メジロ軍団の伏兵、宝塚記念を制す!<1992宝塚記念勝ち馬メジロパーマー> | はじめのいっぽんの新しき物語

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1.ヤフーからアメーバへ活躍の場を変えます!

平成の最初の頃、メジロ軍団の活躍は凄まじかった・・・
今ほど重賞は多くは無かったが、毎週のように重賞はあり、
その頃はメジロを冠名に持つ馬達の重賞制覇が
毎週のようにあった頃の話である。
メジロ軍団の中でもメジロライアンは一番ファン達から
期待されていたんじゃないかな?
あの競馬の神様・大川慶次郎氏も、明石家さんまの話で
有馬記念の時に横で「ライアン、ライアン!」
と叫んでいたというのは有名な話である(笑)
鞍上はまだ若かった横山典弘でね!
ダービー勝てなかったら坊主になる!って言ってたのに、
結局坊主にはならなかった。
本人はマスコミが大げさに伝えたとの事だったが(苦笑)
それが菊花賞以後は、メジロ最強と言えば
マックイーンという評価に変わっていった。
当時亡くなったメジロ軍団の総帥である北野豊吉氏が
競馬人なら皆が目指すダービー馬を
親仔3代天皇賞制覇を目指して亡くなったという所が、
ファン達を痺れさせるところでもあった。
そしてメジロアサマ、メジロティターンと天皇賞馬となっていて、
そのティターンと仔マックイーンが実は
豊吉氏の期待を一身に受け止めていたんですよね。
そしてメジロマックイーンは、年度代表馬にこそなれなかったが、
間違いなく一時代を築いた現役最強馬だったのは間違いないと思う。
そんな中、ライアンやマックイーンの同期にメジロパーマーという馬もいた。
パーマーの父はメジロイーグル、母はメジロファンタジーと
こてこてのメジロ軍団ではある!
メジロパーマーは栗東の大久保正陽厩舎所属の牡馬であり、
晩年の主戦騎手は山田泰誠騎手であった。

パーマーのクラシック時は、ライアンやマックイーンは
華々しい活躍を魅せ始めていたのに、無名に近い存在でした。
はじめて重賞を制したのが、旧5歳時の平成3年のG3、
札幌記念である。
この頃の札幌記念は、まだG3開催で6月末開催であった。
パーマーは勝ったとはいえ、ハンデ51キロの軽量だった。
その年の暮れは障害競走に出走する等もした。
おそらくこれを元にマキバオー(漫画・はしれマキバオーの主人公)は
障害練習をして大レースに望んだんだと思う。
飛越が凄い下手糞だったらしく障害レースは2戦しかしなかった。
 
そしてパーマー旧6歳時の春の天皇賞!
世の中は、テイオー対マックの1色だった。
そこにマックイーンの露払いとしてメジロパーマーも出走した。
パーマーは14頭立ての12番人気。
そして天皇賞では果敢に逃げて7着に粘るという大健闘であった。
勝ったのはメジロマックイーンである。
これが史上初の春の天皇賞連覇である!
もう一方の人気馬トウカイテイオーは、5着に沈んだ・・・
 
その後は3200mを走った後だというのに中2週で
新潟大賞典に出走して勝ってしまった!
しかも7番人気でだ!
 
そして次なるレースはG1宝塚記念。
春のグランプリレースである。
同レースには王者マックイーンも出走予定だったが、骨折休養の為回避。
パーマーだけの出走では、大応援団も組まずに馬主も応援に来ない始末だった。
1番人気はカミノクレッセ。
G2・阪神大賞典ではメジロマックイーンの2着。
G1・天皇賞(春)でもマックの2着。
その後マイルG1の安田記念に出走するも三度2着となった。
マックイーンのいないここでは1番人気に推されるのもわかる。
2番人気はダイタクヘリオス。
前年秋のマイル王であり、前走の安田記念でも
1番人気に支持された生粋のマイラーである。
他はすべて10倍超の人気であり、
メジロパーマーに至っては13頭立ての9番人気という評価でした。
ところがレースでは、逃げに逃げて他馬を封印して見事1着ゴールイン!
 

カミノクレッセは、またしても2着の悔し涙を呑んだ。
メジロパーマーの単勝は23倍もついた。
ちなみに今だに覚えているが、この日はアルバイト先の
オーナーの自宅で従業員を集めての宴会でした。
このオーナーが私の競馬の師であり今までの人生の中で
金持ちってのは凄いなぁ・・・と考えさせられるに至った人物でもある。
当然G1レースだから予想はする。
私は確たる自信はなかったがメジロパーマーが本命だった。
今と違って、その頃はウインズまで馬券を買いに行かなければならなかったので、
当然宴会中なので馬券は、買っていなかった。

買ってない時程、予想は当たるとはよく言ったものである(苦笑)
その年の暮れにメジロパーマーは有馬記念で渾身一擲の大活躍を放つ!
なんと宝塚で予想を的中させていた私ですら予想だにしなかったのだが、
メジロパーマーは16頭立てのブービー人気である15番人気だったのだが、
あれよあれよと逃げ切ってしまい、
2着にやっぱり先行したレガシーワールドを連れてきて
馬連31,550円というとてつもない万馬券の立役者となった。
当時はG1レースで万馬券なんてめったに出ないから、
あれかぁ・・・と覚えている私と同年代のファンは多いと思う。
 
 

さて今年の宝塚記念。
荒れると予想してメジロパーマーを取りあげたわけでは無いのですが、
荒れるならブラストワンピースでと考えている。
別に有馬記念を勝ったグランプリホースだからじゃないですよ(笑)
相手には人気所だと思うが、マイラーのラッキーライラック!
漠然とそういう風に思っただげなんですがね。