モノの本に、食事のしかたで育ちがわかり、好きな本で知性がわかり、好きな音楽で感性がわかり、お金の使い方で人格がわかる、と書いてありました。

当たらずとも遠からずでしょうか?

語らぬことにその人となりが垣間見えること、ありますよね。

 

 

私は文章と演奏にその人を感じます。

たまに不倫スキャンダルで有名人のLINEが流出しますが、そのようなプライベートな文章は特にわかりやすいです。

文章の始まり方、言葉の選び方、文章の語尾、絵文字やスタンプの使い方などにその人がにじみ出てます笑。

 

文章ではありませんが将棋界の方々のインタビューは、理路整然としていてお若い方でも難しい言葉を知っていて将棋とはなんたるか、棋士とはなんたるかを知る思いです。

 

演奏には、本人も気づいてないその人らしさが現れます。

「先生の前で弾くのはいつもの自分ではない」と思うかもしれませんが、その過程も含めてその人です笑。こういうと、怖くて弾けないとおっしゃいますがいい悪いではないのです。

プロはそこもコントロール出来ていますが、素人はどう見えるかを考えながらの演奏はムリです。私ももちろん演奏を通して本性がバレてることでしょう。

どんなに取り繕っても、というか取り繕えば取り繕うほど取り繕ったことまでバレてたりします。

 

じゃあバレたくないから文章書くのも演奏するのもやめるかというと、どちらも好きなのでもうバレることは諦める。

 

 

いつも理屈っぽくて弁解がましい文章を読んでくださってありがとうございます。読んでくださる方に感謝です。

 

 

東京は快晴。

どうぞ良い一日を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スマホやパソコンは「機械」です。

しかし、今やそれらは「端末」と呼ばれ、身体の一部、指先の一部になって硬質なものではなくなっています。

 

はじめてピアノの会ではオンラインを使ったものを増やしています。そのせいで私はそう言うのが好きだと勘違いされることがあります。

とんでもないことでございます。

 

私はテレビの配線もできないくらい「機械音痴」で、取説読むのなんか、大大嫌いです。

オーブンレンジもエアコンも、数ある便利な機能を全然使っていません。取説読みたくないからです。

スマホやパソコンも、説明されてもまず用語がわからないし、一度覚えてもすぐ忘れるし、ひつこく聞いても嫌がられるので、簡単なことだけできればいいやと思って生きてきました。

 

しかし最初に申し上げた通り、今やパソコンもスマホも「機械」では無く体の一部となるくらい、「機械」音痴を理由に無視して生きていくことはもはや不可能な時代になりました。

 

「いや?不可能じゃないけど?困ってませんけど?」という方もいるでしょう。

いえ、実はスマホやパソコンがあれば解決出来ることがたくさんあることに気づいてないだけです。

そして何より、たぶん周りが困っています。

 

「機械ばっかりに頼っていたら味気ない」との思いの方もいらっしゃるでしょう。かつての私もそう思っていました。でも今少しづつ慣れてきて思うのは、そこに味気を求めるのは間違っているという事です。

 

味気を共有する人同士であれば、機械を介しても充分味気は味わえます。そこに味気がないと感じるのは、そこに元から味気は存在しなかった、もしくは以前味気だと思っていたものは本当は味気でなかったということなのです。まあ言っちゃえば、味気ある関係か味気ない関係かが明るみになるってことですね。とてもいいことです。味気は、一方的に相手に負担をかけて求めるものではありません。

 

私は時代には鈍感で新しいものにも全く興味ありません。

でも機械が苦手とかもう言ってられないんです。

ひつこいようですが、スマホもパソコンも「機械」ではなく自分の指先の時代、ピアノ同様に習うより慣れろです。

まずは質より量、使い倒す。

 

オンラインサロンの会で録画機能やメールやLINEやzoomを使った方々も、また使わないと忘れてしまいます。

なんとかそれを防げるように、ちょくちょくスマホやパソコンを使う機会を増やそうと思います。

 

