「貴方は月に何冊読書していますか」と、よくテレビや雑誌でやっている。
いかにも「読書しない人は語彙も少なく知的魅力に乏しい」と言いたげだ。
ならば、たまにしか本を読まない私は「ぼんくら」なのだろう。
しかし、この老眼には本の文字が辛いし、一日中仕事でのパソコンで目はショボショボ、読書どころではないのが現実。
ところで、この「読書」とは、何をもって「読書」と言うのか。雑誌は? 漫画は? 調べものは?
そこで「読書の定義」を調べてみると、「文学作品を読むことに限らず,自然科学・社会科学関係の本や新聞・雑誌を読んだり,何かを調べるために関係する本を読んだりすることなども含めたものである」とある。
では、レシピ本などはどうなのか。仕事で技術資料はよく開くが、これは「読書」なのか。違うよね。
その様なものを読んだところで、語彙力も読解力も、ましてや多様な価値観や感受性など無縁。
やはり読書とは情報のみならず、どんな形であれ「心が動かされるもの」であると思う。
それが紙の本ではなく、電子テキストでも構わない。とにかく文章・文脈から心の中でイメージが膨らみ、時にはものの考え方から価値観まで影響を受ける。それが読書というものだし、醍醐味と言える。
ところが今の自分はと言うと、人物や物事の歴史・解説や、気になる事を調べる「情報収集」「知識欲」の為に文章を読む事が多い。
もう既に、価値観や人生観などは、読んで影響されるより「書く側」の年齢であるし、ストーリーも与えられるより「考案する」方がずっと楽しい。
でも、それもこれも十代・二十代の読書が礎となっているのは確かだ。様々なジャンルの本に影響を与えられ、故にそれらの反芻を楽しむ事が出来る。
いや、別に「読書」でなくても映画やテレビからでも得られるのではないか。自身もかなり映画からも影響を受けているではないか。
では、何が違うかと言えば、やはり「想像力」だろう。
映像が無いからこそ、イメージが膨らみ、自分自身の世界を作り上げられる。
読解力や語彙力はどうだろう。
これだけは、本をたくさん読んだからと言って、知らない言葉を調べなければ語彙量は増えない。漢字もそうだ。
また、数多ある小説も、不適切な句読点や文章的におかしなものがたくさんあるから、テキストにするには怖い面もある。
とは言うものの、若い時に様々な本を読むことはやはり大事だし、その楽しみを知って欲しい。
他の媒体では得られない、本には本の良さがある。
「本を読んで楽しかった」という成功体験を、親は子供に与えて欲しい。
ちなみに私が子供の頃に感動したのは「世界文学全集」だった。時代を感じるなぁ。
<気力の話>
気力がどうにも湧いてこない。持病もあるが、歳のせいもあるのだろう。
小説も書きたいし、作曲もしたい。趣味を楽しみたいが、仕事が先だね…。



