こんにちは。初めての書き込みです。

慣れない為に、お読みにくいかも知れませんが、暇つぶしにでも目を通していただくと嬉しいかもです。


少しずつ気温も上がり、もう少しすると今年も梅雨がやって来ますよねえ。


たしかに、毎日の多くが雨となりがちでジメジメとした、時間を過ごすことにならのが梅雨の嫌〜な面ですよね。

私も、そうなんですが、住んでる環境や地域によっての差もありますけどね。


さてさて?

去年、一昨年?あたりから、我ら日本国においては、何故か知りませんが、お米の不足?値段の高騰?などの、現象が続いていますよね。


私なんかには、未だに明確な理由というか原因すら、全く良くは理解出来ていないのですが、幸いにも自分でも、お米作りをしていますので、不足や値段が上がった事による、直接の影響はありません。


そこで、今日は少しだけですが、知る限りの範囲で、お米のことを語らせてもらう事にしますね。


今の日本におきましては、食べる側の人々の数は、圧倒的に稲作をしている人々を圧倒しているのですが、私は作る側の立場というか、日本人として、実は日々思っている事があるのです。


おそらく、皆さんの多くの方々も、田んぼの風景を見た事がないという方は、そんなに多くはないと勝手に思ってるのですが、

この場合の、私が言う光景とは、水田にお米の苗が植えられて、それが田んぼの水面に、緑色の10センチから20センチくらいに伸びた苗のある風景や、また秋になってから、いわゆる黄色黄金色に無事に育った

苗が稲となった風景の事です。


このような光景は、それこそ今の日本においては、北は北海道から南は九州まで、ありふれた光景とも言えるかも知れません。


前置きが長いと思われるでしょう?笑笑


それでは今回、初回ですが私の主題、書きたい事の本筋に入りますね。


皆さんも、日本の歴史は、小中高と少なくない時間、勉強されていますから、歴史の区分として、まずは縄文時代、弥生時代、

次に古墳時代、そして飛鳥時代ですか。


このように、時代とともに、日本の歴史を学ばれたと思うのです。


しか〜し!!!

ここで私が

「いやいや。そうではなくて、弥生時代というのは、つい最近の昭和後期まで、実は続いていたんです。」


と書くと?

コイツ?ナニ言ってんだよ?または、は?

と、なりますよね。(多分?)


それでは、詳しく私なりに説明させてもらいますね。笑笑


私は、日本が好きなんです。笑笑 外国人ではありませんよ。笑笑

そして、日本の歴史が好きで、特に古代から奈良時代あたりまでの、まだ色々と不明な部分の多い時期が好きなんですよ。


なので、全国を旅行したりしても、ついつい遺跡とか古墳、それに伴う博物館系は足を運んでしまうという、ある種のオタク?

なんでしょうかね。笑笑


遺跡古墳系の博物館の中へ、参りますと必ずと言っても過言ではないのですが、縄文時代弥生時代の人々の使っていた、道具関係のモノが展示されています。


百姓(稲作)を、している私なので、ついついと見てしまうのが農具なのです。

すると?

いつも感激というか 笑笑 お!あったと

思ってしまうモノに出会います。


都会に住まれる方々には、全く馴染みの無いモノでしょうがねえ。笑笑


それは、そのモノの名前は「鍬(クワ)」

という農具なんですよ。


ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、この「鍬」という農具。

弥生人は、もう既に作って使っていたんですよ。はい。笑笑


鍬が無くては百姓は出来かねます。

そのくらい大事で、必要不可欠な農具なんですよ。

その形カタチは、基本的に全く2000年いや、多分3000年近く前からずっと、変わらずに、現に私も数種の鍬を使わせてもらっていますからね。


もちろん、形カタチは変わらないのですが

縄文時代へ遡れば、遡るほどに材質に、木製部分が多くなるのですが、弥生時代には鍬の先に鉄器がハメかれるようになり、その鉄器の占める部分が、その後の古墳時代から、またずっと下る江戸時代、現代になるに伴って、柄の部分以外の全てが鉄器になるんですね。


けれども、何度も書くのですが、その基本的な形態は不変とでも言うべく、凄いコトだと、私なんかには思えてならないのですが、出現当時には既に、ある意味「完成品」としか言えない形カタチなんですよ。


ですので鍬とは、そのくらいにおいて完成度が高く、日本式?倭式?の農業においては、使い勝手が高くて、無くてはならないモノなんです。


ここまでは御理解いただけだでしょうか?