世の中で一番大きなものは時代。

これは個人の信念より大事。

昨年、今年のコロナで全員が実感した事だと思います。

時代に文句を言ったところで何も変わりません。だって個人より時代の方が遥かに強いんですから。

時代を見て変えた方がいいところは変える。

その方が生きやすいし楽しいです。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
公共の場に置いてあるピアノを通りすがりの人が弾く街角ピアノがブームです。
これ、ただピアノが人気があるのではなく、ピアノを弾いている方の想いが詰まっているところに支持される理由があるんですよね。皆様へのインタビューや演奏に添えられたコメントにはその方の人生が垣間見えます。
 
11月、いつものサロンの発表会が出来なかったためオンラインで開催しましたが、その演奏に添えられたメッセージには本当に心打たれました。
 
少女の頃から憧れだった曲…
若くして亡くなったお母様が病室に置いていたオルゴールの曲…
骨折で通っていた病院でふと流れてきた音楽…
亡くなったご主人様といつも見ていたニューイヤーコンサートのアンコール曲…
自分がピアノを弾くなんて思ってもいなかった若い頃の曲…
 
メッセージという言葉にしなくても、その曲を弾くとき皆様の心には様々な風景が広がっていたと思います。
音楽は一瞬でその時代とその時の自分にタイムスリップしたり、弾いている間に不意に時が止まってしまったり、タイムマシンのようです。
 
さて、今回のオンライン発表会でもご出演の皆様の有志で「リモートワーク演奏」を製作しました。ベートーヴェン交響曲第九番第四楽章「よろこびのうた」です。
この度、どなたでもご覧いただけるように動画を一般公開しました。リレー形式で一人一人のメロディが「よろこびのうた」を紡いでいきます。
 
ベートーベン生誕250年のこの年にこの第九を心を繋いで演奏したことは、きっと大きな意味があったんだと思います。こうして2020年の現在に、200年前の過去の音楽を、ベートーベンから見た未来の私たちが楽しむ。時空を超えていますね。
 
ピアノの先生の作った素人動画ですが、よかったらご覧くださいませ。
 

 

 

 
※注)編集してくれている先生ご本人が素人素人と言うので素人と言いますが、お一人で作ってくださってます。こんなこと出来るピアノの先生、すごい。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

今年のウィーンニューイヤーコンサートは無観客での開催でした。

指揮者はリッカルド ・ムーティーさん。

テレビで観ました。

ムーティーさんがご挨拶で、「音楽は職業ではなく使命です」とおっしゃっていました。

 

音楽が使命。。

音楽をやってない人にとっては、この発言は音楽家のおごりととらえられるかもしれませんね。

「音楽で人を救うなんて言ってるのは音楽家だけ」と。

そんな考えは音楽家の自己満足だ、と。

 

でも私には、この言葉はムーティさんとウィーンフィルの皆様の祈りのように聞こえました。

 

音楽家は演奏会の中止やライブ会場の閉鎖などで生活が苦しくなっていると報道されています。以前わざわざそのような声明を発表している俳優協会やら歌手たちもいました。

 

けれど、ムーティーさんとウィーンフィルの方が仰ったことはその逆です。音楽を自分の生活のためにやってきたわけではないという矜持なのです。

 

生活のためでないなら、ボランティアでいいじゃないかという人もいるでしょう。いやいや、大事なことだからボランティアでは出来ないのです。

私はPTAでもマンションの美化掃除でも喜んでボランティアでやりますが、現在仕事としていることをボランティアでやるつもりは全くありません。

この際はっきり言いますが、「ピアノをやる気はないんだけどタダだから来ました」とにこやかに冗談ぽく言う正直者や、口に出さなくても「音楽は減るもんじゃないでしょ」とどこかで思っている人に音楽を提供するのは苦痛です。

 

たとえばお客様をおもてなしするために、一生懸命メニューを考え、各地から選りすぐりの素材を集め、ああでもないこうでもないとレシピを完成させ、時間をかけて作ったお料理を「私はタダだから食べてるだけです」と言われたらどうでしょうか?その後もその人のために、ボランティアで、心を込めてお料理を作るでしょうか?

