今日は朝からごきげんです。

火曜は燃えるゴミの日。眠い目をこすり髪の乱れを隠す帽子を被りシャツのボタンひとつだけ止めて外へ。かなり怪しいぞ😅。

ゴミ出しを終えてエレベーターを待ちます。扉が開き出てきたのはナント例の宅配便の幸せ配達人😍。すれ違いざまおはようございます、と声をかけると彼女も気づいて振り向きざま私の顔を見るなり立ち止まってニッコニコの笑顔で「おはようございます!」。日に灼けたお顔に真っ白な歯が光ります。

立ち話などすることなど当然なくすぐに停めてある車の方に小走りで行ってしまいましたが、あの笑顔を朝から見られただけで気持ちがいいですね。

それにしてもこんなに朝早くから忙しそうで大変なことだ。お疲れ様です。

さすがに朝は幾分涼しくなったかな?昼間は今日も体温リーチらしいけど😵‍💫。


部屋に戻って二度寝(💢)。


ネットニュースをチェックしていたら、明日9月6日で胆振(いぶり)東部地震から5年を迎えるのを前に厚真町で追悼式が行われたとのニュースが目に止まりました。もう5年も経つのですね。


あの日私は白老のキャンプ場でテント泊をしていました。酔っ払って寝ていたら下から


❗❗ズドーン❗❗


と突き上げられるような揺れ。背中と地面との間にはテントの薄い生地と厚さ3センチ程のウレタンマットがあるだけ。まさに地面の揺れを全身で直接感じました。

さすがに目は覚めましたがまだ酔いも残っており夜も明けていません。芝の上のテントの中、特に何かが落ちてきたり倒れてきたりするようなこともありません。

いいや、まだ寝てよう。おい😩😓。


朝を迎え起床。いやぁ、そう言えば夜中の地震は大きかったなぁ、と呑気に顔を洗いに行ったら水が出ません。ムムム?広いキャンプ場内には私の他に二組だけ。水が出ませんねえ、地震のせいですかねえ、などと話していたら、もう一組の方がいらして「何か大変なことになってるみたいですよ」。程なくキャンプ場の職員の方が軽トラでやって来て曰く、停電でポンプが動かないから水も出ない。とにかく急いで撤収して退場してください、とのこと。

ふ〜ん、と思いサイトに戻りガラケーを見るとメール着信が複数。いずれも私の身を案じ無事かどうかを確認する内容。中には早く帰ってこいとのメッセージも。そんなに大事(おおごと)なの?ひとまず無事であるとの返信。

撤収し車のラジオをつけるともう地震のことばかり。地滑りで生き埋めになっている人も多数いる、広範囲で停電とな。しかも震源地は2年前電車での放浪初日に、そして今回も上陸初日、ほんの3日前にテント泊した鵡川(むかわ)辺りだって!?うへぇ😱。


こういう時はひとまず身の安全確保、水、食料の確保。それこそ避難生活よろしくキャンプ生活をしているのである程度は大丈夫。地元の役所に向かうと近くの公民館で水を配っていると教えてくれたのでそこに向かいペットボトル二本の水をもらい情報収集。道内広範囲で相当の被害が見込まれ、停電復旧まで1週間程かかる見込みだとか。なんじやそりゃ😱。


とにかくここはだめだ。北海道は電車でしか巡ったことがなく車では初。しかも上陸してまだ5日目。土地勘もさっぱり無い中ですが、地図を見ながら思案。

停電では信号もつかないので市街地の移動は危険困難、スタンドのポンプも動かないからガソリンも給油できないでしょう。だからそんなに遠くまで行くこともできない。

白老から東西に走る国道36号線は信号がつかないので危ないだろうし東へ進めばそれこそ震源地に向かっていくことになる。南は海。ならば北に向かうしか無さそうだな。北に延びる道道(86号、四季彩街道)は途中何もない一本道で信号も無さそうだし。


まずは道道を北上した先にある洞爺湖に向かいました。距離はざっと目の子で100km弱、そこまで行くのに必要なガソリン量は7〜8リットル。今タンクにある分で余裕で足ります。

地図に載っていた湖畔のキャンプ場に着きましたがやはりクローズ。だよな…。

しかしその先にある「みずの駅」という道の駅みたいな売店で水と食料を買いがてら尋ねてみたところ、すぐ先にある湖畔の公園の芝生エリアはテント張ってキャンプしても良いとのこと。しかも無料。よし。

行ってみると芝はキレイに刈ってあり炊事場もトイレあります。蛇口を捻るとちゃんと冷たぁ〜い水が出てきました。よっしゃあぁあ😆❗


水も米も味噌もある。ガス缶も3本。水の駅で煎餅やら何やら色々手に入るし。これなら1週間でも10日でも闘えます😤。酒も何日か分はある。停電だと氷は手に入らないだろうけど水道水が十分冷たいから問題なし。湖畔で景色も最高!

給油できない中でガソリンが切れたらおしまいです。ここは下手に動かず少なくとも停電が復旧するまではじっとしていよう。


今回北海道に行くにあたり、また行くかもと思い調べてみたら、ナントその場所はキャンプ禁止になっていました。どうやらマナー良からぬ利用者の増加に公園の在り方を問う声が上がったことが契機となった模様。だとすれば仕方ないけど残念なことです😓。情けない…。


近所に住む奥さんがダンボール箱の中に広げたビニール袋やポリタンクに炊事場の水道から水を入れて、車に運び込んでいました。停電でポンプが動かず家の水道から水が出ないのだそう。大変そうだったので運ぶのを手伝ったら一旦家に戻った奥さんがとうもろこしを抱えて戻ってきました。家で取れたものだけどお礼にどうぞって。やったぜ😁。食料ゲット。


その後イスラエル人の旦那さんと日本人の奥さん、3歳の男の子(太陽くん、めっちゃかわいい😆)という家族連れがキャンピングカーでやって来て一緒に過ごすこと2日間、3日目の朝に自販機の明かりがついていることで通電を把握。よっしゃ!

最後お米を半分分けてあげて、お礼にと淹れてもらったコーヒーで3人と乾杯。撤収しスタンドでガソリンを入れ、震源地から遠ざかるべく中山峠を越え札幌市街を抜け月形、北竜、留萌を経由しオロロンラインを北上。ここまでくれば一安心かな。

途中苫前辺りの食堂で食事をした時に聞いてみたら「都会の方は大変みたいだね。こっちはなーんも。」

やはり北海道はデカイということを実感したのでした。

太陽くん、元気かなぁ☺️。


他の記事によればあの地震の土砂崩れで失われた森林の復旧はあまり進んでいないのだとか。

お亡くなりになった方々のご冥福を、また被害からの回復、復旧が早く進むことをお祈りします。そしてまた来年訪ねていき放浪することで、ホントにささやかではありますが経済的な面でちょっぴり貢献してきたいと思っています。


北海道、来年も行くぞ!待っててね〜。




【由無し事】

村下孝蔵さん、まだまだ素敵な曲がたくさんたくさんあるのですが、キリもないので一先ずは中締め。って宴会かよ。


「この国に生まれてよかった」村下孝蔵


CD音源


教科書に載せてもいいくらいですね。
色々あるけど、それでも。あの国じゃなくこの国に生まれて本当によかった。。。