大鷲神社(おおとりじんじゃ)
東京都足立区花畑(はなはた)7丁目16番8号
大鷲神社の御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
日本武尊は第12代景行天皇の皇子としてお生まれになりました。母は稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)と伝えられております。兄は大碓尊(おおうすのみこと)、弟である日本武尊はまたの名を小碓尊(おうすのみこと)、倭男具那命(やまとおぐなのみこと)とも申しあげます。
日本武尊は東征の帰路、当地に本陣をおき、多年にわたり夷賊に苦しんでいた人々を救済したと伝えられます。人々は尊の善政に厚く感謝し、崩御ののちに日本武尊をお祀りしました。御祭神にちなみご命日とされる11月酉の日に神恩感謝の祭が行われるようになりす。この祭がのちに酉の市と呼ばれるものです。
武運長久・開運守護の神として信仰が篤く、中世、新羅三郎源義光が兄八幡太郎源義家の援軍として後三年の役に向かう途次、当社に戦勝の祈願をなさいました。
後三年の役に勝利した義光は帰途、再び当社に奉賽し、社殿を改築「金の前立の兜」及び武具を奉献したと伝わります。
幕末、幕府の命により義光の子孫である佐竹氏が本殿を改築。安政元年(1854)から明治8年まで20余年の歳月を要し、竣功を迎えました。総欅造りで数知れぬ大小の彫刻が随所に見られます。特に正面にある向拝柱に彫られた「昇り龍・降り龍」は荘厳で、左甚五郎13代目後藤与五郎の作と言われております。
日本武尊は第12代景行天皇の皇子としてお生まれになりました。母は稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)と伝えられております。兄は大碓尊(おおうすのみこと)、弟である日本武尊はまたの名を小碓尊(おうすのみこと)、倭男具那命(やまとおぐなのみこと)とも申しあげます。
日本武尊は東征の帰路、当地に本陣をおき、多年にわたり夷賊に苦しんでいた人々を救済したと伝えられます。人々は尊の善政に厚く感謝し、崩御ののちに日本武尊をお祀りしました。御祭神にちなみご命日とされる11月酉の日に神恩感謝の祭が行われるようになりす。この祭がのちに酉の市と呼ばれるものです。
武運長久・開運守護の神として信仰が篤く、中世、新羅三郎源義光が兄八幡太郎源義家の援軍として後三年の役に向かう途次、当社に戦勝の祈願をなさいました。
後三年の役に勝利した義光は帰途、再び当社に奉賽し、社殿を改築「金の前立の兜」及び武具を奉献したと伝わります。
幕末、幕府の命により義光の子孫である佐竹氏が本殿を改築。安政元年(1854)から明治8年まで20余年の歳月を要し、竣功を迎えました。総欅造りで数知れぬ大小の彫刻が随所に見られます。特に正面にある向拝柱に彫られた「昇り龍・降り龍」は荘厳で、左甚五郎13代目後藤与五郎の作と言われております。
(サイトより)
花畑(はなはた)という地名も
足立区では有名で
知らないと「はなばたけ」って読むよね
ここの大鷲神社は「おおとりさん」として
昔から大切にされています
逃げようともしない
ここの主みたいな猫さん
猫さん「ここワシの縄張り」
私「ですよね~失礼します」
庭園がありました
ベンチも置いてあります
境内に自販機もあるので
飲み物を購入して
ベンチでゆっくりできました
四脚の灯籠
本殿は誰もいなかったので
ゆっくりお詣りできました
本殿の中の柱には
見事な龍の彫刻が彫られていました
介護施設での訪問の仕事は
決まり事が多く
マスクももちろん必須で
暑くて苦しくて
そうだ介護施設って
大変だったわ~と
思い出しました
でも初めての神社に
お詣りできるご縁をいただくので
こういうお仕事も
ありがたいなあと感じます