人物略伝『松平斉民』 | 七面堂九齊のしちめんどくさい話★とんだりはねたり

人物略伝『松平斉民』

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【松平斉民】
文化十一年~明治24年
(1814-1891)
11代将軍家斉14男(16子)
母は側室皆春院お八重(屋衛)の方、父は清水徳川家家臣(幕臣)牧野多門忠克で、養父は旗本・土屋弥三郎知光。
同腹兄に清水家4代・従三位左中将徳川式部卿斉明、因幡鳥取池田家・養嗣子(家督を相続せず死去、以下同)従四位上侍従・民部大輔斉衆、同腹弟に石見浜田松平家養嗣子の松平斉良、阿波徳島13代で正四位上参議・蜂須賀阿波守斉裕、同腹姉に肥前佐賀10代鍋島斉正(維新後直正・閑叟)室、同腹妹に雅楽頭系13代の播磨姫路で左少将兼雅楽頭・酒井忠学がいる。

幼名は銀之助、津山松平家七代・松平斉孝養嗣子となり従四位上左少将兼三河守に叙され天保二年17歳で越前系松平嫡流の津山松平家第八代の家督を継ぎ正四位上左中将兼越後守に叙任。治世24年を経て安政二年、斉民が家督を継いだ後に生まれた先代・斉孝の四男慶倫に家督を譲り隠居、確堂と号す。慶応二年の二分した藩論を隠居・斉民の「勤皇」に統一、慶応四年五月三日の江戸城開城に伴い新政府より田安亀之助(のちの徳川宗家16代・徳川家達公爵)後見人を命ぜられる。
明治14年従三位。翌15年麝香間祗候。明治24年死去、78歳。墓は谷中霊園内津山松平家墓所にある。
法号は文定院殿成譽寂然確堂大居士(カメラ上)

尚、前15代将軍慶喜(徳川宗家別家・第六天公爵家)の娘を慶喜の願いにて養育し斉民の子・男爵松平斉の妻として迎えた。また斉民の孫で妻の実家を継承した渡辺明は谷崎潤一郎の妻・松子の妹・重子を妻としたが、谷崎の代表作品本『細雪』に出てくる子爵の庶子・御牧実の
モデルである。

カメラ下は同腹兄の清水式部卿・徳川斉明(寛量院殿)の宝塔で谷中霊園・清水徳川家墓所に現存している。