寝惚先生初稿の序②
【寝惚先生初稿の序】…つづき
孔門の辻番、宗廟の美を窺ひ見ては、そりや御箪笥町。友人寝惚子、余に其の初稿に序せんことを請ふ。余之を読むに、詩或(モシ)くは文若干首(ブンソコバクシュ)、秦漢の派に径沿(グイノボ)り、開天の域に直至にして、辞藻妙絶、外には無いぞや。先生則ち寝惚けたりと雖も、臍を探りて能く世上の穴を知る。彼の学者の学者臭き者と相去るや遠し。嗚呼、寝惚子(ネボケシ)か、始めて与(トモ)に戯家(タワケ)を言ふ可きのみ。語に曰く、馬鹿孤ならず、必ず隣有り、目の寄る所、睛(タマ)が寄ると。余、茲(コレ)に感有り。序して以て同好の戯家に伝ふ。これで野夫(ヤボ)ならしよことがなひ。
明和丁亥(=柿丸注/四年1767)秋九月
風来山人紙鳶堂に題す
天竺浪人(落款)
字余曰水虎(落款)
…孔門の辻番=下っ端の儒者。宗廟=湯島聖堂。御箪笥町は小石川の町名(御箪笥同心拝領地)で私娼窟があった。径沿り=通人言葉で一気に遡るの意。直至=通人言葉で真っ直ぐに行く。「外には無いぞや」は当時の流行語で喜三二の
『見徳一炊夢』にある「きんきん先生、ほかにはないぞや」から
臍=里俗に「其処は臍だよ、三寸下れば男泣かせの穴がある」馬鹿孤ならず=論語の「徳不孤、必有隣」のもじり。「睛」は「ひとみ」
(「晴」じゃないよ
)
風来山人は平賀源内の戯号、紙鳶堂は堂号。落款の天竺浪人も源内の戯号の一つ。落款字余曰水虎は源内に男色趣味があった事による印文。水虎とは河童の事で河童は人の尻こ玉を抜くとされた
孔門の辻番、宗廟の美を窺ひ見ては、そりや御箪笥町。友人寝惚子、余に其の初稿に序せんことを請ふ。余之を読むに、詩或(モシ)くは文若干首(ブンソコバクシュ)、秦漢の派に径沿(グイノボ)り、開天の域に直至にして、辞藻妙絶、外には無いぞや。先生則ち寝惚けたりと雖も、臍を探りて能く世上の穴を知る。彼の学者の学者臭き者と相去るや遠し。嗚呼、寝惚子(ネボケシ)か、始めて与(トモ)に戯家(タワケ)を言ふ可きのみ。語に曰く、馬鹿孤ならず、必ず隣有り、目の寄る所、睛(タマ)が寄ると。余、茲(コレ)に感有り。序して以て同好の戯家に伝ふ。これで野夫(ヤボ)ならしよことがなひ。
明和丁亥(=柿丸注/四年1767)秋九月
風来山人紙鳶堂に題す
天竺浪人(落款)
字余曰水虎(落款)



(「晴」じゃないよ

風来山人は平賀源内の戯号、紙鳶堂は堂号。落款の天竺浪人も源内の戯号の一つ。落款字余曰水虎は源内に男色趣味があった事による印文。水虎とは河童の事で河童は人の尻こ玉を抜くとされた
