'12お江戸の真相(29)噂の女⑮中野竹子-1 | 七面堂九齊のしちめんどくさい話★とんだりはねたり

'12お江戸の真相(29)噂の女⑮中野竹子-1

中野竹子は弘化三(1846)年、会津松平家の江戸詰・中野平内の娘として生まれた。

竹子は妹の優子と共に、江戸の藩邸で文武両道を修め、和歌もよくする。会津戊辰戦争の花と散った竹子の短い生涯は、幕末の動乱期に、朝敵となった会津藩士の娘であったことにより運命づけられる。

会津中将・松平容保は文久二年から慶応三年まで(1862-1867)京都守護職を務め佐幕派の中心人物であった為、尊攘派の攻撃の矢面に立たされ、戊辰戦争では最大の逆賊という烙印を押された。竹子・優子姉妹は帰藩する容保一行に従い江戸を去り、会津城下へと移った。

慶応四(1868=9月8日明治元年に改元)年八月二十三日、新政府軍は、あくまで抵抗する朝敵会津を討伐するため、刻々と会津城下に迫る。飯盛山では少年たちの白虎隊が壮烈な最後を遂げる…