'15江戸ある記(2)池上本門寺③本徳院墓所 | 七面堂九齊のしちめんどくさい話★とんだりはねたり

'15江戸ある記(2)池上本門寺③本徳院墓所

前記、深徳院墓所と並ぶ少し先にある。

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本徳院殿妙亮
日秀大姉

と刻む吉宗の側室
お古牟の方は
紀藩大番組頭竹本茂兵衛正長の娘。

正徳五年紀藩赤坂邸(中屋敷)で次男・小次郎を出産。
則ち徳川御三卿の一つ
田安中納言徳川宗武である。

享保元年吉宗の八代将軍就任に伴い江戸城大奥に入り
御内証の方と称し、のち御部屋様と称されるも同八年卒去。享年29歳。

現在は基壇に上がる石段も存在しないが、前出深徳院と同様に構築された筈である。

それにしても吉宗は女性運には恵まれていなかったあせる

一妻四妾を抱えながら、27歳の時に正室・眞宮理子を流産(種縁院殿童女)が原因で亡くし(享年20)、30歳の時に家重の母お須磨(享年26)を、将軍就任後の38歳の時に四男・一橋刑部卿(贈中納言)徳川宗尹の母お梅(紀藩処士谷口長右衛門正次娘/享年22/深心院殿/上野凌雲院葬)を、そして41歳の時に宗武の母お古牟(享年29)に先立たれ、吉宗より長命だったのは芳姫(吉姫/享保七年/正雲院殿童女/伝通院葬)を生んだお久免(紀藩稲葉彦五郎定清娘/落飾後覚樹院/教樹院殿/小石川伝通院葬/安永六年歿81歳)只一人であった。