お金は気持ちを表す材料です。

音楽家は2時間くらいのイベントであんなに稼げていいなあと思うかもしれませんが、そのためにかけた準備の時間を換算したら時給100円に満たないと思います。これは音楽に限らず芸能人なども同じだと思います。

今回のニューイヤーに出演したバレエダンサーも「皆様に見て頂く日のためにこれまで通り日々トレーニングに励みます」と言っていました。

 

私は演奏するのも指導するのも好きだから、その意味では音楽は自己満足です。その音楽で生活出来るのは、恵まれている以外の何物でもありません。でもそれは結果であって目的ではないのです。まして音楽で世間から認められたいなんて微塵も思っていません。そこは己をわかっています。ただ私に感動を与えてくれた先人の素晴らしい音楽をみんなに知ってほしい、同じように楽しく幸せになってほしいという気持ちだけです。

 

ムーティーさんのおっしゃった「音楽は使命」。

その言葉は、人生をかけて曲を作ってきた作曲家、人生をかけて音楽を受け継いでくれた演奏家、それを世に広めて育ててくれた音楽愛好家の皆様へのリスペクトだったと思います。

そのバトンを、今こんな状況でも自分たちが繋ぐのだという強い思い。こんな時だからこそ、ですね。

それが「使命」。

 

 

緻密でありながら洗練されたムーティーさんのウィーンニューイヤーコンサート。

今年は特に胸に響きました。

 

 


 

 

 

 

 

社会経験の乏しい私は世の中の人々の行う「会議」や「打ち合わせ」と称するものに参加するたびに思っていました。

「これって全部メールで確認したことでは??」

「前もって確認した事なのに、なんでわざわざもう一度読み上げるわけ??」と。

 

単身赴任についても思ってました。

「近くに住んでる人がいるのに、なんでわざわざ遠いところに行かせるわけ?」と。

 

こう言うと、それなりの理由があって意味がある、とその理由を説明されるのですが、納得した試しがありません。

いまだに会議でもう一度同じ話をすることや単身赴任の必要性が分からないので、「思っていました」でなく思っています、です。偉い人の前では言えないので、陰ではっきり言っておきましょう。

 

もちろん人が集う事に大きな意味があるというのはわかってます。先日も書きましたが、なんといっても円滑な人間関係を築くには直接会ってのコミュニケーションが一番。会っておしゃべりをすると話が膨らんで面白くなるし、自然とみんな笑顔になって、思いもよらない考えや発想が生まれたり。

これはとっても大事。

 

でも。だからこそ時間を効率的に使って、メールやLINEのやりとりをした上で的を絞って意見交換に重きを置いた会議をすればとっても有意義。それが集う人に対してのマナーだと思います。

単身赴任をするメリットがあるとしてもデメリットの方が遥かに大きいと思います。

無駄なことする必要、ないですよね?

 

今テレワークが推奨されるようになりました。

ここまでの流れだと「私はテレワーク大賛成です、無駄に会社行く必要ないですよね?」と言いそうですが、会社は大事だと思います。

テレワークできるのに会社行っていたっていう驚きはありましたが、会社に行くと気持ちの切り替えが出来て「さあ!仕事」ってスイッチ入りますよね。家にいると家族がいたり休憩できたり、だらけちゃうから。

私だったら会社から「テレワーク」とか言われたら間違いなくサボりますよ。サボらないなんて、凡人と言われる人のすることではありません。だから今世の中の人のほとんどがサボってると思ってます。これは私の経験から言ってます。

人って家族に見せる顔と仕事の顔って違うから、みんな電話一つとってもかけづらいはずですからね。

ただし、サボるとあとでツケが回ってきます。だから今サボってる人は後が大変になります。楽しそうな何かが出来なくなったり、余計手間がかかったり、時間がなくて精神的に追い込まれたり、慌ててるから大事なことが抜け落ちて最初からやり直しになったり、結局サボらずちゃんとやってた人の2倍くらい時間がかかってクオリティはサボらずやってる人の半分で、「サボらなければよかった」って後悔するのです。これも私の経験から言ってます。つまりテレワークは会社に行くより効率が悪いってことですね。

