある所化は恐怖のあまり寺を飛び出したまま帰らず、半年近くも東京・羽田空港で荷物運びの仕事をしていた。


 昭和五十六年十月、ブラジル一乗寺での朝の勤行で、信彰が勤行の最中、突然、在勤坊主の頭を数珠でひっぱたき、参加していた信徒を、何事かと驚愕させた。信彰が手にする仏具は凶器に早変わりするのだ。


 大修寺で信彰に日頃から鼻血が出るほどの酷い暴行を受けていた所化のKは、信彰の前に行くと条件反射で鼻血を出すようになっていた。度重なる悲惨な事態に、信彰のいる大修寺は、所化たちの間で「阿鼻叫喚の大修寺」と広く喧伝され、忌避された。


 大修寺の元従業員は、鬼のような形相で殴打された所化の法衣が「血染めの衣」と化すのも珍しくなかったと証言し、朝、出勤してバケツの中に血が付着した衣を見ると、憂うつになったと顔をしかめていた。


 信彰の暴行によって有ってはならない惨劇が起きたことがあった。


 昭和六十三年十月、過去帳を書かなかったという理由で、信彰が一人の所化を呼びつけて、顔が腫れ上がり、足腰が立たなくなるほど滅多打ちにした。


 暴行に耐えかねた所化は「俗の道に入ります」と書き置きを残して寺を脱走し、行方不明になった。


 信彰が所化の実家に電話をかけた数日後、悲劇が起きた。


 信彰が電話で何を伝えたかは不明だが、所化の父親は沈痛な面持ちで「出家せる人の還俗の心付きて落つるならば・彼の五逆罪の人よりも罪深くして大地獄に堕つべし」などと書かれた「出家功徳御書」を何度も読み返していたという。


 息子の失踪に思いを巡らし悩んだ挙句、農薬で自ら命を絶ったのである。


 息子に宛てた遺書には「お父さんは何も言わない。自分の好きな道を選びなさい」と書かれていた。


 人々に慈悲を説くべき僧が、人を苦悩のどん底に叩き落とし、剰え命を奪うとは断じて許し難い。このような悪逆非道を繰り返してきたのが信彰である。


 人の振舞の重要なことを教えられている日蓮大聖人の直系などと自称してはいるが、慈悲の精神など微塵もないのが信彰であり、これは父・日顕譲りである。


 こんな信彰のような暴行魔の似非坊主が、宗務院の部長という要職に居座り続ける限り、日顕宗は衰退の坂道を転がり落ち、結句、滅亡することは自明の理である。 (つづく)




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