「ストリートピアノ運営側の注意喚起に賛否」という記事を読みました。
私はあの張り紙をした運営側にほぼ同意です。ほぼ、というのは書き方で誤解を生んでしまったためで、内容には全面同意です。
置き場所については確かにフードコートは聞きたくなくても聞こえてしまうのでいささか問題かと。とはいえ、通路に置いたとしてもその近くで1日お仕事をしている方もいらっしゃるとしたらそこも難しい問題です。
この文章では「練習の場ではありません」という部分が重要でポイントです。人前だからと緊張したり、一生懸命弾いているのに間違えてしまう演奏について文句を言ってる訳ではなく、またピアノが珍しくてポロンポロンと弾いてみることを否定しているわけでもない、と私は読みました。しかし、運営側を批判されている方はこの「練習」というものがどんなものか理解されていないため、「否」が起こってしまったのではないでしょうか?
つまり、間違えるなとか、レベルが低い人は弾くなとか、すごい曲だけ弾いてくれということではなく、「練習」をしにくるのはやめてくださいという事です。では「練習」とはどういうものなのか?
実は私、とあるストリートピアノで「練習」の場面に出くわしたことがあります。
楽譜を持ってきて延々と譜読みしてました。
ピアノはまずこの譜読みが大変。
わかりやすく言うと、日本語がまだよく読めない外国人が日本語を大きな声で独り言みたいに読んでる感じ。
「ええと、、、今日の天気は、、、、あれこれは、、雨?え?違う?あ、これは明日だった。明日って読むんだった。ええと、それだとこっちが今日、、ええと、、、あれ?これはなんて読むんだろう?あれ?あ、昨日は雨、、、じゃあええと、今日は、、、今日の天気はama?あ、違った!」
あくまでたとえですが、これが「練習」です。「練習」の実態はこんなもんです。なに言ってるかよくわからない。しかも何回も何回も間違えながら、、、。
その「ストリートピアノ」は通路に置いてありましたが、近くでお仕事されている方に心の底から同情しました。
譜読みができても、それをつっかえないでスラスラ弾けるようにするにはさらにそこばかり繰り返さないと弾けるようにならない。私は生徒さんに間違えるところは100回練習してくださいと言ってます。「明日は晴れ、明日は晴れ、昨日は雨、昨日はama、あ、違った、やり直しー!」を100回です。
これをストリートピアノでやられたら、どうですか?
「ピアノは高くて買えない楽器だから練習するのを温かく見守るべき、音楽の文化を大切に」なんて、とんでもないことでございます。
「間違えちゃった」のではなく「耳障りな練習をしに来ている」だけです。「苦音」どころか「騒音」です。これを「やめてください」とご注意された運営の方はご立派です。私が近くでお仕事していたら深くお礼申し上げます。
譜読みは中古の1000円のキーボードで出来ます。なんなら紙鍵盤で出来ます。紙鍵盤で音や鍵盤の場所を覚えてからピアノで弾けばいいのです。はじめてピアノの会のビニール鍵盤は88鍵あります。
そもそもです。
ピアノはタダで弾くものではありません。ピアノ自体も高いし、管理にもお金がかかってます。
「花のある生活」は文化的だから花をタダでもらっていい、、、はずありません。
紙鍵盤で譜読みしてある程度出来るようになったら1000円払ってヤマハでピアノレンタルしてください。
「結局金払わせるのか!」って当然です。
花はタダではもらえません。
私を見習って節約してください。
お金払って練習して、弾けるようになったらストリートピアノでご披露ください。でも練習して来ても間違えちゃうんですよね。よくわかります。それが普通です。仕方ありません。ピアノなんて間違えるものです。そしたら残念ですが、出直しです。もう一度各自で陰練。部分練習ももちろんあと100回。2週間後またストリートピアノにリベンジ!
タダで弾かせていただくピアノで、聴いてくださる方に耳障りな「練習」を聞かせるなんて音楽の文化でもなんでもありません。
こういう時、必ず出てくるのが「日本人は正確に弾くことばかりを目指して欧米のように自由に弾いて音楽を楽しむと言う文化がない」というご意見です。
経験上、正確に弾くことが出来ない人が自由に弾けることはまずありえません。
欧米の方は本能的に西洋音楽というルールがわかっているので、秩序の先の自由に辿り着いてるだけで、日本人は西洋音楽のルールが体にないので、その入り口で正確に弾いてるのです。3拍子なんてそんな簡単に自由にはなれません。
音楽は秩序そのもので成り立っています。
音楽を人前で演奏するとき、忘れてはいけないのは「どれだけ自分が音楽が好きか」ではなく「聴いていただくことに感謝する」という気持ちだと思っています。もしそこにたった一人でも人がいるのなら。
自分の音楽を聞いてもらえることがとんなに特別で有難いことか。
「聴いていただく」という気持ちと「聴かせていただく」という気持ちが一つになるとき、その時音楽という文化が生まれます。
レベルなんてどうでもいいんです。
15秒のメリーさんの羊だっていい。心の交流こそが文化です。
なにを弾くかより、どう弾くかより、間違える間違えないより、一番大切なことはこの「聴いていただくことへの感謝」と「そのための陰での地道な練習」です。
「わざわざその時間、自分のピアノを聴いてくださるわけだから、少しでもいい時間に出来たら」。
同僚の先生の言葉を思い出しながら、私は練習しています。
運営側が注意喚起するまでもなく、弾く側がそれを理解していれば自ずとこの問題の答えは出てきます。