 

、、、と、効率を重視する私はそれぞれについて思うわけです。

しかし、形式的な、同じことを繰り返す、退屈でへのへのもへじを何回も練習しちゃってへのへのもへじの達人になっちゃうくらい不毛な会議に集った拍子に、同じく会議の書類の隅っこにへのへのもへじを書いている人を見つけ、その人間性に共感し仲良くなるきっかけになったりなることも10回に1回くらいあるんですよね。

もしかしたら単身赴任で夫婦のお互いの大切さがわかったという方もいるかもしれない。

テレワークすることで、自らを律して生活のリズムを作ることができるようになった人もいるかもしれない。

 

 

無駄なところにも意味がある、と伝えたいのが神のご意志でしょうか?

今年は9回に1回見つけられるよう励みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、レッスンで生徒さんが言っていたのですが、コロナ禍でウツになったり認知症になってしまう方が増えているそうです。

家から出られなかったり、人と会えなかったり、おしゃべりが出来なくて。旅行が趣味だったとか社交ダンスや合唱が趣味だった方はすっかりできなくなってしまいましたもんね。

 

う〜ん。

ウツや認知症は辛い、、。

ご本人もご家族も。

でも緊急事態宣言だし。

どうしたらいいんでしょう。

 

家の中で運動、楽しいビデオを見る、おいしいものを食べる、友達とLINEする、ピアノを弾く、、、

 

どれも楽しいは楽しいけれど、

誰かと会って、ワイワイおしゃべりをする代わりにはならない。

それって特別だったんですね。

わかった事は、これまの日常はとても贅沢な日々だったということです。なくなってみて、わかることがありますね。

 

 

という事は。

今贅沢なことがたくさんあるってことです。

 

ウィルスが水や空気に溶け込む物でなくてよかったです。

 

農作物に付着することがなくてよかったです。

 

電気の供給が止まらなくてよかったです。

 

お買い物ができてよかったです。

 

 

あらあら、なんて幸せでしょう。

今誰かと会ったり、お喋りしたりはできないけれど、やっぱり幸せ。

 

 

このぜいたくな日々に感謝して幸せをかみしめつつ、一人づつの力は小さいかもしれませんけれどちょっとだけ周りの人のお手伝いをして、一人でも心身ともに健やかに、冬を乗り越えられるといいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これからの時代に必要なこと。

昔と変わらず読解力と文章力です。

つまり国語力です。

それが思考力につながり、表現力につながります。

 

幸せを感じるのは右脳領域ですが、自分が幸せだと認識するのは左脳だそうです。感受性を伸ばすという漠然としたものだけでは、どんなに自分が幸せでも幸せなことに気づけない可能性すらあるってことです。その意味でも言語できちんと認識するということは大事。言語は左脳領域です。

 

はじめてピアノの会のリトミック・ソルフェージュのお教室「どれみみくらぶ」は現在2、3、4、5歳の子が在籍していますがレッスン内で大事なカリキュラムが絵本の読み聞かせ。生演奏をつけて。

これは6歳になっても8歳になっても12歳になっても続けたいと思っています。

 

美しい絵。

楽しいお話。

それに音楽。

 

言語と絵と音楽が楽しめる絵本は一石三鳥。

面白い絵本は子供は何度でも読んでもらいたがります。

この「何度も」ということ、すごく意味があります。

 

小説でも、エッセイでも、啓発書でも、取扱説明書でも、お手紙でも、メールでも、LINEでも、何回も読まないと正しいことは理解できない。何回も読むことではじめて見えてくることがあります。私がバカだからというのもあるかもしれませんが、頭がいい人であっても3回くらいは必要なのではないでしょうか?

