お江戸の真相特別編☆系図に載らなかった家康の二人の子 | 七面堂九齊のしちめんどくさい話★とんだりはねたり

お江戸の真相特別編☆系図に載らなかった家康の二人の子

①岡崎次郎三郎信康
②越前中納言秀康
③二代将軍秀忠
④尾張左中将忠吉
⑤武田七郎信吉
⑥越後少将忠輝
⑦松千代
⑧仙千代
⑨尾張大納言義直
⑩紀伊大納言頼宣
⑪水戸中納言頼房
…以上が歴史上、系図に載っている家康の男子11人ですが、系図に載らなかった男子が2人いた。

一人は
松平民部…天正十年生まれというから松平忠吉(同八年)と武田信吉(同十一年)の間。母は法光院とあり「幕府祚胤伝」には次の記述がある。
「俗忌に因り越前秀康卿養子と為す。大坂の役には忠直卿に属し大きな軍功を立てた。この大坂の陣から幾ばくもなく没す、享年34歳。」


もう一人は
小笠原権之丞といい母は京の三条某なる女性で…生まれは忠輝の上という。小笠原越中守養子となり近藤石見守秀用の娘を妻とした。剃髪後「語石」と名乗り、慶長未年(ひらめき電球慶長で未年は12年)天主教教徒になった事で放逐され、のち大坂城へ入城し大坂方として参戦し夏の陣の時、天満橋にて戦死したとある。

皆さん、ご存知でした?

いったい何があったのでしょう。

この二人は『源流綜貫』という野史に記載されているもの。
この他、大老になった土井利勝落胤説などの風聞も洩れ聞こえて来るが正史では取り上げないのが通例である。