この時点で、ツマランとお思いの方は、読むのおやめになって下さいね。笑笑


さらに進めますと、鍬は代表的なモノなのですが、実は、その稲作自体の大枠と表現しますが、それは非常にゴク最近と言える

昭和の50年代くらいまでは、弥生時代に行われていた稲作と、大きな違いは無かったと言えなくもないのです。この見方をすると?弥生時代というのは、つい最近終わったとも言えるのです。


稲作には、実は「陸稲」という品種があり

これをつくる場面は、どちらかと言えば畑作に近く、「水稲」に対してあまり水を必要としません。

水稲、つまり私たちが食する、そのほとんどの品種なんですが、基本的には他の農作物の、どれにも増して「水」の存在価値の高い作物はないと言っても、言い過ぎにはならないでしょうね。(蓮根など数種の例外はあるが)


日本は、そう国土が広い訳では決してないですよね。

けども、その広くもない国土において、平野部は当然のごとく、全国的に谷間山間にあるような、相当に小さな、ごくわずかな土地においても、水田へと開墾され、令和の現代になっても、それを作っているんですね。

たしかに、昨今では休耕田や耕作放棄地などと、実に嫌な呼ばれ方をする、元田んぼが増えてはいますが、それでも、水田を維持しようとするチカラ?熱意?は、まだまだ健在だと思うのです。


弥生時代、秋になり収穫の時期を迎えた田んぼ。そこで使われていたと思われるのが

石包丁と呼ばれている道具です。それにより、稲穂に実った稲籾を稲から取るんですね。

私、試しにやった事あるのですが、そら現代人の感覚からすると、非常に不効率というか手間なんですよコレが。笑笑


この石包丁という、収穫における道具の今現在における、機器としての道具としての最終盤最新版が、あの立派なコンバインと言えるでしょうか。


次に、収穫ではなくて、田植えの部分を考えてみます。


まずは、種籾(たねもみ)を苗まで育てる部分は、少し省略しますね。


ある程度の長さまで、育った苗は、今では

ケース単位で育苗するのですが、ケースから外したケース単位の苗を、田植え機に載せます。田植え機にも、種類があるのですが、一般的に使われる4条植タイプなら、一度にケース4枚の苗を積んで植える事が出来ます。

ですので、農家の規模によりけりですが、何百枚も、あるいは千枚以上を植えておられる農家から、20枚とか多くても百枚くらいの苗を植える農家は、少なくありません。


こうして植えて、秋にコンバインで収穫するというのが、ザッと大雑把に書いた現代の水稲農家のやってる稲作です。


このような、ほぼ機械化された稲作が全国的に画一的と言えるほどに成り立ったのは地域差もあるようですが、だいたいが昭和50年代初頭といえます。


大規模稲作地帯での、大規模農機具の導入はもっと早かったですが、全国的に津々浦々まで広がり浸透されたのが、その年代だという事ですね。


では?

その昭和50年代初頭までは?

どうだった?どうしていたのか?


その事を、私がいう大枠においては弥生時代とは、大差がそうはなかったという事なのです。


令和の今の「米騒動?」に関連させれば、1番の違いがナニであるかを、問われるとすれば、私なら以下に書く通りです。


それは「現金」または「カネ」が、かかる部分が非常に増えた、または農家が買うべきモノが、とてつもなく増加した、と書きます。


さっきは、育苗の部分を省きましたが、昔の育苗とは、育苗に使う種籾(たねもみ)は

それぞれの農家が、前年に取った自分のお米の中から、選別したモノを使ってましたね。今でも、そうしている農家は少なくはありませんが、この場合は品種が一定の同じお米になるという事でもあります。

最近では、農協や農業研究所などから、毎年毎年の種籾を購入する農家も多いです。


その種籾を発芽させる作業には、そうさほどな違いはあまりありませんが、昔は種籾は各農家の持つ、適度かつ適正な水田を選び、いわゆる能代田(のしろた)に、直播して発芽させつつ苗作りをしたものです。