 

読解力は、人との会話をしている時にも現れます。

相手の話をきちんと聞かずに早合点して自分の思い込みで返答したり、「話聞いてなかったでしょ」というやりとりがあったり、中には話してる最中に話かぶせてきたり、読解力の不足だと思います。

せっかくいい本でもいいお話でも、ちゃんと読む力・聞く力・それに対して返答する力(文章力・表現力)がないと活かせません。

ピアノのレッスンでもこれはよくあります笑。

 

読解力は人生を作り、人格を作ります。

 

 

YouTubeに良質な動画があっても、子供は絵本が大好きです。幸いなことに「ピアノ教室なのに、なぜに絵本?」「そんなことはうちでやります」「その分ピアノ弾いたり弾かせてください」と否定的なお母様はいらっしゃいません。

 

読むことは、音を発することです。

読むことは、想像力です。

読むことで、信頼関係が生まれます。

母国語を聴けない子が、抽象的な音楽を聴けるわけがありません。

 

音楽は音楽国の言語。

ピアノ教室だからこそ思考力、表現力、あ、それに加えて何度も繰り返す継続力ですね。

今年はソニー音楽財団の子ども音楽クラブも始まります。

言ってみれば、音楽国の国語クラブです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月に行ったオンサインサロンの会のDVDが出来ました。

 

 

 

               

 

 

レッスンにいらしてる方にはレッスン時に、それ以外の方には順次発送していきますのでお待ちください♪

 

 

 

昨年は初めてのオンラインを使ったイベントを2回やりました。

6月に「おうちでピアノの会」

11月に「オンラインサロンの会」

 

リアルイベントより簡単に出来るだろうと思ったら大間違い!! 2回目は1回目より楽だろうと思ったら大間違い!!笑。

リアルより何倍もの労力でした。

 

慣れていないというのももちろんあるのでしょうけれど、そもそも別物なんですよね。そのことにやっと気づきました。考えてみれば、演劇と映画を比べた時、映画は作るの楽でいいねなんて誰も思いません。そういうことなんだと。

もちろん私たちはピアノの先生なので、プロの方のクオリティには及びません。それでも素人がやるということだけで大変でした。

何しろ何にもわからないので「〇〇をするには?」の検索から始まる。そこからダダーッと出てくる結果を片っ端から読んで「ん?これってどういう意味??」とまたそこから検索をして、たった一つのことを解決させるために1日中パソコンとにらめっこ。来る日も来る日もパソコンとにらめっこ。

 

ITの時代になって、なんでもパソコンで検索して本を読まなくなって、会話も電話もせずにメールで済ませて読解力や文章力、コミュニケーション力が落ちるなんてウワサもありましたがとんでもない。膨大な情報を取捨選択しながら読み進めて、相手に伝わるよう丁寧かつ簡潔に文章をまとめて、それを相手が気持ちよく受け取れるようソフトな文体で送信するにはなんて読解力と文章力とコミュニケーション力が必要なんだろう、と思いました。

 

 

こうして終わってみると、学ぶことも多く、新しい世界が見えて来ました。新たな目標も出来ました。次へつながりました。

オンラインが最高とは思っていません。

それは私たち音楽家が一番わかっています。自分で電子ピアノを弾いた時と、アコースティックピアノを弾いた時の充足感の違い。空気振動の素晴らしさはどんな職業の人より実感しています。

でも、思い立った時すぐ音を出せる電子ピアノは本当にありがたい。これがなかったら私は仕事になっていませんから。

 

それに代わるものは、何にもないことの何百倍も貴重です。

こうでなければという否定でなく、こっちもありという肯定で生きると新しい価値が見えて来ます。

 

 

ご出演くださった皆様、生徒さんの録画をしてくださった先生方、ご出演くださった先生方、そして編集をしてくださった先生に感謝感謝です。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

生きているとめんどくさいことが多いですよね。

歯を磨かないといけないとか、運動しないといけないとか、お茶碗を洗わないといけないとか、、、。

でもこれらは習慣をつければ、めんどくさいと思いつつもまあ出来なくはないことですね。

 

一番めんどくさいことは変わること。

自分を変えること。

 

これは良くないと思っても変えられない。ああした方がいいこうした方がいいと思ってもやめられない。

 

やめられない理由は?

めんどくさい。

変わる勇気や覚悟を持てないというのも、そもそもそこまで深掘りして考えるのがめんどくさい。

 

サッポロのCMで「挑戦とは?」との問いかけに「失敗すること」と言っていたミュージシャンがいました。

名言!

