2日目。

起きると外は日が差して晴れています。さてどうしよう🤔。

夜は宴席。天気が悪ければ昼間は美術館巡りでもしようかと思っていましたが終日雨は降らなさそうです。気温は高いだろうけどせっかくだから近い内にと思っていたところに行ってみるとしましょう。


身支度をして部屋を出ます。ここのホテルの朝食はパン食なので唾液の出が悪い私にはちょっとね…😅。食べずにチェックアウト、近くのうどん屋で朝食。その後駅へ。



横浜線に乗り八王子駅へ、そこで中央線に乗り換えて東小金井駅で下車。


25歳で結婚すると同時に北柏の独身寮を出て習志野の世帯用社宅に入ったのですが、独身寮同様ここもホントにオンボロで。僕はまだいいけど、あまりの酷さに夢見る夢子ちゃんだった(元)嫁が可哀想でした。そして5年後、老朽化による取り壊のためそこを退去、代わりにあてがわれたのが小金井の社宅。ここは広くて日当たりも良く静かで良かったな。ブチ切れ退社をするまで5年ほど住みました。
当時は中央線もまだ高架複々線化はされておらず駅前も道が狭く道1本向こうには栗林が残るなど何とものどかな風景でしたが、もう今は区画整理も進み随分様変わりしています。
当時住んでいた社宅まで歩いてみましたが道は広げられ住宅街とはいえお店も増えて。どこでもドアで突然ここに来たら多分どこだか分からないだろうな。

しばらく歩いて社宅の敷地に入るとそこは20年前と変わらぬ見慣れた景色。住んでいた二階の部屋を外から見上げましたが思ったほどの感慨も懐かしさもなく、昨日までここに住んでいたような。自分でも少し驚きましたが結構淡々としてるな😐。何だか肩透かし食らったような感じです。

髭面の怪しいおっさんが長くいるところではありません。すぐ脇の都立高校との間の道を北上。当時は休日に近所の散歩をするような余裕も無い毎日だったのでこのあたりの景色はほとんど見覚えが無いぞ。
しばらく歩いて玉川上水にぶち当たりました。

上水に沿って植えられた桜を見に多くの人が昔から訪れたそうです。
そして橋を渡ると小金井公園。




とにかく広大。桜のシーズンにはものすごい数の人たちが花見に訪れます。園内には江戸東京たてもの園も。

公園をまっすぐ北に突っ切ると左手には時の総理大臣田中角栄でさえメンバーでないからとプレーを断られた名門「小金井カントリー倶楽部」。
バブルの時の会員権は何億円もしていたかと。歩いて行ける距離に住んでいましたが、一番近くて一番遠いゴルフ場でした😅。

その少し先は石神井川。看板には「上流端」の文字が。ここが始まりなのか、知らなかったよ…😳。
調べてみたら、小金井カントリーの敷地内の湧水が水源なのだそうです。


その先の道を渡って更に北へ少し進むと「多摩湖自転車歩行者道」。
多摩湖の水を武蔵境の浄水場に送るための水道を暗渠化、その上につけられた車の入れない道です。ずうっとまっすぐ、どこまでもほぼ直線。

自転車道沿いにある昔ながらの駄菓子屋。たまにタバコ買いに行ってました。まだやっててなんだか嬉しい☺️。


ここから住宅街に入りしばらく歩き、先程の社宅を出た後3年ほど住んだ木造2階建てのニ軒長屋へ(一見すると普通の一戸建てに見えますが実は借りているのは右半分😁。あ、もちろん写真は撮っていません😅)。
無職になると貸してもらえなくなるから退職前に慌てて探しました。狭かったけど安目だったし2人だけだから何とかなったな。
当時でも古かったけど今もまだそのままあります。一体築何年なのだろうか…。


その後歩いて線路沿いを歩き踏切を渡って西武新宿線花小金井駅(北口)へ。
玉川上水の桜を見に行くのに便利な駅たからと地名の頭に「花」がつけられたのだそうです。
ここは私が住んでいた頃に駅前の整備が行われていました。駅前のスーパーやマンションは元々高校があったところなのだそうです。

駅反対側南口からすぐのところに先程の遊歩道。これを歩いていけば多摩湖に行けます。行ったことないけど😅。

こうして歩いてみると散歩し甲斐のある結構いい環境だったと思いますが、当時はとにかく余裕が無くてそんなことに気づくこともありませんでした。今思えばもったいなかったような気もするけど、あの状況じゃ無理も無いわな…😅。


駅入口の寿司屋で少し遅めのお昼。ビールも😁。リュックを背負って歩いたのでシャツの背中部分が汗で濡れて冷房の風が当たると凍えて風邪ひきそう🥶。


長くなったので続きは次の記事で😋。