この場合、コレも現代の育苗に使うケースなどの、育苗器具や機器は必要ありませんでしたね。つまり、そんなコストは要らなかったワケです。笑笑


能代田で育った苗は、ある程度の長さまで成長すると、その日に行われる田植えに必要な量プラスアルファを、抜き取っては手のひら大など、適度な大きさに束ねられました。


そして、束ねられた苗は、各田んぼへと運ばれ、田植えが行われたわけです。


田んぼの広さも、マチマチですが、当時の田植えは、私の住む地域なら、親戚や親しい近所農家などが、団体といえば大層な呼び方ですが、ひとつのグループ、10人とかその前後の人数で寄り添い、私の家の田んぼが終われば、グループの他の家の田んぼの田植えに移るみたいな感じで、全てが手作業でしたが、それはもう賑やかな田植え風景でしたね。笑笑


田植えが終わると、田植え休みと言って地区全体が、一定期間の休養をとるような習わしも存在しましたね。

田植え休みの時は、それはもう一件落着みたいに、みんな揃って身体を休めたり、栄養のある美味しい物を食べたりと、骨休めという言葉がピッタリな雰囲気でした。


それが済めば、田んぼの作業的には、草取りや、畦(あぜ)や周辺の草刈りです。

これも、今では除草剤や、草刈機などの登場により、大きく変化した部分です。

昔は、鎌(かま)が大活躍しないと 笑笑 なりませんでしたね。一苦労です。


この草取りや、草刈りは収穫まで何度かの繰り返しなされる作業です。


そして前述した、秋の稲刈りとなるのですが、書き忘れていましたが、田植えも稲刈りも、今では天候に大きく左右されがちなのです。

これは何故かといいますと、実は機械化された結果、機械、特にコンバインという収穫機器は、雨や水分が天敵なのですよ。

田植え機は、なるほど雨や水には強いのは当たり前なのですが、最近では雨の日の田植えなど、昔に比較するとかなり少なくなりましたね。

稲穂が濡れているような状態では、コンバインを使用するなど、機械を潰すようなモノなんです。なので、今の稲刈りといえば

晴天が数日続いた後にしか、ほぼ出来ないのですよ。


しかし、昔は違いましたね。

田んぼの中が、少々ぬかるんでいても、長靴が田んぼに、めり込むような場合でも、稲刈り鎌で、みんなで刈り取りました。


そして、地域で違いはあるにせよ、刈り取りながら、稲穂は手で掴める程度の太さで束ねられて、その束ねた稲穂を次々と、稲刈りしながら、竹で組まれたカコと言われたモノに、かけて行くのです。


ですので、刈り取りが終わった田んぼには

乾かし乾燥させる目的の、稲穂が真逆に吊るすようなカタチで、田んぼ全体の風景が一変したように見えましたね。

今でも、自然乾燥にこだわる農家では、やってはる人は存在しますが、少なくなりましたねえ。笑笑


ある程度の日数を、田んぼで乾かされた稲穂達は、今度は田んぼから、または田んぼ内において、脱穀される事になります。

この日ばかりは、その性質上、やはり良く晴れた秋晴れの日に行うしかなくて、私が覚えているのは、この手の作業には、藁むしろが、絶対に必要だった事ですね。

藁むしろなんて 笑笑 今では知ってる人も少ないでしょうねえ。


この脱穀作業も、私が体験しただけでも、あの千歯コキ機。足踏みや、手で回す式の人力機器ですね。

それに、少し機械っぽくはなった脱穀機ですね。人力と動力式がありましたね。

次に、脱穀専用機なんですが、地域の農業組合などで購入した、効率の高い脱穀の機械もありましたね。


最後が、今のコンバインとなりますか。

コンバインは、収穫と脱穀を一度にやってくれる優れモノではありますから、とにかく、お米が籾にまでは、コンバインがやってくれます。


しか〜し!笑笑

お米を、食べれる状態、今なら炊飯器に入れれる状態にするには、まだまだ先があります。


今ならコンバイン。昔なら、脱穀した籾の付いたお米は、さらに乾燥しないとならないのですよ。


この乾燥の作業過程にも、それ自体が非常に歴史を持っていますね。


私が見たやった、最古のやり方は、全ての籾米を、家にあるだけの、稲むしろを使って、むしろの上に、籾米を撒いて広げて、

お天道様のチカラで、天日干しするのですよ。


農家の家って、やたらと広く見える事が多いでしょう?実際、屋敷を構える全体は広いのですが、それは、この様な農作業が出来るような作りになっていたからです。


むしろに広げられた、何枚もの稲むしろの上にある籾米を、日中昼日中、棒状の先にいくつかの、窪みを数カ所つけられた棒先を、何度も出来るだけ、日の当たるように乾燥するように、主に婆様がやっておりましたね。