でも、失敗は精神的にも肉体的にも負担がかかります。

めんどくさい。

 

 

人が死ぬ直前に思うことは「家族との時間をもっと大切にすれば良かった」とか「好きなことをすれば良かった」ということだそうです。

なぜ、家族との時間を大切に出来なかったのか、好きなことができなかったのか?

忙しくて時間がなかった、家族間に問題があった、環境的に難しかった、経済的な問題、、。

理由はもっとも。

でも、元を正せばめんどくさかった。

 

めんどくさがらず時間管理をすれば、めんどくさがらず家族と正面から向き合えば、めんどくさがらず環境を変える勇気を持てれば、めんどくさがらず本気で経済的な問題を考えれば、何かは変わったかもしれない。

 

けれど、そんなめんどくさいことをしても変わらない可能性もある。もっと悪くなる可能性も十分ある。

そしたら絶対「やって損した」と思う。

それこそ時間もエネルギーも無駄にする。

後悔も無念も2倍になる。

だって、一言でめんどくさいと言っても一つのめんどくさいは一箱のティッシュボックスのようなもので、薄いめんどくさいが1枚1枚重なって一つのめんどくさいになってて、一つのめんどくさいを解決するには1枚1枚剥がしていかなくてはならなくて、そんなとってもめんどくさいことをしてダメだったら、、、もう虚無感すごいです、、。

 

 

でも。

めんどくさいからやらないというのは、自分の幸せを諦めることだ、と私は思うんです。

だから、結果は同じでもやっぱり「幸せを諦めない」という生き方をしたい(10回に1回くらいは)。

それが真摯に生きるということ。

死ぬ直前に後悔はいっぱいあるかもしれないけれど、「真摯に生きた」ことは、誇りだと思います。

 

「あ〜、めんどくさいのにわざわざやってまたこれか。損した、、」と、毎度毎度肩を落としながら、次に行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いします。
 
 
昨日「いけにえ」なんて書いたので友人に「何かあった…?」と心配されちゃいました。
いつものことを書いただけなんですが、昨日が大晦日だったので特別な意味を持ってしまったのかもしれません。
また、昨年までの私の朝ごはんには普通に肉、魚が登場しているので「来年からヴィーガンになるの?」という宣言に取られたのかもしれません。
いえ、週5で祭り、アリです。
 
 
でも、言われてみて、書いたのが大晦日であったことに意味があるのか考えてみました。真面目なので、裏に隠された真理も追求します。
 
 
昨年はコロナが起こって仕事が3ヶ月全休になりました。その時、仕事について見直しました。
また自分の残りの人生についても考えました。
 
私はピアノの先生をやっていますが、ただピアノをやりたい生徒さんにとっては相当うっとおしいタイプの先生だと思います。このブログからしてそうです。
 
その自覚が日に日に強くなっています。
生徒さんは、近所だし、手頃だしという理由で偶然私のところでピアノを初めてみただけです。
なのになんか絡んでくる先生、、、。
ピアノが弾きたいだけなのに、伴奏付けがどうとか楽典がどうとか浅いとか深いとか自分で考えろとか…。
 
でも実はピアノ以外のことも、うっとおしい性格です。
、ということを大晦日にカミングアウトしようと思ったような気がします。
 
ピアノの先生は世の中にごまんといます。
ピアノの先生を選ぶのは自由です。
 
 
ちなみに昨日のブログの補足ですが、動物はダメで魚はいいとか、動物と魚はダメで野菜はいいとかありません。みんな大事な命です。
といっても命にハッキリ上下つけています。
猫ちゃんは一番高等♪
虫は瞬殺。
仕方ないですね、猫ちゃんはふわもふなので。。
 
 
お正月にふさわしくない話題でした。
私の大殺界も今年で終わりです。
昨年はそこそこ大変なことありました。
あっ、コロナは全員大変でした、、。
今年の目標は、おとなしく過ごす、です。
しっかりおとなしく過ごし、大殺界を乗り切ろうと思います。