バンコクで遭難 完結編
翌日、大使館に行くともう少年が入り口のところで待っていた。
本当に学校に行ってないんだな。
今日こそ、彼に「さようなら」と言おう。
彼には彼の人生があって、今は僕とここで奇妙にも交差しているけれど、いつかは離ればなれになる。
僕に好意を持ってくれていても、その気持ちに応える事は出来ない。
ここまで何とかやってこれた恩を何一つ返せない自分にもがっかりした。
定まらない視点で「行ってくるね」と片言の英語で伝えると、重い足取りで大使館のビルに入っていった。
いつもの部屋に入ると、例の大使館員が、無表情に、かつ事務的に僕にこう伝えた。
「吉澤さんですね。仮パスポートを発行できますが、どうなさいますか?」
「もちろん、作ってください。ていうか、今すぐに作ってください。」
「昨日もお伝えしましたが、再発行料、航空券の手配料、空港使用料などがかかるんですが...」
「ぼくが今持っている全財産はこれだけです。」
「足りないですね。」
「どうすれば、いいでしょう?」
「誰かから、お金を借りたりして、用意できませんかね?」
「...」
係官の口調、仕草、表情...
すべてが、もう我慢できなかった。
これまで、ぐっとこらえてためてきたものが、一気に溢れ出そうとしていた。
その証拠に、ぐっと握りしめた両手の拳が震えていた。
「あんた、正気かよ。」
ふっと口から出てしまった。そこからは、ダムが一気に決壊していくかのようだった。
「俺も相当じたばたしながら、あんたに振り回されながら、それでもやるべき事やってきたじゃねーか!」
無表情な彼の顔が、ますますノッペラボウのようになっていくのが見えた。
「ここ数日、俺がどこでどうやって食いつないだのか、想像した事なんかないんだろ!」
「ちょ、ちょっと、吉澤さん、冷静に。」
「はい、はい、いくらでも冷静に出来ますよ。冷静になってどうするんですか?金を作って、ここに出直してこいってことですか?あほか!?」
「私の立場上、これ以上どうしろっていうんですか?」
「もういいよ!何もしなくていいよ!そのかわり、今日もテレビに生で出てやるよ。今日こそあんたの名前紙に書いて、このアホのせいで日本に帰れないって大声でわめいて、バンコク中の人間の笑い者になってやるよ。」
「なにを訳のわからない事言ってんですか?」
「おい!訳がわからないのはあんただから。間違えないでくれ!」
よほど大声になっていたらしい。
裏から関係者らしい男が、扉をけたたましく開けて入ってきた。
「どうしたんですか?なにかあったんですか?」
担当していた係官はさすがに狼狽したのかとっさに
「いえ、なんでもありません。大丈夫ですから。」
と体裁を整えようとしている。
僕は、何ごともなかったかのように、少しふてくされた表情で横を向いた。
入ってきた男はいったん係官と一緒に裏の部屋に入っていった。
2、3分...いや4、5分が経っただろうか。
そのあいだ、僕は死刑宣告を待つ囚人のような気持ちで、椅子に座ってうなだれていた。
やがて扉が開き、係官が再び部屋に入ってきた。あきらかに様子がおかしい。そわそわしているのだ。
「吉澤さん。ちょっといいですか。」
「.....」
「あなた、何を考えているんですか?変な事、考えてないでしょうね。」
「一体何を言い出すんだよ。」
「その......そのですね。テレビの事ですが...」
「....」
「本気で、またテレビに出るなんて考えてないですよね。」
係官の態度がなぜ怪しくなったのかは、だいたい想像がついた。
.....誰かあの放送を視聴した人間が館内にいる。
僕はピンと来た。
やっぱり!
本当に、あれは生のテレビ放送だったんだ!
「相談なんですが、お金を貸す事は本来できないんですがね。。。」
ここまで聞いて、僕は「す・べ・て」が解決に向かう、と確信した。
ここから先の話は、軽く記すことにしたい。
係官は、僕に5000円を貸してくれた。
たった5000円。されど、5000円。
借用書は丁寧に丁寧に書いた。
その日のうちに、大使館から歩いて1時間ほどの、パスポート・コントロール・センターのようなところに行って、仮パスポートを発行してもらった。
少年に別れを告げたのは、その建物から出たあと。
僕が日本に帰れるようになったこと、それはすべてきみのおかげだ。と感謝したあと、いくらだったか忘れたがお金を渡した。
とても、後ろめたい気持ちだったけど、そんな事しかできなかった。
彼や彼の家族が住む場所に、もう一度行くべきか少し迷ったけどやめた。
じゃ、さようなら。といって歩き出してからだいぶたって、一度だけ振り返った。
彼はまだ同じところにいて、僕が振り返ったのを見て、二度三度手を振った。
僕は中途半端に笑って手を振ったあと、もう二度と後ろを振り返らなかった。
その日の最終の列車で空港近くの駅まで行き、そこそこのホテルに泊まった。
実はここでもうひとエピソードあって、それは余談になってしまうのだけど、ごく簡単に。
翌日のフライトに備えて眠りにつくころに、頼んでもいないのにマッサージのルームサービスを押し付けられそうになった。
さんざん断ったのだが、しまいにはお金まで要求する。
歳の頃50過ぎだと思われるそのマッサージ嬢は、勝手に部屋に入ってきて服まで脱ぎ出した。
「わかった!わかりました。お金を払うから、出てってください。」
というような話....。
「バンコクという都市の底辺で暮らす人々。
その貧しさと頼もしいほどのたくましさ。」
日本で暮らしていた頃のごく普通の生活が、はるかに現実離れした絵空事のようにさえ感じられていた。
そして、自分が「いま、生きているんだ。」という強烈な実感もあった。
猛烈に眠りたかった。
部屋の外に、Don't disturbのカードをかけた。
枕元の電話線を外した。
体中を砂嵐のようなビリビリした膜が覆いはじめる。
その痺れるような感覚のあとに、今までに経験した事のないような、とてつもなく深い眠りがやってきた。
8月15日に帰国した。
2ヶ月後、父が死んだ。