この場合、その家にネコが飼われていれば

大変重宝、可愛がられましたね。変な話ですが、昔はネズミが今よりも多く存在してましたから、ネコが、むしろの周辺で寝そべっているだけで、いくらお米がそこにあっても、ネズミは絶対に来ませんでしたし

スズメなどの、鳥もネコが怖くてやっては来れませんからね。


そんな手間暇をかけて、次に乾燥したお米を、玄米にする脱穀が行われて、最終的に

玄米を適度な、ツキ具合にした上白米や八分ツキや、五分ツキなどにする精米の過程を経て、やっと食べれるようになるのですよ。


雑な書き方になりましたが、ザッと米作りの過程を、新旧交えて書きましたが、今稲作をするには、お金を使わないと、まず出来ません。


種籾から育苗するには、様々な機器が必要となってます。種類にもよりますが、専用の機器ですので、決して安価ではありません。普通のモノを揃えるだけで、軽く10万円以上はかかりますね。

けど、これはまだ金銭負担は少ない作業ですね。


田植えに使う、田植え機ですが、これも手持ち式作業のエンジン付きなら、15万円くらいからあったと思いますが、これが乗車運転式の田植え機になると、ピンキリですが100万円を超える買い物になります。

(ここで書くのは新車の値段です)


次に、草刈機なのですが、昨今は様々なタイプがあり、動力もエンジン式から充電バッテリー式もあり、手持ちや背負い、車輪付きなど色々ですが、一般的な手持ち混合ガソリンエンジン式で、安いと15000円前後から50万円くらいのモノまであるようですね。


そして忘れてましたが、昔は鍬や牛馬に頼っていた、田んぼや畑の耕運に、絶対的に必要となった、耕運機、トラクターですが

歩行式耕運機でも20万くらいから50万くらいですかね。

乗用タイプのトラクターなら、これもピンキリですが100万円をはるかに超えて、上は1000万くらいまであるようです。


収穫機器のコンバインですが、メーカーも機器も、様々なタイプがありますが、全面刈りや大型のモノなら、これは200万円は下らず、数百万する高価な機械なのです。


それと、最近では、ひとりが数人いれば良いという人手の環境で作業する事が、稲作となっていますので、収穫したお米を運んだりするのに、運搬車なども使用しますが

これも数十万単位ですね。


あ、そうそう。

農家イコール、必需品のご存知軽トラというクルマがありますよね。最低限一台は絶対的に必要なのですが、これも最近の軽トラは100万円は軽く超えます。四駆や、機能の高いモノなら、もっとするようです。


機器関係だけで、ザッとこんなにカネを使います。


それと、田んぼに投入する肥料などや、今では環境に優しくなった農薬も、それはもう非常に高い値段なのです。

最低限の化成肥料でも1本2000円台から5000円くらいのモノを、田んぼの広さにより数本から二桁単位必要ですし、農薬も環境に良い製品ほど高くなりますから、これにも数万円は最低かかるのです。


昔も、確かに購入しないとならないモノは稲作においても、あるにはありましたが、高価な機器は、さほど必要としなかったというか、人手が解決していたと言うべきか

買えなかった面もあるだろうし、私のいう弥生式の稲作が通用していたんですね。


川からや、湖池などから水を引っ張って来て、田んぼとして作った土地に、水を張って、多くを人手でおぎないつつ、家はもちろん集落や地域総出で行われていた、弥生式の稲作が、終わりを告げたのが昭和の50年代初頭とすれば、今の稲作をやっている人達が、初めて弥生式から機械式金銭的?な稲作をやられて、だいたい青年期からその人生の高齢期まで、頑張って来られた期間が、令和のこの時期となり、それがまた終焉しつつある事が、昨今の米問題に繋がってはいないだろうか?と、私は愚考するのです。


初めての投稿なので、極めて整理もされていない、ど素人の文になってますが、今後も、日本のよくは知られていないような部分を、私なりに掘り下げて、書きたいと思っています。

駄文お詫び致します。