暗記は手を使いなさい。
手を使って、手に覚えさせなさい。
そして声に出しなさい。
声で言って耳に記憶させながら、
手にも覚えさせなさい。

うーん、暗記の原則ですねえ。
私も、そうやって、
手の疲労感と共に
脳みそに入れてきた口です。

ですが、世の中には、
「目で暗記する」しかたをとる人が、います。
私の歴代の教え子にも、20人に1人くらいいたと思います。

その子は、暗記するものを前に、腕組みして考え込んでいます。
そして、10分くらい経つと、
おもむろに鉛筆をだして
少し、こちょこちょっとメモを取ります。
下手すると、メモさえ取らないこともあります。
そして、「はい、覚えた」
と言います。そして、覚えています。

なぜこういうことが起こるのでしょうか?
その子に、尋ねてみたことがあります。

暗記するべきものの、1ページの地平の中での
それぞれの項目の意味を考えるのだそうです。
1ページの紙に書いてあるものの、
たとえば明治初期の官営事業の歴史地図であれば、
どういう地形で何が産出されて、
それがなんという会社のものになったかを、
ああここは金取れてたなーとか、
ここは三井の手が入ったんだーとか、
つらつら自分の今までに身につけてきた記憶と結びつけて、
じっくり、自分の脳みその中で再構築するのです。
それを紙に書くことで再構成する人のほうが多いのですが、
それを頭の中で、紙を広げるようにして、
書き込んでいくことのできるお子さんには、
紙はいらないし、手の疲労感もいらないのです。
そのときは、体をお団子のように丸めて、
ノートなり何なりに目を集中させていますから、
その時私はそのお子さんを放置しているようにうつるんですが、
ここで余計な口出しはしないが勝ち。
お子さんが何か口を開いて、本質的な質問をしたときに、
その質問をうまく掬うために、待ちます。
そして暗記の仕上げとして、
字をスペリングとして確認するのです。

しかし、そういうやり方だと本当に暗記作業をしているか見えないので、
学校の先生にも親御さんにも認めてもらえず、
そうしたお子さんは苦しむことが多いんですが、
アウトプットまでの道を完全に作れればかまわないから、
好きにしなさいね、と、わたしは言います。
そうすると、やたら静かな時間が訪れてしまって、
「先生は黙ってうちの子と向かい合って座っているだけだ」
と心配なさる方が…いませんけれども、
そう思われる方もいらっしゃるのかもしれません。
そこはきちんと説明してわかっていただきます。
でも学校の先生にはなかなかわかってもらえないので、
練習過程はできるだけコンパクトでありながら
きちんと理解していることを伝えるために
極力きれいに書くように、話します。

ノートが地平に見える感覚と言うのは、
本当にうらやましいなあと思います。

そのお子さんの思考回路の型というのは、
そのお子さんを冷静に見続けていれば
わかるものですから、
その型は、お子さんお子さんによって微妙に違いますし、
いわゆる「注意散漫」に思われがちなお子さんにも、
そうした能力があることをしっかり掬ってあげれば、
成績が伸びます。
そういうお子さんに、鉛筆を無理に握らせると、
成績が荒れます。
どちらなのかを見極めるのは、親御さんだと難しいかもしれませんが、
でも、誰かの手を借りてでも、
「目で覚える」やり方なのか、
「手で覚える」やり方なのかの判断は
しておかれたほうが、いいと思います。